29. プリンス
プリンスと望の出会いです。
2441年 1月
アレクサンドルははしゃいでいた。知らない人が見たら、落ち着いているように見えただろうが、彼としては生まれて初めての両親との旅行で、興奮していた。屋敷のあるセントピータースバーグから、アフリカ地区の工場を視察して、本社のあるニューヨークに行き、その後バハマ諸島にあるプライベートな島で1週間も両親と遊べる予定だ。両親はいつもアレクサンドルに優しかったが、忙しくて一日中一緒にいられるのは、これまでアレクサンドルの誕生日くらいだったので、この計画を聞いた日は嬉しくて眠れなかった。
アレクサンドルの5歳の誕生日を祝うために両親が忙しいスケジュールをやりくりして1週間ずっと彼の好きなことをして遊んでくれるのだ。何しろ5歳になったら、ネオ東京にある学校に入学することになっているので、これまでよりずっと両親と過ごせなくなる。その前に親子3人でゆっくりしましょう、とお母さまがちょっと涙ぐみながら言った。
漸く最後の予定であるニューヨーク本社での仕事を終えた両親と、本社ビルの屋上からジェットに乗りこんだ。いよいよ島に向かうのである。この瞬間を楽しみにして、毎日良い子で退屈なパーティにも出て、お行儀よくしていた。もうすぐ5歳になるのだから、子供みたいにはしゃいだりしてはダメ、と思いながらも胸がどきどきして、思わず笑顔になってしまう。お母さまもアレクサンドルの笑顔を見て嬉しそうに微笑んでいる。
ジェットが屋上から飛び立った。次の瞬間、大きな音がして、アレクサンドルの座っていた椅子がポンとはじけて外に飛び出した。後で聞いたところでは、非常用の緊急脱出システムが働いたという。アレクサンドルの小さな体はシートが変形した脱出用ポッドに包まれ、そのまま屋上に落ちた。びっくりしたが、特に怪我はしていない。ジェットの事故だ、と思ったアレクサンドルは両親のポッドを探して小さな窓から外を見たが、何も見えなかった。こういう場合は誰かが助けにくるまでじっとしているように、と教えられていたので、じっと待っていた。すぐに誰かの気配がして、ハッチが開いた。ポッドの中を覗き込んだ女性はアレクサンドルの無事な姿を見ると涙ぐみながら抱き上げた。
「プリンス アレクサンドル!」さっき見送りをしてくれた本社の人で、名前は確か...
「メイヤーさん、助けていただいて有難うございます」丁寧にお礼を言いながら両親のポッドを探して辺りを見回すが、屋上には何もない。 ジェットはどうなったのだろうか。
「プリンス...」
2441年 4月 ネオ東京
昨年まで楽しみにしていた学校の入学式が、ただわずらわしい。おじい様もおばあ様も一緒に来てくれたが、他の子供達と一緒にいる母親を見ると、どうしてもお母さまを思い出してしまう。漸く家族と離され、子供達だけになって、少しほっとした。
150人いる子供達は皆興奮して騒がしい。もうすでに仲良くなったのか話し合っている子供達もいる。しかし誰も自分のそばには寄ってこない。
皆が何だか自分を見ているような気がする。近づいて来る子もいないし、少し遠巻きにされているようだ。自分だけがお母様、お父様と来ていないのが、わかるのだろうか? そんなことを考えると、周囲を見回すのがいやで、まっすぐ前を見つめた。
周囲の子供たちは、アレクサンドルの子供離れした雰囲気と、5歳とは思えない落ち着き、その美貌に気楽に話しかけられなかっただけなのだが。
その時、正面に年配の男性に連れられた自分より頭一つは小さな男の子が見えた。
「おじい様、もうここで大丈夫だから」
その子はそう言って連れてきた男性の手を放してこちらに向かって歩いてきた。同じ制服を着ているのだから、新入生なのだろうが、随分幼く見える。自分と同じで、両親ではなく、祖父が送ってきていることに親近感を覚えた。
「望、待ちなさい!」もうすぐ自分の前に来るな、と思っていると、後ろから誰かがその子に声をかけた。望、という名前らしい。
「なあに、ミチル」そう言って振り向いた男の子は、足が止まらずそのままアレクサンドルにぶつかった。
「うわっ、ごめんなさい」 アレクサンドルが、思わずころびそうな体を支えると、男の子は慌てて正面を向いた。離れたところから黒髪を見て、東洋系だな、と思っていたアレクサンドルは、その輝くような黄金の瞳を見て驚いた。
「きれい...」
「えっ何て言ったの?」
「なんでもありません。大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫です。ぶつかってごめんなさい」
「私もここに立っていたからすみません」と微笑むと、何故かぼーっとした顔で見上げられた。
「望、先に行くんじゃないわよ。私と一緒にいるように言われてるでしょ」
後ろから自分と同じぐらいの身長がある女の子が追いかけてきて望の腕を掴んだ。
「ミチル、それは学校までの道だろ?学校の中ではいいんじゃないの?」 望はちょっと嫌そうに言って、女の子から腕を放そうとするが、どうもしっかりつかまれているようだ。
「君のお姉さま?」 望に向かって聞くと、何故か二人とも嫌な顔をした。
「僕は一人っ子で、これはミチル」と望。
「誰がお姉さまですって。同じ新入生に向かって...」言いかけてアレクサンドルの顔を見たミチルがちょっとポカンとした。
「それは失礼しました。私はアレクサンドル オルロフ、同級生ですね。これから宜しくお願いします」
「うん。僕は天宮望。これはミチル 柳。仲良くしてね」
「こちらこそ仲良くしてください、天宮さん、柳さん」
「望って呼んで。ミチルも、ミチルの方がいいよね?」
「ええ、構わないわ」 ミチルがちょっと気取って言った。
「それでは私のことも、アレクサンドルで良いです」
「アレク サンドル、だね。よろしく」 どうもアレクサンドルという名前が長ぎすぎて望には一息に言えないようだ。その言い方も可愛い。本当に同じ年なのでしょうか。
「望はおじい様ときたんだね? 私もそうなんだ」 何となく、望のご両親もいないのではないか、と気になって遠回しに訊いてみた。
「そう。お父様とお母様は星に行っちゃったから、来れなかったの」 望がちょっと寂しそうに言った。 やっぱりこの子もご両親が亡くなっていたのですね、誰かがアレクサンドルの両親は星になったのよ、と言ったのを思い出した。
「ごめんね、いやなことを思い出させて。私の両親もそうなんです」 誰かに両親の事を話すのは、テロリストの仕掛けた爆弾で両親を亡くして以来初めての事だった。
「そうなの?」望が目を丸くして驚いてからにっこり笑った。
「一緒のクラスになるといいね」
その後、望の『星に行った』というのは言葉通りの意味で、決して望が『星になった』という表現を間違えて覚えていたわけではない、とアレクサンドルが知るのは2年もたってからだった。