218. ハワイ島での休暇
「やっぱりここの海は色が違うわねえ。望、泳ぎに行くでしょ?」海に面したテラスに出て大きく伸びをしたミチルが嬉しそうに言った。
7月のハワイ島は真夏で、眼下に広がる海はどこまでも澄んでいた。時折立つさざ波は眩しすぎて思わず目を細めた。
「ミチルは元気だよね。僕は今日ぐらい少しゆっくりしたいよ」 大学の講義と赤井教授の手伝い、グリーンフューチャーでの研究進行のチェック、それに加えてHappy Death Co.で受注済みのラストドリーム作成と連日休む暇もなかった望は、ハワイ島でのんびりするのを楽しみにしていた。それに引き換え、ミチルは望が遠出しないので道場に入り浸ることができて元気だ。久しぶりの遠出を楽しみにしていたようだ。
「望は鍛え方が足りないわね。泳ぐのがいやなら修行でも良いわよ。リトリートにうちの道場のプログラムも入れたことだし」 ミチルが脅すように言った。
「わかったよ。ちょっとだけ待ってくれたら海まで付き合うから」 望は諦めてそういうと窓際においたカリの鉢に近寄った。
「カリ、そこで大丈夫?日差しが強すぎない?」
『大丈夫。気持ちいい』カリがどこか眠そうに答えた。昨夜遅く着いたので、カリもまだ疲れているのかもしれない。
「僕はミチルと少し泳ぎに行ってくるからね。もし居心地が悪くなったりしたら僕かハチに言って」
『わかった。海は危ないから気をつけてね、お母さん』 海は危ない?誰がそんな事を言ったんだろう?
「海は危なくなんかないわよ。カリみたいな弱虫には危ないかもしれないけど」 ミチルがカリをからかうように言った。ミチルにカリの言葉がわかるようになって、本当に厄介だ。
『海は凄く危ない。ハチもそう言っていた。ミチルはお馬鹿だから海の怖さがわからない』 犯人はハチのようだ。確かに、海は怖いかもしれないけど、ハチはまた余計なことをカリに教えているようだ。
「カリもハチも海が怖いのね。泳げないものね」 ミチルが馬鹿にしたように言い返した。
「ミチル様、私は深海でも、大気圏外でも大丈夫なように作られております。失礼ながら、海への耐性はミチル様より上でございます」 ハチが執事姿で現れてミチルに反論した。ハチとミチルも相性が良くないようだ。
『カリも、多分、大丈夫』いやカリ、カリは駄目だと思うよ。
「カリ、そんな事で競わなくても良いからね」 望はそう言って、カリをなでた。
「望、もういいでしょ。行くわよ」 ミチルはそういうと望を引っ張ってドアに向かった。
「ああ、やっぱり気持ちいいわね」 出掛けのカリとの舌戦で少し苛立っていたミチルだが、海に入ってひと泳ぎして戻ってきた頃にはすっかり機嫌がなおっていた。
「そうだね」 グリーンフューチャーズの従業員用に用意されたパラソルの下でビーチチェアに寝転んでうとうとしていた望も同意した。
「望もゴロゴロしてないで、泳いできたら?目が覚めるわよ」
「僕は別に目を覚ましたくないんだから」 ブツブツ言う望を無視してミチルは望の腕を掴んで引っ張り上げ、海際まで行くと思いっきり背中を押した。
「うわっ」 水はそう冷たくはないがミチルの馬鹿力で押されて頭から水に浸かってしまった望は頭を上げて息をした。この辺りはいきなり深くなっているので浜から少し離れると足は立たない。諦めて仰向けに浮きながら目を閉じ、波に流されるままにしていると前面に当たる日差しが熱くて背中の冷たい水の感触を中和してくれるのが気持ちいい。これは砂浜にいるよりいいかもしれないと波に任せることにした。
『ノゾミ、また寝ているのね。そんなところで寝ては危ないわ』
「マザー?」 望は慌てて目を開けた。どうやらウトウトしてしまったらしい。次の瞬間、誰かが腕を掴んで引っ張った。
「望、何をしているのよ!まさか寝てたんじゃないでしょうね?」 ミチルが慌てたような声を上げて望の腕を引っ張ている。引っ張られてバランスを失った望は慌てて立ち泳ぎを始めた。
「引っ張らないでよ。危ないじゃない」 文句を言うとミチルが呆れたようにため息をついた。
「私がちょっと目を離しただけで流されていくなんて、一体幾つなのよ?」そう言われて辺りをみると砂浜はずっと遠くに見えた。いつの間にこんなに遠くまできてしまったのか。どうやら引き潮らしく今も体が沖の方へと流されて行く。
とにかく浜に戻ろうと、ミチルに促されて浜に向かって泳ぎ始めたが潮の流れが強く、なかなか近づけない。ミチルに先に行って、と言ったが、ミチルは承知しない。困ったと思っているところに小さなボートが近づいてきた。見るとプリンスが手を振っている。
「有難う。助かったよ」 ボートに上がって、望が礼を言った。
「でも今日は会議だって言ってなかった?」
「ハチから望が危ないと連絡が入りましたから。現在地も知らせてくれましたからすぐ見つけられました」
「そうだったのね。もう望を気絶させて抱えていくしかないと思ってたから助かったわ」 ミチル、そんなことを考えていたのか。
「ハチ、有難う」 望は腕に嵌めたハチにお礼を言った。
「それより、ハチは何で望を起こさなかったの?」 ミチルはハチに文句を言っている。
「望様の心拍数は穏やかで、快感を感じておられました。ミチル様が現れてから異常が現れましたので、緊急事態とみなし、対処致しました」 ハチの声がそう答えた。




