217. どうやらアカはすごく強いらしい
「望、今日は講義がありませんよね?」プリンスが朝食の席で大学のユニフォームを着ている望を見て訊いた。連休も終わり、学校が始まってから2週間目の週末だった。
「そうなんだけど、六ツ美さんから研究室に来るように言われたんだ。何だかアカについての研究に進捗があったとかで」
「先週もそんなことを言って望を呼び出して研究所の植物との通訳をやらせようとしただけだったじゃない」 ミチルが疑わしそうに言った。
「でも、もし本当だったら大変だし...」 付き合うミチルに申し訳なく思うが、やはり行くしかない、と望は思った。
「それなら今日は私も一緒に行きましょう。私もスポンサーの一人ですしね。着替えますから少しだけ待っていて下さい」 プリンスがそう言って、優雅に急ぐという望には真似できない身のこなしで部屋を出て行った。
「望、待ってたよ。親、今日はプリンスも一緒かい?ちょうどよかった」 赤井教授は充血した目で望達を迎えた。白衣はくたびれていて、髪も普段よりぼさぼさだ。
「六ッ美さん、昨夜もここに泊まったんですか?」 望が心配そうに訊いた。ミチルが散らかっている研究室を見渡して、ソファーと椅子を見つけると、その上に置いてあった数枚の汚れた白衣のようなものを丸めて部屋の隅のランドリーシュートに放り込み、プリンスと望に座る様に促した。
「まあね、それよりこの実験結果を見てくれ」 どこか興奮した様子の教授は望にタブレットを差し出した。望がタブレットを見ると、隣でプリンス、後ろからミチルが覗き込んだ。それから、3人とも首を傾げた。
「シュミレーションだということはわかるのですが、どういったシュミレーションなのでしょうか?これだけではわけがわからないのですが」 プリンスが教授に訊いた。
「うん?そうか?そう言えばわざと見られてもわからないようにしてあったのを忘れてたよ。 この数字は気温だ。これは大気の成分と含有率、こっちが水分だ」 教授に説明されてもう一度3人はタブレットを見た。
「これは本当ですか?」 しばらく数種類のシュミレーションを見比べていたプリンスが訊ねた。
「ああ、間違いない。勿論これはまだ細胞でのシュミレーションだが、増殖速度も凄いからそのうちクローン体での実験ができるだろう」
「これって、僕の間違いでなければ、摂氏マイナス120度からプラス120度までの気温で生きられるということ、だよね?水も殆ど必要としていない?」 望がタブレットから顔を上げ、信じられないと言う顔で確認した。
「そういうことになるな」
「しかし、それなら何故5万年の間、発芽しなかったのでしょう? これが本当なら、北極の氷など問題にしないで発芽していたはずではありませんか?」 プリンスの疑問に教授も頷いた。
「アカは寒いところだから眠っていたと言っていたはずだけど?」 望もアカの話を思い出して教授に質問した。
「この間の調査でも、あの木の記憶はかなり混濁しているように思えた。一貫していないと言っていい。或いは他の木の記憶と混じることがあるのかもしれない。ただ一つ言えることは、あの木は発芽にトリガーが必要らしい、ということだ」
「トリガー?」 望の呟きに教授が大きく頷いた。
「そう、望、君だね。君が触れたから発芽したのだよ。アカの細胞は当初全く増えなかった。そこで君に来てもらって、実験を手伝って貰った。その途端、ものすごい勢いで増殖し始めた」
「そうだったんですか?」 知らなかった、と望が呟いた。
「君の何かが、トリガーになっているはずだ。と言うわけで今日は君の血を少し貰いたいんだが、構わないよね?」 いつの間にか採血器具を持っていた教授が素早く望の腕を掴んで、針を打ち込んだ。
「六ッ美さん、いきなり何をするんですか? この前も僕から採血したじゃないですか?」 思わず抗議の声を上げたが教授は既に血を取り終わっていた。
「あれは別の実験に使ってしまったんだよ。よし、今日はもう帰って良いよ」 教授はそいう言うと手で3人を追い払う仕草をして、奥の実験室に入って行ってしまった。
「何だかバンパイアに襲われて捨てられたような気がする」 望がそうぼやいた。




