119. 難しいお客さん
「わしは地獄に行きたいんじゃ!」 今年150歳になる男がわめいている。この世代はインヒビターを使っていないせいもあって感情的な人が多いな、とコンサルに当たった医師は内心でぼやいた。
「地獄?ですか。それではあなたは地獄を信じていらっしゃると」 ということは天国も信じているのか。ならば何故、天国に行きたいと願わないのか。
「わしは悪いことを数え切れないほどしてきた。わしは罰を受けるべきなのに、誰もわしに罰を与えることができん。わしは、苦しみたい。地獄の釜で茹でられ、体がなくなるまでムチで打たれ、烏に生きたまま目玉を食われ…」 男の想像力に医師はうんざりしていた。誰だ、この男に自死の許可を出したのは。まあ、年齢から言ってすぐ出たのだろうが、精神科に送るべきケースだ。紹介者が連邦の大物政治家でなければ、丁寧にお断りするところだ。
「申し訳ございませんが、ラストドリーム中にそのような苦痛を意図的に施すことは当社のポリシーに反しますのでご要望はお受けできません」医師がそう告げると、男の表情が変わった。涙を滲ませて、懺悔をしているような顔が、一瞬で、拒否を許さない酷薄で傲慢なものになった。そして、ある名前を医師に告げた。今年5才になる医師の一人娘の名前だった。
「可愛いお嬢さんですな。もうすぐ学園に通われるそうじゃないですか。宜しければネオ東京のTSNをご紹介できますよ。他の都市ではこんな可愛いお嬢さんに何があるかわかりませんからな」 親切めいた言葉は穏やかだったが、医師にははっきりとそれが脅しだとわかった。脅しと、賄賂だ。
「どうだろう。私の夢を叶えてくれるかね?それと、わしのラストドリームはノゾム アマミヤに作成して欲しい。なんでも最高のものを、というのがわしの信条でな。金なら幾らでも払う。彼以外の2流の作成者などに用はないぞ」
「天宮は現在新しい仕事を一切受けておりません。特殊なケースですので、上と相談してからお返事差し上げます」 医師はそう言うのがやっとだった。
「私の歳では長くは待てんので、なるべく早く良い返事を貰えるのを待っておりますぞ」
そう言って、漸く男は面談室を出ていった。
「地獄?」 祖父に呼び戻されて京都の家に来た望は、家に着くなり会社の方の祖父の研究室に呼ばれ、難しい客の要望を聞かされて呆れた。横で聞いていたミチルも、何故そんな客を断っていないのかと怪訝そうな顔をしている。
「おじい様、そのお客様は少しおかしいのではないですか?精神科に回っていただいた方が良さそうに思うんだけど」 珍しく望に同意してミチルも頷いている。
「わしもそう思ったんだが、担当の医師は、娘の名を出して脅されたらしい」
「そんな、脅したんだったらお客様とも言えないでしょう?どうして警察に届けないの?」 コンサルは勿論記録されている。脅したりしたのなら警察に届けることができるはずだ」
「それがな、実にずる賢いやつで、脅すような言葉は使って無くてな、それでも脅されていることはわかるが、とても証拠にはならん」
「それにしても...」 亜望はなおも言いつのろうとした望を止めて、言葉を続けた。
「それにな、その客と言うのがドミニク バーンスタインなんだ」
「バーンスタイン?」 望は聞いたことがなかったのでミチルを見たが、ミチルも心当たりがないようだ。
「望やミチルさんの世代は知らんかな?できたばかりの連邦とA&Aが戦争になりそうになった時、それを止めたのが連邦とA&Aの最先端のシュミレーションだったのは知っているだろう?」 学校で習ったので、勿論知っている、と望とミチルは頷いた。
「そのシュミレーションによる連邦に有利な戦争回避の条件が、当時連邦の裏社会を牛耳っていたバーンスタインを味方につけてから、A&Aを掌握したマクニール ウォルターとの交渉にあたることだと計算されたんだ。もしバーンスタインを味方につけることが出来ないでA&Aと戦争になった場合、連邦はかなりの被害を被って衰退するとな。ブランソン連邦大統領がバーンスタインと直接会って話し合った結果、バーンスタインを味方にすることができた。バーンスタインは、少なくとも表向きは、すべての違法事業を止めるか、A&Aに移し、その代わり、これまでの違法行為はすべて免罪とされた。非合法な事業でため込んだ財産もそのまま持つことを許された。この措置に関しては批判もあったが、世界大戦を避けるためということと、この免罪は過去の罪に対してだけで、もしそれ以後罪を犯した場合は普通に罰せられるという条件がついていたため、多くの人はそのうち何かの罪を犯して捕まるだろうと思って、とりあえず同意したんだ。だが、バーンスタインはそれ以後一切非合法な事業には手を出さす、今では政界を裏から動かすような力を持っていると言われている」
「それで、どうして僕を呼んだの?」 なんだか難しい話みたいだけど、望にはどうしようもないような人みたいなのに、どうして自分が呼ばれたのかなと不思議に思った。
「とにかくコンサルの様子を見てくれ」 亜望はそう言ってバーンスタインのコンサルのイメージを再生した。
「これは、脅してるけれど、確かに証明は難しいわね」 ミチルが忌々しそうに言った。
「僕に創って欲しいって言ってるの?僕、地獄なんか作れないよ」 望はバーンスタインの描写に青ざめて首を振った。
「会長、これは断れない訳でもあるのですか?まさかこの脅しに屈して、ということではありませんよね?」 ミチルが亜望を鋭い目で見た。
「訳、というか、紹介してきた連邦議員には昔かなりお世話になったんだが、これまで一度もわしに何かを頼んできたことなどないんじゃ。ことが望にラストドリームを頼む、ということだけなら、わしは望に頭を下げて無理を言うつもりだった。しかし、この内容がなあ」 亜望は弱り切った顔をして望を見た。
「望に何か良い案でもないかと思ってなあ」
「そんな男なら、希望どおり地獄を見せてやったら?」ミチルが自分でその役をやりたそうな顔で言った。
「そんなわけにいかないよ。おじい様、僕、少し考えてみます」
「そうか、頼むよ」 亜望はほっとしたようだが、あまり期待されても困るな、と思う望だ。