96.カリは強い子
「馬鹿!大きな声を出さないで」 周りから呆れたような視線を向けられて、ミチルが望を引っ張って部屋の隅に連れていく。
「だって、結婚なんて言うから」 望だって、上流階級ではまだ結婚という制度を守っている家が多いのは知っている。望の家でも、両親も、祖父母も結婚している。それでも、17歳やそこらでそんな話が出ることはない、多分。普通の人達はほとんどが、パートナー制度を利用している。これは結婚制度よりも解消が簡単で、法律上の特典は受けることができるからだ。結婚制度は解消が大変難しいと聞いている。それにしても、あまり若い時にパートナーを選ぶことはなく、30代が普通だ。
「本当の上流階級では、成人にると同時に婚約者がいる人は結構多いのよ」ミチルがわかってないわね、というように言った。
「特にプリンスは皆に子供を持つのを切望されているからな」 リーまでが訳知り顔に頷いている。プリンスのご両親が殺されて、たった一人の後継者となったプリンスには、父方、母方両方の祖父母、曾祖父母からの愛情が重くのしかかっている。誰もが、プリンスに何かあったら、と心配している。一日も早く子供を持って欲しい、と思われるのも、無理はないのだろう。
「それはそうかもしれないけれど」 望は着飾った人々に囲まれて姿が見えないプリンスの方を見ながら、彼の気持ちを思ってため息をついた。
「パーティのついでに紹介しておこうってだけだろ。今すぐどうこうって話じゃないよ」 リーが軽い口調で言って、また食べ物を取りに行った。
「どうせここにいなくちゃいけないんだから、私達も何か食べましょうよ」ミチルに促されてブッフェテーブルに向かって歩き出そうとして、まだカリの鉢を抱えているのに気が付いた。ゴーストはいつの間にかどこかに消えている。
「カリ、ちょっとここにいても大丈夫?」 部屋の隅にカリをそっと下ろしながら訊いた。
『カリは、大丈夫。変な人がきたらやっつける』 なんだか張り切っている。
「変な人がきたら、僕を呼んでね?」 望はちょっと不安だったが、ミチルに急かされて歩き出した。
テーブルの上には、リーが言ったように世界各地の名物料理が並んでいた。望は好物のカレー入りのナンを見つけて取り分けた。ミチルは珍しい野菜の入ったサラダと、何種類かのデザートを取っている。リーは中華料理を山盛りにしている。 近くにテーブルを見つけて、会場を眺めながら食事をする。
「流石にどれも美味しいわね。有難う」 ミチルがコーヒーを持ってきてくれた給仕に礼を言った。パーティで人間の給仕、というのは余程の上流階級だけなので、望などはうっかりして、相手が人間であることに気が付かなかった。しまった、と思ったがもうどこかに行ってしまっていた。
「望、ミチル、疲れている時におじい様達が迷惑をかけてすいません」 フロアで踊る人達を、昔の映画みたい、などと思いながらぼんやり見ていたら、やっと人込みから解放されたらしいプリンスがやってきた。疲れている。
「僕たちは美味しいものを戴いて、のんびりしているから大丈夫だよ。プリンスこそ疲れたんじゃない?何か食べた?」
「いえ、挨拶に忙しくてまだです。あとで果物でも戴きます」 望の横の椅子に座り、寄ってきた給仕からコーヒーを受け取り、礼を言った。
「それで、好みの子いなかったか?」 リーがからかうように訊いた。
「そういうんじゃないですよ。しばらく会っていない親戚とか、おじい様おばあ様達のご友人とか、そのご家族とか、私の誕生日を口実にした身内の集まりです」 少なくともおじい様はそう言った、とプリンス。
「ふうん。やけに若い女の子が多いと思ったんだがな」 リーがまだにやにやしている。プリンスは顔をしかめて、コーヒーを飲んだ。
「きゃあ」 突然部屋の向こうから叫び声が聞こえた。慌ててそちらを見ると、部屋の隅で手を押さえてうずくまっている女性がいた。何事か、とプリンスが立ち上がってそちらに向かうのを見て、望達も後に続いた。
『お母さん、カリ、やっつけたの』 その時、カリの声がして、望は慌ててカリを見た。女性は、カリの鉢の前でうずくまっている。
「どうされましたか?」 プリンスが声をかけると、うずくまっていた女性が顔をあげて、こちらを見た。望達よりは年上だが、まだ20歳ほどの若い女性だった。パーティドレスを着て、少しドレスにはそぐわないような大きめのクラッチバッグを持っている。
「プリンス! ちょっとここを通りかかってこの木の葉に触れたら、こんなになってしまって。すごく痛いわ。こんな危ない木があるなんて」 甘えるようにそう言って女性は右手を差し出した。指先が赤く腫れている。
『カリ、触られたの?大丈夫?』望はこっそりカリに訊いた。
『大丈夫。カリの枝を折ろうとしたの。だからやっつけたの』そう言われてカリを見ると上についていた葉が2~3枚ちぎれ、枝が一本折れそうになっている。
「カリの枝を折ろうとしたからって言ってるけど」 望はそっとプリンスに囁いた。それを聞いたプリンスは冷たい笑みを浮かべ、女性の手を取って、立ち上がらせた。
「手当をさせますので、どうぞこちらへ」 そのままうっとりしている女性をエスコートして部屋を出て行った。
「僕達も行った方が良いかな?」 どうしよう、とミチルとリーを見る。
「当たり前だろ。面白そうだぜ」 リーに言われて、カリの鉢を抱えて、後に続いた。