12. プリンスのたくらみ
「リー、チャールズのことですが」
早朝の乳しぼりの後で、ミチルも満足するような、新鮮な野菜と果物、自家製のミルクやチーズがふんだんに使われた美味しい朝食を済ませ、望が仕事の打ち合わせのためにマックに呼ばれて部屋を出ていくと、プリンスがリーに呼びかけた。
「考えていてもしょうがないから、会って本当の目的を聞いてみたらどうでしょうか」
「会って締め上げるか」
「暴力に訴えなくても私に考えがあります」
プリンスは自分のプランを2人に説明した。
「よし、面白そうだ。丁度明日アリス スプリングの近くに住むアランテ族の村へ行く予定だったよな。あそこならいくらでもチャンスがある」
リーの瞳が光った。
「ミチル、早速チャールズに連絡してくれ」
「いいけど、余り手荒な事はやめてよね」
疑わしそうにリーを見ながらミチルが言った。
「手荒な事?俺たちがそんな事するわけないだろ、なあ」
「心配しなくてもチャールズには傷一つ付けませんよ、ミチル」
7月12日
オーストラリア アリス スプリング
「天宮はどうしたんだ?」待ち合わせの場所に運転手付きの車で現れたチャールズは運転手に車で待っているよう指示すると急いでミチル達の方に歩み寄った。
「望は疲れたとかで、今日は部屋で休んでいるのよ。ウォン先生も、原始的生活は読むだけで経験しなくても結構とおっしゃって、今日は見えなかったし、チャールズが来てくれてよかったわ」ミチルが何でもないことのように答える。
望は当初の予定通り、今朝からマックとラストドリーム作成に入っている。残念ながら遊ぶ時間は殆どない。
「原始的な生活?経験?」チャールズが不安そうな声を出した。
「ミチルが言いませんでしたか?今日はオーストラリアの先住民部落の特別行事で、ワニ狩りを行うのです。神聖な儀式で普通見せてはいただけないのですが、ウォン先生のおじい様の紹介で特別に計らっていただきました。滅多にできない経験ですから、私たちは本当に運がよかったと思いませんか?」
プリンスが優雅に微笑みながら同意を求めた。
「ああ、本当にラッキーだったよな」リーとミチルがまじめな顔で頷いた。
4人は車を離れてプリンスのLCに案内されながら細い道を進んだ・
緩い傾斜を30分も上ると木に囲まれた小さな部落があった。
椅子に腰掛けた小柄な老人が、地面に座っている数人の子供たちに何か話していたが、プリンスが話しかけると、満面に笑みを浮かべて椅子から立ち上がった。
「本当に凄いな、プリンスは。もう話せるようになってるよ」
「本当ね。私も一応簡単な会話だけ読んでみたけど、発音がとても難しくて覚えるどころじゃなかったわ」
「ところでプリンス、何を話してたんですか?」
戻ってきたプリンスにチャールズが聞いた。
「私もほんの少しかじっただけで、込み入った話はできないから、今日はお世話になります、というようなただの挨拶です。狩はもう始まっているそうですから、急ぎましょう」
「あのじいさんの案内で?」
足元の覚束ない様子を見て、チャールズが疑わしげに聞いた。
「いいえ、子供たちが、狩の現場まで連れて行ってくれるそうです」
話しているうちに、地面に座っていた子供のうち、2人がやってきた。
ついて来い、と身振りで示すと素早く木の間に消えた。4人は急いで後を追った。
15分も走ると、河が広がっているのが遠くに見えた。その辺りに小船が数艘出ている。 「河にすむ鰐は小さいから心配するなと言っています。3メートル程になるようですが海の近くにいる鰐は7メートルにも育つそうで す」
「3メートル?それをあの槍で捕まえるの?」
ミチルが心配そうに言った。
しかし、男たちは慣れたもので河に飛び込むと瞬く間に一頭をしとめてしまった。
子供たちがプリンスに何か言っている。
「これから鰐の料理をするそうですが、食べていくかと言っています」
「折角だが、今日のところは遠慮すると言ってくれ。チャールズが食べてみたいなら付き合うが」
「僕は結構です。車を待たせてきたのでもう帰らないと」
「そうですか。では先に戻ると伝えてきます」
子供たちに案内されてきた道を、今度はゆっくりしたペースで歩いた。
「チャールズ、どうだった?結構面白いだろう、俺たちのクラブ」
「凄いところに行くんだね。いつもこんな原始的なところへ行くわけじゃないよね?」
「昔の言葉を使っているところ、というとどうしても特別保護区域になるから、それはしょうがないのよ」
「おかげで部員が増えなくて困っています。チャールズが入部希望と聞いて今日は是非お誘いしようと思いました。どうでしたか?」
プリンスが真面目な顔でチャールズを勧誘している。
「あの、凄いクラブだと思うけど、その、僕は余り自由になる時間がないから多分クラブでの旅行とかには余り参加できないかと思うんだけど」
「それは残念ですね。このクラブは現地体験が目的ですから、旅行に参加できないのでは入部の意味がないですから」
「そ、そうだよね。残念だな」
チャールズが見るからにほっとしているのを、気がつかない振りをしてミチルが何気なくチャールズの肩をたたいた。
「本当に残念だわ。貴方なら部員になれるかと思ってお誘いしたのに」
言いかけたミチルが、小さく悲鳴を上げた。ミチルの(外向けの)イメージを裏切らないかわいい悲鳴にリーが思わず下を向いて笑いをこらえながら心配そうな声をあげた。
「どうした、ミチル?」
リーの問いかけにミチルがチャールズの左腕を指で指し示した。
チャールズは自分の腕を見下ろして真っ青になった。何やら気持ちの悪い大きなものが上着から出ている手首に張り付いているのだ。
「蛭です。動かないで、無理に剥がすと皮が剥けます。私が剥がしますから、じっとして」
除き込んだプリンスが落ち着いた声で言った。
チャールズは硬直してしまった。
「チャールズ、動かなければ大丈夫だから」ミチルが安心させるように言った。
「リー、腕が動かないように抑えて」
「ああ」
リーはプリンスとチャールズの間に体を入れてチャールズの腕が動かないようにおさえた。
「もう少しですからね」
プリンスはほんの少しずつ蛭をチャールズの腕から引き剥がしている。チャールズは見ていることが出来なくて首を反らして目を閉じた。
「ブラク、スイデニアツ(接続)」
プリンスのLCブラクから細い線がでて、チャールズの腕のPCに進入した。LCのセキュリティを破るにはどうしても直接の接触が必要なのだ。
プリンスが小声で命令した。
「ゼグリジィチェ シェフ ダンヌフ(すべてのデータをダウンロードしろ)」
(ザコンチュワ:ダウンロード完了)ブラクはサイレントモードで終了のシグナルを出した。
「プリンスはなんて言ってるんだ?」チャールズが気を紛らすように、ミチルに聞いた。
「さあ、プリンスは何ヶ国語もできるから。日替わりで違う言葉を使うのよ。私の前で使うには不適当な言葉じゃないのかしら。私は日本語が多少できるだけなの」
ミチルは無邪気な顔で答えた。
勿論わかっている。クラブ活動と称しているだけに4人の間ではロシア語、日本語、中国語が日常使われていた。
多分気持ちの悪さに悪態でもついたのか、と納得したチャールズは、もう大丈夫だとリーに腕を自由にされると、ほっとしたように辺りを見回した。 もうかなり開けた場所まで来ていたので急いで車を呼んだ。
すぐに車が上空に現れ、目前に着陸した。
「ネオ東京とは違うからね。毒性のものではありませんが、何かあったら大変です。すぐにホテルに帰って消毒して貰った方が良いですよ」
プリンスが心配するように言った。
毒性と聞いたチャールズが真っ青になって車に乗り込んだ。
「そうね。こちらではどんな小さな怪我も油断しないようにと私もお父様に散々注意されてきたのよ。あと、あぶないから絶対一人にならないようにって」ミチルがチャールズに別れを言いながら付け加えた。
本当は、望様を絶対一人にしないように、と散々言われてきたのだ。
今日は一人で置いてきた事を思い出して少し罪の意識を感じる。しょうがないじゃない。いつも張り付いているわけにはいかないのよ!