81. 今度は本当の誘拐事件です
「誰だか知らないが、こんなことをしてただで済むと思っているのか?」 グリーンフーズの植物研究所の主任研究員であるマイケル ビショップはテーブルと椅子だけが置かれた狭い白い部屋の中で姿の見えない相手に向かって話しかけた。この頃ずっとハワイ島の研究所に泊まり込みだったのだが、久しぶりに数日の休暇がとれ、ロスにある自分のアパートに帰る途中だった。オートキャブに乗ったら、急に眠くなって、次に気がついたらこの部屋の中だ。
机の上に置かれた黄色い果物を見れば、何故こんな目にあっているのかは説明されなくてもわかる。まあ、それでもご丁寧にマイケルにやってもらいたいことと、その報酬を示したスクリーンが目の前にあったが。
「こちらの希望はお伝えしました。条件を満たせば、提示したクレジットをすぐに貴方の口座に支払います。これは正当な仕事の依頼です」
無機質なAIの声が窓のない小部屋の中に響く。
「これのどこがまっとうな仕事の依頼だというんだ?仕事の依頼ならグリーンフーズを通してくれ」
「仕事を受けていただけなくて残念です。私どもは大変辛抱強いので、ビショップ氏のお気持ちが変わるまで待たせて戴きます。お気持ちが変わられましたら、声をかけてください」無機質な声なのに何故か脅迫されているような気持ちにさせる。多分、いや間違いなく、脅迫しているのだが。
「おい、待てよ、承知するまでここに閉じ込めておく気か?」 大声をあげたが、何の返事もなかった。どのくらいすれば助けがくるだろうか? グリーンフーズのセキュリティは万全だ。特に最近画期的な果物であるニューマナが市場に出てからは警備が厳しくなった。いくら休暇中でもいなくなればすぐに捜査されるはずだ。ただ、ビショップはアパートで一人暮らしだ。確か研究所を出る前にこの休みはずっと寝て過ごすつもりだからよっぽどのことが無い限り邪魔するな、と言ってきた覚えがある。すごく疲れていたので本気だった。ヘタをしたら1週間後の休暇明けで戻ってこないとわかるまで、いなくなったことに誰も気がついてくれない恐れもある。ここで1週間以上、耐えられるだろうか。
「誘拐?本物の?」望が驚いて立ち上がった。
新学期が始まって1週間、漸く週末になった。休みの間の疲れも漸くとれて、カリを相手にくつろいでいた望の部屋にプリンスがやってきた。ハワイ島の研究所の職員が誘拐されたようだ、という。
「ええ、セキュリティが調べたところ誘拐されたのは間違いない、ということです」プリンスが苦い顔をして言った。
「ビショップさんって、確かココナッツの実を持ってきた人だよね?」望はどんな人だったか思い出そうとしてみたが、覚えているのは彼の持ってきたココナッツだけだった。
「ええ、彼はあそこの主任の一人で、ロスにアパートがあるそうなのですが、このところ忙しくてしばらく休みがとれなかったので、3日前に1週間の休みをとってロスに帰りました。昨日セキュリティが定期のチェックを入れたところ返事がなく、部屋にも戻っていないのがわかったそうです。今詳しい足取りを調べているのですが、ロスでオートキャブに乗り込んだところで足取りが途絶えてます」
「警察には届けたの?」
「一人暮らしの男が休みに見つからない、と言っても事件性があるとは思ってくれない事が多いのでまだ届けてはいません」
「まあ、確かにプリンスのところのセキュリティなら警察より優秀だよね。僕に何か出来ることはない?」
「その事なのですが、ちょっとハチの力を借りても良いですか?」
「勿論だよ。そうか、ハチなら」望はそう言ってハチに呼びかけた。
「ハチ、グリーンフーズハワイ島の研究所のマイケル ビショップ氏の居場所わかる?」
「残念ながら、ビショップ氏はLCを取り上げられたようです。彼のLCのある場所でもよろしいですか?」 執事姿のハチが現れて訊いた。
「お願いします」 プリンスが頷いた。
「LCの現在地はここです」 ハチの姿が消えて、地図が現れた。
「これは、どこ?」 地図からではよくわからなかった望が訊いた。
「香港にあるミラクルフーズビルの地下7階です」ハチの声が言った。
「やはりミラクルフーズですか。しかし香港とは困りましたね」 ため息をつきながらプリンスが言った。香港はミラクルフーズのお膝元だ。
「LC の状態はどうですか、ハチ」プリンスの問いに再び執事姿になっていたハチが望を見た。望が頷いたのを見て答える。
「現在分析器にかけられています。まだセキュリティは破られていませんが、後数分で破られます」
「彼のLCの内容をすべてダウンロードしてから、初期化してくれないかな?それと、ミラクルフーズのビルの設計図とセキュリティを」
ハチは又望を見て、望が頷くと数分で 「完了しました。設計図とセキュリティの詳細はブラクに送りました」と告げた。ブラクはプリンスのLCだ。しかし、なんでハチはプリンスのリクエストだと僕に確かめて、ミチルのリクエストには確かめずに答えるんだろう?望は疑問に思ったが今はそんな場合じゃないし、と口に出すことはなかった。
「ハチ、望、有難う。僕はちょっと失礼するよ」 プリンスはLCに指示を出しながら慌ただしく部屋を出ようとした。ビショップ氏を助ける手配をするのだろう。
「少々お待ちください」 ハチがプリンスを呼び止めた。
「セキュリティの詳細から、ビショップ氏の現在地がわかりました」 ハチが消えて高層ビルのイメージが浮かび、その中の一室が赤くなっている。
「助かります。もし、移動したらわかりますか?」ハチの声がはい、と答えた。
「それでは、もし移動したらすぐに連絡をください」 プリンスはそう頼んで、今度こそ部屋を出て行った。