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第1部  1.逮捕? 誘拐?

時代は25世紀の半ばですが、天災、人災で一度文明が衰退しかけた後の世界なため、現代とそれほどの文明差はない想定です。主人公の天宮望は非凡な友人達に囲まれた、本人の意識では、普通の学生です。多少のんびりした性格で、アルバイトもしていますが、苦学生というわけでもなく、

普通に幸せな学生生活を送っています。特に残酷なことも、ひどい出来事も起こりません。

自分の死期を選ぶ自由のある社会となっているので、その前提に忌避感のある方はどうか読まないでください。



昔者、荘周夢に胡蝶と為る。


栩栩然として胡蝶なり。


自ら喩しみ志に適へるかな。


周なるを知らざるなり。


俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。


知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。


周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。


此れを之れ物化と謂ふ。


                      (胡蝶の夢 荘子)






  プロローグ


 五万一千年前 アフリカ大陸



 誰も口を開くものはなかった。


 百人余が古い大木の下で、何もない空間を見つめている。最後の一人がそこから送り込まれてからもう既に長い時間が経った。


「これだけなのか」


「後はどうなったのだ?」


 誰の心にも同じ疑問があったが、誰もそれを口にできなかった。



 その時、かすかに空気の揺れがおきて、空間に白い影が現れた。見る間にそれは十歳程の男の子になった。男の子はしっかりと腕に小さな包みを抱いている。


 同時に、全員の頭のなかに声が聞こえた。



「これで最後です。もう時間がありません。その世界には我々と同種の人間が生まれていますが、まだ未発達です。彼らを助けて、仲良く、共に生きていってください。皆の未来が、私達の未来でもあります。私の娘に私達の世界の記録を託しました。その子の血を絶やさないで。もし、いつか」


 そこで声は途切れた。長い間待ったが、もうそれ以上何も聞こえなかった。


 人々は呆然と辺りを見回した。彼らは小高い草原の上にいた。辺りには見慣れない低い草木が生い茂っている。これから、ここで暮らしていかなくてはならないのか。


「たったこれだけしか助からなかったのか」


 誰かがつぶやいた。


「これからどうしたらいいんだ?」


 誰もそれに答えるものはなかった。



 その時、少年の腕に抱かれた包みのなかで、赤ん坊が泣き出した。少年がなだめようとして、赤ん坊を包みから出した。


 赤ん坊は泣き止んで目を開け、辺りを見回した。その瞳に沈みかけた夕日が映って、黄金色に光った。


「おお、マザーの瞳だ」


「マザー」何人かが泣き出していた.



 物珍しそうに辺りを見ていた赤ん坊は、やがて誰にともなく、にっこりと笑った。


 途方にくれていた人々は、その笑顔に徐々に自分自身を取り戻していった。彼らは、滅び行く世界の最後の希望なのだ。マザーが最後の力で、次元の扉を開けて逃がしてくれた。必ず生き延びて、この子を守らなくてはならない。




第1章 



 西暦2452年 4月25日 10:00


  日本地区 長野県 小諸市


 ダグラス モリ(125歳)は一生の願いが適って、生まれたときから住んでいたアフリカ大陸、ナイジェリア、ラゴス市から退職と同時に両親の故郷である日本地区、長野にある小諸市に引越した。


  子供の頃には祖父母がまだ生きていて、幾度か遊びに来たのだが、祖父母が亡くなってからは来る機会がなかった。


 いつか日本地区に移してもらえるように、と願いながらも、ダグラスのように特に優れてもいなければ、コネクションもない普通のエンジニアには人気の高い日本支社に移転する機会はとうとう来なかった。


 ダグラスは日本で老後を過ごすために引退を20年延ばしたのだ。事故でパートナーをなくしてからはこの日だけを楽しみに生きてきた。


  アフリカ地区での暮らしはそう悪くはなかったが、100億が住む大陸には自然がない。


 長く続いたアフリカの暗黒時代から100年以上がたち、飢えと暴力を歴史でしか知らない世代が殆どとなった。しかしいきなり寿命が延びたために爆発的に増えた人口を支えるために豊かな自然もまた、過去のものとなった。


 安くて豊富な労働力と、巨大な市場を狙って殆どの大企業がアフリカ地区に工場を確保している。


 ダグラスの勤めるグリーンフードもまた、生産の多くをアフリカ地区で行っていた。


 肉、乳製品、穀物を細胞増殖によって生産する工場は、規模がちょっとした昔の国家より大きい。従業員はすべて工場の敷地内に住み、一生敷地ないから出なくとも暮らせるようになっている。


 もし子供のころに日本を訪れたことがなかったら、ダグラスもラゴスで満足して一生を終えただろう。


 しかし、彼には緑の多い日本の穏やかな景色がいつも心の中にあった。こうして漸く長年の夢が適ってここで老後を過ごせるのだ。がんばってきたかいがあったというものだ。


 山には桜が咲いていた。


「これが見たかったんだ」


「なあに、おじいちゃん?」 一緒に来たサクラが手を引っ張って尋ねた。


 曾孫のサクラはまだ5歳である。これからは自分が子供の頃のように時々ここへ遊びに来ることだろう。


「あのピンクの花を見てごらん」サクラを抱き上げて桜の枝に近づけてやる。


「きれいだね」


「これはサクラという花だよ」


「サクラの名前とおんなじ?」


「そうだよ。日本の花なんだ。世界で一番きれいな花だから、サクラと同じなんだよ」


「世界で一番?」


「そう、世界で一番」


 サクラが嬉しそうに笑った。その笑顔が娘の子供の頃とそっくりだった。




 小諸へ引退して20年、ダグラスは幸せな日々を送った。


子供の頃に遊んだ何人かの仲間と再会した。その中の一人は、ダグラスと同じで現在パートナーがいなくて、お互い同居を考えたが、結局このまま時々会う方が楽しかろう、という事で同意した。


 長い間やってみたかった絵を描き始めた。千曲川を見下ろす山に登ってスケッチをするのが何よりの楽しみとなった。


 娘と孫夫婦は曾孫のサクラを連れて季節ごとに遊びに来てくれた。


 毎年4月には皆で花見をして楽しんだ。


 丁度20年後の4月25日、朝起きようとしたダグラス モリは不思議な光景を見た。


 金色に輝く光に包まれて、とうに亡くなった祖父母と両親が共に、優しく手を差し伸べて彼を招いているのだ。 


 自分は今死ぬのだと悟ったが、全く怖くなかった。


 145歳まで生きたのだ。もう十分である。


「母さん、父さん、迎えに来てくれたんだね」


 ダグラスは差し伸べられた両親の手を取ると、笑いながら彼らの方に一歩をふみ出した。



 「10時52分33秒、脳派停止、心肺停止。プログラム終了しました。ご遺体の確認をお願い致します」


  担当の医師が銀色のドリームカプセルを開けた。


  眠るように横たわっているダグラスの顔にはうっすらと微笑みが浮かんでいた。


 「有難うございました。お父さん、本当に嬉しそうな笑顔」


  ただ一人付き添っていた娘が涙を拭いながらも満足そうに言った。


  20年分のプログラムを購入するのは大変だったが、その価値はあった。


 「人口管理局への届出はそちらでやっていただけるのでしたね?」


 「はい。1時間以内には届出終了致します」


 「宜しくお願い致します。孫ももうすぐ50歳になりますので、どうしても子供が欲しいのですが、うちはもうスロットがなくて、父が思い切ってくれたんですの。届出が終わり次第…」


 「よくわかっております。届出終了の証明は即時にお送り致します」


 「有難うございます。曾孫は女の子の予定で、名前は父の希望でサクラと決まっておりますの」




西暦2452年5月20日 07:00


 日本 ネオ東京メトロポリス




「グッド モーニング! ライズ アンド シャイン、ノゾム!」


 耳障りのいい女性の声がぐっすり眠っている天宮望に呼びかけた。


「ナナ、あと30分眠らせて」


 望は目を閉じたままで命じた。ナナは、望のLCリスト コンピューターである。ナナというのは日本地区の元の言葉、日本語で7という意味だ。


 地球連邦が成立して、公用語が英語になってから150年以上が経ち、もう使う人もあまりいなくなったが、望はクラブ活動で日本語を学んでいる。日本語は数字の言い方も何種類もあって難しい。


 このLCは望にとっては七台目なので、ナナと命名した。一代前までのロクより性能がいいが、融通がきかない。


「今日は登校日です。今すぐ起きないと朝食をとる時間がなくなります」


「うーん。朝食はパスするから、30分後にもう一度起こして」


「起床時刻変更は就寝前でなければできません。5分以内にベッドから出てください。ベッドの収納を行います」


 望はしぶしぶと薄目を開けた。シェードが開いたままのガラス窓から朝日が差し込んでいる。柔らかい光が反射して、望の目が金色に輝いた。


 ベッドに入ったのはほんの3時間前だ。しかし学校に遅れるわけにもいかない。学校への無遅刻、無欠席は、祖父からの一人暮らし許可の条件のひとつだった。


 起き上がろうとすると、腹の上で眠っていたゴーストが滑り落ちまいと爪をたてた。


「痛い!ゴースト、バッド キャット!」


 猫は不満そうに尻尾で望の顔をひとつはたくと、ベッドから跳び下りた。そのまま自分用のフードディスペンサーの前に行くと前足でボタンを押した。


「顔も洗わずに朝ごはん?お行儀が悪い」


 ゴーストは望を無視して食べ始めた。


 それを横目でみて、シャワーブースに飛び込んだ。狭いアパートのいい点はどこに行くにも1歩でいけることである。


「温度40度、強度9、3分」


 クリーニングエージェントを含んだ熱めのジェットストリームが全身を打って漸く頭がすっきりする。3分後に、強い温風に変わり、1分で乾燥、消毒が終了する。


 癖のない黒髪にさっと櫛を入れて、濃紺に、高等部生徒を示す白い切り替えが胸に入ったユニフォームを着る。3月まで着ていた中等部の黄色よりスマートで、大人っぽいのが嬉しい。


 ベッドを出てから5分だ。


 シャワーの間にベッドが収納され、テーブルと椅子が出ている。


 まだ朝食をとる時間が十分にある。


「今日はミチルがいないからもう15分は眠れたのに」 


 ミチル柳とは家族ぐるみの付き合いで、生まれたときからいつも一緒だ。高等部生になった今年から、祖父の家を出て、一人暮らしを始めた時、ミチルも同じアパートに部屋を借りて毎朝一緒に登校する習慣だ。


 優等生のミチルは慎重派で、「何があるかわからないから」と、始業の30分も前に学校に到着したがり、望もそれにつき合わされている。


 文句を言いながらも幼いころからミチルには頭が上がらない。


 望と特に親しい3人、ミチル、リー ライ、アレクセイ ラシニコフは初等部からずっと同じクラスだったが、ミチルとリーは高等部になってクラスが分かれた。今日と明日は海洋学の授業で海の中のはずだ。


 ナナの目覚まし設定をもう少し融通がきくようにするかな、と考えながらオートシェフに向かった。


食料の注文をしないとストックがほとんどない。ライスも、ワッフルも、野菜サラダも残っていない。


 「しょうがない。海草エネルギーバーと、ソイヨーグルト」


 オートシェフからエネルギーバーとヨーグルトを出してコーヒーメーカーのスイッチを入れる。


 食事は殆ど工場生産のもので済ませるが、祖父の家にいたときからの習慣で、コーヒーだけは本物の豆(木になるのだ!)を使う贅沢をしている。


 コーヒーをカップについで、香りを楽しんでいる間に、ナナがメッセージとニュースを目の前に流してくれる。特に興味のあるトピックは見当たらない。


 ゴーストは興味深そうに望の朝食を眺めていたが、欲しいそぶりもみせない。どうも自分の朝食の方が上等だと、望を哀れんでいる風だ。何しろ本物の鮭が入っているんだから。


「お前のキャットフードの方が高級品なんだから、全く」


 親友の一人が動物愛好家で、このキャットフードが一番猫に良いと、勝手に注文してくれたのだ。 


 後で支払われたクレジットを見ると、望がいつも買っている中程度の人間用パッケージの3倍近い価格だった。好意は有難いが、値段を見る習慣のない(見ても彼には高いのか安いのかもわからないだろうが)友人を持つと一般人は苦労する。


 お陰でもうすぐ試験にもかかわらず、仕事をするはめになった。


 幸い小さな仕事で無事に終わり、まだ試験準備の時間は十分にある。


 試験が終われば、後は7月からの夏季休暇を待つだけだ。


 休暇の事を考えて、気分が浮き立つのを感じた。今年の休暇は、特別楽しみにしているのだ。


 5分後、まだ十分時間がある。

 エレベーターを使わず歩こうと、望はテラス側からアパートを出た。テラスの外には緑の葉に包まれて赤いトマトが並んでいる。早起きの職員が丁寧に実を摘んでいた。


「グッドモーニング、おいしそうですね」


「モーニング、うまいよ。後で買っておくれ」


 120歳位だろうか。元気なおじいさんである。ロボットを使わず、100歳以上の人を職員として雇うのもネオ東京の方針で、これは体は丈夫でも仕事のない多くの老人に喜ばれている。


「帰りに買います」


 望は軽く手を上げてから緩い階段を駆け下りた。


 とれた野菜はそのまま近くのマーケットで住人に販売されるので、新鮮でおいしい野菜が食べられる。輸送の手間がかからないので価格も安い。それでも工場で生産されるものよりは少し高いが、この位の価格差で自然栽培された野菜が食べられる都市はここだけだろう。


 ネオ東京メトロポリスは世界最大のメガシティであるだけでなく、2332年から、120年連続で、住環境が世界一の都市に選ばれている。


 2199年の東京大地震後100年近くをかけて、計画、創造された完全な計画都市だ。毎年改良に改良を重ね、世界一の座を守っている。


 地球温暖化による影響で年々水位があがり、旧墨田区、旧江東区などが海抜0メートル以下となっていたところに、東京大地震が起こった。防波堤が崩され、東京23区、621平方キロの4分の1近くを海の下に失った東京都は、大混乱を来たした。復旧作業は進まず、犯罪が日常化、都内は戦場の様相を呈したという。


 日本政府は首都の移転を検討した。その時、当時の都知事が、復旧するだけでなく、この大災害を逆利用して東京を世界一の都市にすると宣言して、思い切った計画を実行した。


 最初に、彼は23区の残った土地とその周囲を公共化した。現在のネオ東京メトロポリス12のエリアはすべて東京都の公有地で、建築物も全て都の所有である。世界の富豪が居を構えているが、誰もが都から賃貸している。


 世界中の都市が、ネオ東京を真似ようとして失敗しているのは、私有地がない、という特殊な状況を、既存する大都市で達成する事がほとんど不可能なせいだろう。


 望の住む第8エリアは、多くの建物が円錐型で、周囲をグリーンベルトで巻かれている。そこには四季を通じていろいろな野菜がきれいに植えられ、花のつく潅木が周囲を縁取っている。

 離れて見ると、緑に覆われた半円形の山々のように見える。600平方キロの円形の土地に2000万人以上の住む大都市が、のどかな田園地帯のような雰囲気だ。

 第3エリアから第8エリアは、東側が東京湾に面している。地震で水面下に沈んだ古い建物は撤去され、きれいにされた海は見通しが良い。海面下で養殖される色とりどりの魚を透明の歩道を歩きながら見る事ができる。

 メトロポリス内のエネルギーはすべて全区域を覆った目には見えないナノソーラーパネルからの太陽熱エネルギーと、それを利用して生産される水素エネルギーで賄われている。

 日常生活、農業、草花からでたゴミはすべて地下のリサイクルシステムを通し、バイオフューエルとして使用されている。ほとんどエネルギーの無駄がないのが自慢だ。


 望はニューヨーク、ニューデリー、リオデジャネイロなど他の高ランクのメガシティを訪れたことがある。どの都市も技術の粋を尽くしてあり、ニューヨークのスカイシティのように驚くような建築物もあるが、どこにもネオ東京のような隅々まで調和のとれた美しい都市はなかった。そしてどの都市にも薄汚い裏通りがあった。


ことに大都市の地下街は、暗い空にアパートが立ち並んでいてとても人が住むところとは思えなかった。

ネオ東京の地下街を想像して足を踏み入れた望たちはあわてて地上に戻った。

ネオ東京の地下は地上ののどかさとは違い、宇宙ステーションのようだ。

店舗や娯楽施設が並び24時間眠らない町でもある。

しかし多くのメガシティの地下はまだまだ連邦成立前後の荒廃した時期の面影を残していた。



「グッドモーニング、ノゾム」


 賢そうなジャーマンシェパードをつれた大男が歩道から手を振っている。


「グッドモーニング、フランク。散歩ですか?早いですね」


 同じアパートのフランクはメトロポリスのエンジニアだが、夜間シフトのはずだ。


「カイザーがうるさくてね。ゆっくり寝てられないんだよ」


「カイザー、フランクをもう少し寝かしてあげなきゃだめだよ」


 フランクの冗談に、望は笑ってカイザーの首をなでた。見かけよりなめらかで手触りの良い毛並みである。望の掌に湿った鼻先を押し付ける様子は本物の犬より犬らしいかも、と友人の家で見た妙に人間っぽい犬を思い出して思った。


 ネオ東京は、環境を守るために、住民に幾つかの制約を課している。室外ペットが許されていないのもそのひとつだ。


 どう規制しても犬に戸外でトイレをしないようにさせる事はできないし、飼い主の取り締まりに警察力を裂くことも無駄である、というわけだ。


 その代わりだろうか、ロボット犬が最初に流行したのがここである。 カイザーも勿論ロボット犬である。


 最近では犬だけでなく、トラや鹿などが流行っている。本物そっくりのペットロボは高価で空陸兼用車より高いくらいなのに結構売れているという。


 ネオ東京では空にいるすずめや、公園のリスなども実はロボットだという噂が流れているが、これは真実を確かめたものがいないようだ。捕まえようとすると、ポリスに見つかって巨額の罰金をかけられるのは間違いない。


 ネオ東京に住む野生動物は街路樹、草花同様すべて公共物である。これらに手をかければ直ちにポリスがやってくる。ゴミを外に捨てる事など論外だ。罰金だけでなく、メトロポリスおから退去させられる。そうなれば仕事を失うことも珍しくはない。


 望のアパートから、スクールまでは2キロもない。

  今日はミチルがいないので動く歩道を使わずに歩く事にした。ゆっくり歩いても15分程である。

 ミチルがいると「非効率な時間の使い方」だと言われて動く歩道を使う事になる。

 望は通学路を歩くのが好きだ。

 この区域の歩道は手入れの行き届いた桜並木で縁取られている。花はもう終わったが、今は柔らかい新緑がすがすがしい。

(おはよう)声には出さずに桜の木に挨拶をすると、(おはよう)と返事をするように風もないのに緑の葉がざわめいた。子供の頃声に出して木に話しかけているところをミチルに見られて思い切りからかわれてから、声には出さなくなったが、望は木々と話すのが好きだ。返事をくれているような気がする。


 人口密度の高い大都市で、人のいない時などないが、朝の歩道はわりに空いていて5月の緑を楽しみながら歩ける。

 メトロポリス内では、車は地上を走れないので、地上はすべて歩行者用になっている。

 商業用の車は地下の専用道路を使い、警察、救急などの公用車は上空を走っている。

 個人の乗用車が上空を走るには、多額の認可費用を支払わなくではならないので、一般の人は殆ど望のように歩道を利用している。

 ノーブルクラスばかりのTSTでも、学校への送迎用に自家用車を使っているのはごく一部の学生だけだ。

 なにしろ一番早いスピードランナーを使えば、12エリアの端から端まで50分もあれば着く。

 メトロポリス内を縦横に走る歩道は、進む方向によって左右に分けられ、更にスピードによって4つの歩道に分かれている。 

 一番右側から自分の足で歩く歩道、時速5キロの動く歩道、時速10キロの走る歩道、そして透明なチューブに包まれた時速50キロのスピードランナーである。

 動く歩道と走る歩道は200メートル毎に区切りがあり、乗り降りできるが、スピードランナーは各エリアを繋いでいる交差点で、5キロ毎に停止する。 利用者のいる限りいつでも動いているので便利だ。

 学生は普通、自宅でバーチュアルクラスを利用しているので、子供の姿はみかけない。

 バーチュアルクラスは費用が格安だし、通学する必要もない。 

 実技のあるエンジニア、ドクタースクールなどでも、通常はバーチュアルクラスで、実技だけを受けに行く。

 連邦政府の教育局は5歳前に全児童の適正テストを行い、それによって将来の進路と選択科目を決める。児童は自分の適性に合った授業を受けられるので無駄がない。


 バーチュアルクラスの費用の大部分は将来雇用主となるかもしれない各企業がスポンサーとなっているのでただ同然である。

 望たちのように実際の学校に通って、一般教養を含む殆どの科目を本物の先生や他の生徒と同じ場所で勉強する3世紀も前のシステムの学校に通っているのはごく一部に過ぎない。

 何しろ莫大な費用がかかるし、学校の数も少ないので、入学するための資格審査も並大抵ではない。

 日本地区は世界で最も早くバーチュアルクラスが普及したせいもあり、昔ながらの学校は稀だ。

 5歳から18歳までの生徒が通う初等部、中等部、高等部があるのは望達の通うTSNT(The School Of Neo Tokyo)の他には大阪湾にあるTSO(The School Of Osaka)だけだ。

 なかでもTSNTは、世界一の環境と安全性を誇るネオ東京にあるため、子供の安全を第一に考える世界中の大富豪が狙う学校だ。

 費用の高額さにもかかわらず、競争は熾烈を極めた。

 推薦者、家柄、知能テストなどでふるいにかけて、毎年多くの入学希望者から、わずか150人が入学を許される。

 結果、殆どの生徒はいわゆるネオノーブルと呼ばれる富裕階級の子供たちである。

 親にとっては、子供の安全だけでなく、ステイタスシンボルであるとともに他の特権階級とのつながりを強固にしておこうという目的もあるようだ。

 望の家は、他のクラスメートのように昔から裕福だったわけではない。家柄こそ古く、日本地区では旧華族だったが、暮らしは全くの庶民である。


 曽祖父が築いた事業が大当たりしただけで、考え方も、普段の生活も、ミドルクラス的だ、と望は思っている。


 家族は、いわゆる『古風』だ。


 両親は昔ながらのやり方で望を作って、生んだ。そう、望は母の胎内で10ヶ月近くを過ごし、この世に生まれたのだ。


 望をお腹に入れて、丸いお腹をしている母のホロイメージが祖父の家にある。祖父母もそうだったし、曽祖父母もそうだったという。

 学校に上がるまでは、誰もがそうだと思っていた。


 まだ初等部にいたころ、クラスで仲良くなった子に何かの拍子に、その話をして、奇妙なものを見るように見られてから、人には話さないことにしている。


 殆どの子供は人口子宮から生まれるということをその時初めて学んだ。

 その方が効率的で(7ヶ月で生まれる)、栄養が完全に行き渡り、頭も良い子が生まれるので、昔から、特権階級はそうしていたそうだ。


 一般の人々が人口子宮を使えるようになったのは地球連邦政府ができて、生活水準があがり、誰もが無料で医者にかかれるようになってからだ、と物知り顔のクラスメートが言った。


 だから、まだごく一部の貧しい階級は、この方法に慣れなくて、昔ながらの不衛生な方法で子供を生んでいるらしい、と言ってから、勿論君の家はそんなことはないだろうが、と付け加えた。

 望は、子供心に機械ではなくて、母が自分を産んでくれた事を何故か嬉しく思ったが、そう思ったことは黙っていた。


 昔気質で子供に贅沢をさせる事を嫌う家族が、望を贅沢の極みともいえるTSNTへ通わせているのは、学校に通うことが特権階級のステイタスになる以前から、天宮家の子供は皆この学校に通っているためだ。

 代々教育者の家系だったとかで、数代前の学長は望の祖先だ。今の学長ともどこかで縁戚関係にあるらしい。

 そういう因縁もあり、入学資格は適正テストさえ通れば問題ないのだが、学費はまからないからやはり大変だったはずだ。

 曽祖父は、今の事業を始めるまで普通の医者で、学校に娘(望の祖母だ)をやるのはそう楽ではなかったらしい。

 娘の学費のためもあって開発したドリームプログラムによるシステムが大当たりして富裕階級の仲間入りを果たした。その後、望の母がここで望の父と出会ったのだから、望が、TSNTに行くのは生まれる前から決められていたと言っていい。


 望は幼いころは体が小さく、大人しい子供で、初等部に入学したばかりのころは、一部の同級生に祖父の仕事のことをからかわれたりもした。

 その度に他の子供達のようにバーチュアルクラスに行きたいと文句を言っていたが、すぐに気の会う友人ができて、今ではこうして自分で費用を払ってでもここに通いたいと思うようになっている。


 ただ、両親のような出会いはいまのところない。

 多分これからもないだろう。何しろ5歳で入学してから18歳で卒業するまで殆ど入れ替わりがない。


 現在15歳、高等部1年の望はほとんどの学生を知っている。


 顔ぶれに変化のないのがこの学校の欠点である。

 バーチュアルクラスでは、毎日のように生徒の顔ぶれが変わると聞いている。

 それもどうかと思うが、たまに新顔が見たいと思うのは望だけではないだろう。


 歩道から、学校の敷地内に入ると、雰囲気が一変する。2250人の生徒と500人の教職員を収容する 12棟の校舎は、ヨーロッパの古い建築を模した赤い煉瓦造り風の建物である。 

 10世紀も昔に足を踏み入れたようで、見るたびになんとなしに心が引き締まる。

 バーチュアルクラスにはない学校の匂い。

 生徒達の立てる物音。

 クラスメートと実際に会えるのはやっぱり嬉しい「特権」だ。


「グッド モーニング、ノゾム」


 教室に入るとプリンス アレクサンドル オルロフ、 通称プリンス、が望を見つけて優雅な足取りでやってきた。


 プリンスとは初等部からの親友だ。

 22世紀に財政困難に陥った国々が苦肉の策として売り出したノーブルの称号ではなく、千年の歴史を持つロシアのロマノフ王朝の末裔という本物のプリンスだ。

 豊かな金髪にアメジスト色の瞳、優雅で気品のある美しい容姿は御伽噺にでてくる王子様そのもの。

 本人は無意味な称号だとして、プリンスと呼ばれるのを嫌がっていたが、誰もがついプリンスと呼んでしまうので今では諦めている。

 世界有数の富豪で、ノーブル中のノーブルにもかかわらず傲慢なところが全くない。望のような普通人にもとても優しい。

 望はいつも彼を見るたびに完璧な人間というのはいるものだ、と感じてしまう。望がこの学校を好きになれたのはプリンスのおかげと言っていい。


 たったひとつ問題があるとしたら、何しろ生まれつきのプリンスなうえに世界有数の富豪なだけに、時折やることが望などの常識とはかけ離れていることだ。


 初等部2年の時に、休暇で行った南インド洋の小島にいた亀が気に入ったが、その亀の生存が島の開発のせいで脅かされていると聞いて、望が心配してプリンスに話したことがある。


 翌日、「もう大丈夫ですよ」とプリンスに言われて詳しく聞いてみると、島ごと買い取ってしまったという。


 「ちょうど誕生日がすぐでしたからおじい様にお願いしました」、といっていたが、誕生日にパーティに招かれた望は、山ほどのプレゼントを貰っているのを見たから、プレゼントは島だけではなかったらしい。


 その島は自然のまま保護されていて、今も一緒に時々亀を見に行っている。




 プリンスの両親はアメリカを訪れている時にエコテロの一派である「自主的に人間を減らす運動」VHR(Voluntary Human Reduction)によるテロ行為によって死亡している。

 彼がまだ5歳になる前のことだ。

 両親とも一人っ子だったということで、残された12人の祖父母、曽祖父母にひたすら大事に育てられた。

 余りの過保護に不便な事も多いだろうに、決してそれを表情に出したりはしない。

 ゴーストの餌を注文したのは彼である。



「グッドモーニング、プリンス。どうかしたの?」


「どうして?どこか変ですか?」


「うーん、何となく、何か心配な事でもあるのかなと」


「さすが望ですね。普通にしてたつもりですが」


「本当に何かあったの?」


 プリンスはさりげなく望の腕を掴んで教室の外へ連れ出した。


 08:00の始業まではまだ15分程ある。


 そのまま黙って、いつものプリンスらしくない強引さで望を人気のないエスカレーター脇の観葉植物の間に引きずり込んだ。リーによるとここが学校中で最も安全に内緒話ができる場所だということだ。


「望、ウォン先生の事どこかから聞きました?」


「ウォン先生?どうかしたの?」


 ワン ウォン教授は社会構造史の先生だが、独自な思想の持ち主で、賛否両論はあるけれど、書いたものは広く読まれている。ちなみに望達4人しかメンバーのいない、『世界言語クラブ』の顧問でもある。


 公用語が英語になってから、以前は6000種類もあったという言葉の多くは失われてしまった。世界中の失われた、或いは失われつつある言葉を知ろう、というのがクラブの表向きの趣旨だ。 


 実のところは、正々堂々と世界中を旅行できるクラブを作ろうと頭を捻ったのだ。


 望たち(リーの発案だった)がこのクラブを考案した時、ウォン先生が面白がって顧問になってくれなければ、まずクラブとして認められなかっただろう。望達にとって、最も親しみやすい先生である。



「ポリスに連行されたそうです」


「ポリスが?何故?そんなニュースは僕のところには入っていなかったよ。どこから聞いたの?」


 ナナには、関心のある事、望に関連するニュースは即時に知らせるよう設定してある。


 何しろ300億総レポーターのこの時代、自分に関係のある事で知らない事があるとは信じられない。


 ウォン先生は一般人向けに面白く書かれた歴史、哲学書を何冊か書いており、結構有名人だ。


 現在の人口過剰は単に寿命が伸びたせいではなく、人口が減少して利益が減ることを恐れた大企業の人口政策への干渉のせいであると主張して、大企業の傀儡でしかない政府を批判していることでも知られている。


 その先生がポリスに連行されたとなればニュースである。


「アルキが今朝早く家に戻る途中で見かけたそうです。朝4時頃で、あっという間だったからウォン先生を知らなければ気にも留めないところだったと言ってました」


 アルキは同じクラスの生徒だ。


 朝の4時に一体何をしていたんだろう。


「それにしても、もう8時だよ。誰かが目にしてニュースになっていなくちゃ変じゃない?」


「それなんです。ポリスに探りを入れてみたのですが、誰もウォン先生を見ていないし、連行されたという記録もありません」


「ポリスに探りを入れた?危ないんじゃないの?」


 ネオ東京のポリスは厳しい事で有名だ。


「そんなことは心配しなくても大丈夫です。それより私の見る限り先生はポリスには連れて行かれていませんね」


「本当?」


「もしかしたらポリスを騙った誘拐の可能性もあるかもしれません」


 望はぎょっとしてプリンスを見た。


 子供の頃から世界一安全なネオ東京に住んでいる望と違い、プリンスは余り治安の良くないロシア地区のセントピータースバーグに5歳まで住んでいた。現在も本宅は向こうにある。


 両親のこともあり、望のような能天気な性格ではないのはよくわかっている。望とてネオ東京の外の世界には危険地域のあることは知っている。


 それにしても、ネオ東京で誘拐とは大ごとである。


「誘拐?誰がそんなことを?ネオ東京でそんなことしたらすぐに捕まるに決まっているのに」


 他の区域とは違い、ネオ東京は犯罪ゼロ都市を目指し、ポリスの目の届かないところは1センチ四方さえないと言われている。


 どんなわずかな規則違反でも厳重に罰せられる。


 凶悪犯罪は皆無と言っていい。


 ウォン先生の場合、政府のいやがらせで連行されたというほうがありそうに思える。


 それなら何とか手を回して助けることもできるはずだ。


 誘拐だなんて信じられない。誰が、何のために?


 しかし、プリンスの頭脳は学校一である。プリンスがそういうなら、可能性を信じなくてはならない。          


「普通はそうでしょうが」


 プリンスが困ったように、さりげなく辺りを見回した。


「何か心当たりがあるの?」


「昨日のお昼にウォン先生の研究室で先週提出したレポートについて話をしていたのですが。ほら、歴史上と、現在の人口政策の比較。その時、先生の端末に連絡が入りました。先生はすぐプライベートモードに切り替えましたが、ちらっと赤と黒のユニフォームを着た男が見えました。先生は顔色を変えて、急用ができたから明日にしようと、私を研究室から追い出すようにしました。いつもの先生ではありませんでした」


 赤と黒のユニフォームは、通称アンダーワールド呼ばれている、自称AA連合(Antarctica & Australia)のエリート部隊の制服である。


 2301年に、アメリカ合衆国最後の大統領で初代連邦大統領、ラリー ブランソンが提唱して、200カ国余の国々が統一、地球連邦となった。


 しかし、どうしても統一に同意しなかったオーストラリア連邦は、国際保護区域である南極大陸も含んでAA連合を名乗った。


 当時、人口増加と資源の枯渇、内乱問題で統一を余儀なくされた殆どの国々と違い、オーストラリアはまだまだ余裕があり、旧アメリカ指導型の新国家に組み込まれたくなかったということらしい。


 その後地球連邦は協力して人口増加、資源問題を克服し、犯罪を押さえ、歴史的に見てもかなりハイレベルな生活水準を達成した。


 その間のアンダーに関しての情報は余り知られていない。


 ウェブ上の情報が連邦政府にモニターされているせいだという説もあるし、アンダーが情報の流れないように規制しているのだ、と言う説もある。


 当時、地球連邦の政策に不賛同な有力者がかなりオーストラリアに移民した。


 AAは高額の市民権を購入さえすれば来るものは誰でも拒まず、連邦政府の強硬な政策で、存在が危なくなっていたアメリカ、ヨーロッパ、アジアのマフィア組織がこぞってAAに本拠を移した。


 それもあって、アンダーワールド、或いはアンダーと呼ばれるようになった。


 地球連邦では、AAを武力で統一しようという強硬派もあったようだが、彼らの武力は連邦に劣らず、また当時の連邦には戦争の余裕などなかった。


 40年近くの小競り合いの末、AAが新南極条約の遵守を改めて宣言し、政治的には相互不干渉の状態である。


「アンダーがウォン先生を誘拐してどうするの?先生は別に強硬派じゃないし、政治的影響力があるわけじゃないし、それに最近アンダーとの関係はうまくいっているはずだよね?」


 この頃はアンダーとの一般市民の行き来はかなり盛んである。


 連邦政府が、犯罪の元になるとして2335年にすべての賭け事を禁止してからは特に、ニューベガスのあるアンダーの東海岸への観光旅行が人気だ。


 連邦政府がそれらを黙認している代わりに、マフィアは連邦内で違法行為をしない、という暗黙の了解がアンダーとの間にある、と噂されている。


 もし、アンダーの誰かが、このネオ東京で誘拐などという大罪を犯したら、連邦政府も見逃すわけにはいかないはずだ。


 アンダーが連邦市民から稼ぐ金額は、国家収入に大きな比率を占めている。


 もし連邦政府と事を構えれば、これらの収入を失うことになりかねない。


 ウォン先生にそれほどの危険を冒すどんな価値があるのか、検討がつかない。


「考えられるとしたら情報関係だけですね。アンダーの欲しがる何らかの情報を先生が持っている、とか」


「リーがいれば何かわかったかもしれないのにね」


 中国地区要人の息子であるリー ライは独自の情報網を持っていて一般に出ない情報もよく知っている。


「そうですね。しかし、端末で話すことではありませんから。本当にポリスだとしたら、極秘でどこかに捕まっているはずですから調べている事がポリスに知られては困りますし、もし誘拐なら、うかつに聞くわけにはいかないですからね」


 さずがのプリンスもネオ東京のポリス相手では、そう思い切った手は打てないようだ。


「そうだね、もう少し状況がわかるまで、取り敢えずいつも通りにしていよう。今日は午後にウォン先生の授業がある日だ。先生の不在を学校がなんと説明するか待ってから行動を起こしたほうがいいと思う」


「仕方がありませんね」



「もう授業が始まるよ。1時間目はロジックだから、遅れるとうるさいだろ」


 ロジックは、純粋科学、数学、コンピューターフィロソフィーと並ぶ必須科目である。


 不必要な感情に惑わされずロジカルな判断ができるようになることを目指す学科で、この教科だけは政府派遣の教授が受け持っていて、特に厳しい。


 望はロジックがあまり得意ではない。


 予想通り、返されたロジックのレポートの評価はあまり良くなかった。

 教授に、論理的思考の大切さと、日常の判断が感情に左右される事の危険を散々説教され、ホームワークまで渡された。

 望は自分が特に感情的だと思ったことはないが、どうも論理的に思考するのが苦手らしい。論理的思考、判断のできない人間は落ちこぼれとみなされる。


 このまま行けば祖父の会社を継ぐと思われるので、望個人のためだけではなく、多くの人のために、常に感情に左右されない人間になることが重要である、と教授に言われた。

 望の思考回路はどうしても論理的思考には向いていないらしい。


「 あまり気にすることはありませんよ。誰にだって苦手な科目はあります」


 落ち込んでいる望を見て、プリンスが慰めてくれた。


 しかし、プリンスのようにどの科目も全部できる人間に言われても余り説得力がない。


「プリンスには苦手な科目なんかないじゃない」


「リーにもミチルにもないよね」考えると尚更落ち込んだ。


 優美なプリンス、クールなリー、一見美しい人形のようなミチル。3人とも並外れて優秀な超有名人である。


 3人が一緒にいると誰もが目を引きつけられてしまう。


 自分だけが普通の人間だとわかっている望は、幼なじみのミチルはともかく、何故プリンスとリーが自分を仲間に加えてくれたのか不思議に思う。


 成長が遅いせいでまだ中等部の生徒にしか見えない望は大人っぽい彼らの間で余計に子供っぽく見える。


 大げさでなく、全校生徒がプリンスやリー達と親しくなりたいと願っているのだ。


「望、また何かつまらないことを考えていませんか?」


「そういうわけじゃないけど。このままじゃ皆と一緒に東京科学アカデミー(TSA)にいけないかもしれないと思うと、自分が情けなくなってしまうよ。こんなことじゃプリンスやリーにもそのうち愛想をつかされるんじゃないかと思って」


「馬鹿な事を。私が自分に愛想をつかすことはあっても望に愛想をつかすことなど有り得ません」


 望の明るく輝く金色の目を見つめて、強い口調でプリンスは言った。


 プリンスは望がいなかったら自分もリーもミチルも友人として付き合ってはいなかっただろうと知っていた。望がなんと思っていても、彼ら4人は望を中心に繋がっている。


 自分たち3人こそ、誰もが密かに近づいてみたいと思っているこの金色の瞳を持つ不思議な存在を独占しようと取り囲んでいるのだ。


「プリンスが自分に愛想をつかすところなんて想像もできないな」


 それでも彼が本心から言ってくれているのが伝わって望は少し浮上した。



 漸く午前中の授業が終わり、プリンスとカフェテリアで昼食を摂りながら、考えられる限りのネットワークをチェックしたが、どこにもウォン先生の事はでていない。


 学校側からは、ウォン先生の休講の知らせはなかった。


 不安な気持ちで、午後の社会構造史の教室に入ると、そこには、ちょっと流行おくれの、体にぴったりしないスーツを着た先生がいて、いつもと同じように生徒一人一人に声をかけている。


 望は思わずプリンスを見た。


 プリンスは望以上に驚いているようで、珍しくそれが表情に出ている。


「やあ、どうかしたのかい?」


 ウォン先生がいつものように気さくに声をかけてくる。


「先生」


 望は言葉が続かなかった。 


「先生、ちょっと変なニュースを聞いたのですが」


 プリンスは小声で話し始めた。他の先生なら、ポリスに連れて行かれましたか、とは聞けないが、ウォン先生なら大丈夫と判断したのだ。


「その話、授業の後で良いかな?後でクラブに顔を出すから」


 先生はちょっと早口で遮った。2人は仕方なくうなずいて席に着いた。



 放課後、望とプリンスは部室に直行した。


 先生はすでに来ていて、2人が部屋に入ると、ドアを閉めて、プライバシーモードを設定した。これは生徒には許されていない。


「さて、どんな話を聞いたのかな?」


 先生は軽い口調で言って、2人を眺めた。


 プリンスが今朝聞いた事を伝えて、ついでのように他には誰にも話していない、と付け加えた。 


「見られていたんだな。本当にネオ東京は人が多い」


「先生、何があったのですか?ポリスではありませんよね。誰かがポリスのふりをして先生に何かしたとしたら、ポリスに通報しませんと」


「心配かけて済まなかった。あれは僕の親戚なんだ」先生は苦笑いをしながら言った。


「親戚?だったら何故ポリスの振りなどしたのですか?見つかったら重罪ではありませんか」


 大体どうやってポリスカーを手に入れたのだろう。


 ネオ東京ポリスのセキュリティは文句なしの世界一である。


「ここだけの話にしておいて欲しいのだが、僕の母方の一族はアンダーの市民なんだ。先日、急に祖父が僕と会いたいといって来た。これまで殆ど交流がないし、今は忙しいからと断ったんだよ。そうしたら今朝いきなりポリスが、僕と、アンダーにいる親戚との関係について聞きたい事がある、とアパートに来たので、僕はてっきり何かの疑いをかけられたものと思っておとなしくついていったんだ。そしたら、なんのことはない、僕と話をしたいといって祖父が待っていたというわけだ。全く頭にきたよ。僕が断ったもんで、気分を害して悪戯心を出したらしい。でも、自分の祖父をポリスに報告したくはないからね」


 今朝からの疑問が解けてほっとした望は、笑って誰にも言いませんと約束した。


 プリンスはまだ納得していなかった。


「一体どんな用件だったのですか?」


 先生は別に気分を壊した様子でもなく、苦笑いした。


「事の起こりは、天宮、君なんだ」


「僕、ですか?」

望の頭に大きなクエスチョンマークが浮かんだ。



読んでいただき、ありがとうございました。

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