第4話
回廊が万華鏡のようにゆっくりと回りだした。
眩暈がした。
酩酊する。
「気を付けて! 幻術よ!」
女盗賊〝紅薔薇のアンリエッタ〟が叫んだ。
「敵さんか? 俺ァこういう〝死と隣り合わせ〟の空気、嫌いじゃないぜ」
鎧の剣士グンダリが白い歯を見せて笑う。
「幻術を打ち払います!」
グンダリが剣を構えると同時に、名無しの〝自動人形〟が解除魔法を唱えた。
すると、水晶の筒のようだった回廊が一転、弾け飛んで大広間に変貌した。
……。
…………。
知里はその空間に見覚えがあった。
幼いころ連れられて来た思い出がかすかにある。
誰だっけ、家族の一人のお祝いで。
みんなで食事をして部屋に泊まった。
ここはエントランスに大階段のあるホテル。
金色のバラのようなシャンデリア。
階段の前には生花が華やかに飾られている。
ここは東京を代表する老舗ホテル……。
そう知里には見えた。
「まさか現代に帰れた……?」
そう知里は思った。
ところが。
「なるほど……。確かにここは王宮だ」
ソロモンが広間を見回して納得している。
知里は、彼がまた冗談を言っているのだと思った。
「ソロモン、ここは〝異世界〟よ。あたしの故郷」
ソロモンは知里を見てニッコリ笑った。
「うまいこと言うではないか、ネコチ殿」
「あたし冗談なんか言ってない」
「陛下はどこにおられるのだ」
グンダリも奇妙なことを口走っている。
知里はそこで違和感を覚えた。
自分は彼らとは別の場所を見ているのではないか?
「ここはクロノの……旧王宮です」
自動人形がどこか懐かしそうにしている。
「やったじゃない! ネコチ。ここならお宝、ありそうね?」
女盗賊アンリエッタが知里にハイタッチする。
「でもここ、王宮? ……アタシ王宮に押し入ったことないけど、そんな感じじゃないわよねぇ。せいぜい旧王都の貴族の館ってとこじゃない?」
知里は確信した。
アンリエッタは明らかに、自分とも彼らとも違う場所を見ているのだ。
(あたしたちはみんな、体はここにあるけど、それぞれ別のものを見ているんだわ)
「陛下……」
グンダリと同じ方向を見た自動人形がつぶやいた。
知里は彼らの視線の先を見た。
彼らはそこに玉座を見ているのだろうか?
知里に王宮や玉座など見えない。
クロノ王国の宮殿へなど行ったことがない。
ここは日本の老舗ホテルのエントランス。
人影はなく静寂に包まれている。
溢れるような装花の向こうの階段。
その一番上に若い男が座っていた。
目が隠れるほど前髪を伸ばした優男だ。
瑪瑙のボタンがついたヘンリーネックTシャツをルーズに着ている。
「ダメだ。知里」
その男が言った。
知里はその若い男に見覚えがあった。
「――解除魔法!」
自動人形が叫んだ。
男の体が、知里と視線を合わせたまま内側から爆発して弾け飛んだ。
肉片とともに、知里の足元にニヤけた男の首が転がってきた。
首がけたたましく笑い出した。
「ダメだ、知里。ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ――――!!」
壊れたプレーヤーのように同じ言葉を繰り返す死んだ男の顔から、紫に変色した舌がズルリと這い出した。
舌は大蛇が飛びつくように知里の首へ巻き付く。
「――――!」
知里は悶絶して取り乱した。
「しゃらくせえ!」
グンダリが大剣で舌を一閃。
蝶の鱗粉のような粉が舞った。
「幻術ですネコチさん。あれは陛下ではありません」
自動人形が知里を抱え起こした。
(陛下? クロノの国王なんかじゃなかった。あの人は……)
「ネコチ、立て直して。アンタらしくないよ」
アンリエッタが知里の背を叩いた。
「……お人形殿。2度も解除魔法をかけた途端に幻が悪化するとは、ちとマズったのではないか?」
「じゃあ次はソロモンがかけてください。援護しますから」
知里が男の首だと思っていたものは、頭の大きさほどの昆虫だった。
その昆虫には見覚えがあった。
この異世界に来る前、少女のころ知里がペンダントとして持っていたものによく似ていたからだ。
「スカラベ」
古代エジプト風の意匠が施され、幸運のお守りとしてプレゼントされたものだ。
知里のスカラベはラピスラズリでできていた。
目の前でその昆虫は、急激に脱皮を繰り返して膨らんでいく。
その装甲がプラチナに輝きはじめた。
体長およそ5メートルほどで、体高は2メートルくらい。
肢の部分は瑠璃色で、先端部分には鋭い水晶の鉤爪がついている。
パーティはすでに迎撃態勢を整えていた。
「フンコロガシとはな……。壺はこやつの棲み家であったか?」
「でもあの翅とか肢、キレイじゃない? もいで、宝石として売っちゃおうよ」
「よし、派手におっ始めようじゃねえか!」
パーティの前衛を務める眼帯の剣士グンダリが剣の柄を握った。
密教の明王〝軍荼利〟を名乗っているが、その実、転生者や被召喚者などの『現代組』かどうかは分からない。
いずれにせよ本名ではないだろう。
(素性は分からないけど、戦いでは頼れそうね)
アンリエッタは知里に思念を送り、肩をすくめて舌を出した。
気持ちを立て直した知里は、笑顔で彼女とアイコンタクトをとる。
知里が心を許せるのは、アンリエッタだけだ。
その理由が、知りたくもない他人の心が読めるレアスキル『他心通』のせいだということが、姉のような存在であるアンリエッタには分かっている。
(他人の心が読めてしまうから生きづらい、か)
知里は心から信頼している人のそばでないと生きられない。
他人の本音に傷ついてしまうからだ。
だが彼女は今、初対面のメンバーと旅をする中で、妙に生き生きしていた。
(他心通が通信妨害されるなんて、ゼッタイ怪しい奴らには違いないけど、知里、あんたにとっては良かったのかもね)
アンリエッタが思念を送ると、知里はニッと笑った。
空気が震えるほどの威容が、大広間を包んでいた。
スカラベが臨戦態勢に入ったようだ。
気心の知れた2人の女冒険者は、経験からここが探索の正念場だと直感する。
知里は魔法銃、アンリエッタは暗器を構えた。