第25話
時空の宮殿が、閉ざされようとしていた。
水晶のような大広間が刻々と透明度を上げ、消えていく。
それにともない、アンリエッタの石像もなぜか透き通っていく……。
「アン! 待って」
知里はアンリエッタの像まで駆けて行こうとする。
が、体に違和感を覚えた。
自分の手足までが透き通ってきていた。
「このままでは危険です」
賢者の自動人形が、ホバーバードにとび乗った。
知里の手を掴んで乗せようとする。
「アン。寂しいだろうけど、ここにいてね」
知里は、アンリエッタに冒険者特有のハンドシグナルで「待機」「迎えに行く」と伝えた。
石化した彼女にはもう届かないが、自分の心にけじめをつけるためだった。
そして後ろ髪を引かれるように、ホバーボードに飛び乗った。
「……で……、どうやってここを出ようか? 転移魔法とか使えそう?」
知里は感情を押し殺し、人形へ穏やかな笑みを向けた。
「転移魔法では……、出られないようです」
「とにかく、スタコラ逃げよっか」
知里は明るく、ここに残した〝家族〟アンリエッタの口調を真似た。
ピンチの時ほど、明るく前向きに。
アンリエッタがいつも心がけていたことだった。
ホバーボードをフルスロットルで加速させる。
名無しの自動人形と2人乗りだ。
徐々に透明になっていく『時空の宮殿』から逃れるように、全速力で出口を探す。
しかし、透明な空間は知里たちを追いかけ、まとわりつくように広がってくる。
ホバーボードは全速力で移動しているが、間に合わない。
しかも……。
「出口はこの辺りでしたが……。閉ざされています」
「確か、入って来た時は水を使ったはず。あれ、もういっぺん、できる?」
人形は首を横に振った。
「私の魔力も、残りはあと僅かです」
「……そうか。ならイチかバチか……」
知里はホルスターに吊るした魔法銃を取り出した。
アンリエッタに使えなかった自決用の弾丸が残っている。
「この弾丸には〝変身〟の術式が入っている。今からあたしたちは水に変身して、ここから出る」
クロノ王国の文献にのみ残る失われた白魔法〝変身〟は、その名の通り対象の構造を丸ごと別のモノに変えてしまう。
ただし、持続時間は少なく、すぐ元に戻る。
消費魔力も多く、使いどころが難しいので、廃れてしまったのだろう。
アンリエッタと知里は自決用に弾丸を持ち、花に変えて燃やしてほしいと約束していた。
「装填された弾丸には〝薔薇〟に変える術式が組み込まれているけど、今すぐ〝水〟に組み替える」
「術が解けて体が元に戻る前に、砂漠で蒸発してしまわないといいですが……」
「あはは。だからイチかバチか」
知里には迷いがなかった。
自身の右のこめかみに銃口を当てる。
目を瞑り、詠唱して魔法銃の弾丸に込められた〝変身〟の術式を組み替える。
効果を〝水〟にして対象を〝全体化〟。
知里と自動人形の体積ならば、対応可能だ。
自動人形は知里の手に手を添え、魔力を補った。
念のために時間差で発動する解除魔法を仕込む。
そして知里の左のこめかみに頭をぴたりと付け、抱き合った。
宮殿の水晶壁が鏡のようになって、仄かに映る2人の姿。
「球体関節人形と心中なんて……なんだかシュールな絵面だけど。覚悟はいい?」
「できています」
人形は迷いなく答えた。
「……だよね」
知里は苦笑する。
「たとえ人形が壊れても、ご本人には影響がないものね」
「影響はあります……」
人形は知里の頬に、自らの頬を触れさせた。
塑像の頬にすぎないというのに、気のせいか鼓動と肌の温かみを感じる。
少しの間、そのままでいた後、覚悟を決めた。
「……さあて。何が出るかな、と」
知里が引き金を引くと、自動人形とふたりは液体と化して流れていった。
一筋の水となり、ふたりの意識は混合したけれども、皮肉にもジャミングの効果が自我を保つのに役立ってくれた。
◇ ◆ ◇
夜の砂漠。
大きな月が出ていた。
知里と自動人形は、元の姿に戻っていた。
装備品もホバーボードも手元にある。
「夜だったのが幸いでしたね……」
「蒸発しないですんだね。夜は夜で、キモいのがいっぱいいるけど……」
「不死人。ある程度は浄化したはずですが……」
2人の周囲を、無数のアンデッドが取り囲んでいる。
数にして数千体はいるだろうか。
往路のときと比べて、下位種のガイコツ型やゾンビ型などは目に見えて減っていた。
霊体型の上位種がエメラルドグリーンの瘴気をまき散らしながら、生きた人間に対して憎悪を剥き出しにしている。
「数千体を浄化しても、なおもこれだけの数が残る。1000年前、この地で大規模な戦争でもあったのでしょうか……?」
「学者さん、研究熱心なのは結構だけど、この場を切り抜けてからにして頂戴よ」
「困りましたね……」
自動人形は、腕を組みながら知里をじっと見て考え込んでいる。
不死者たちの標的は、生きている知里だ。
知里は闇の魔力で全身を覆い、不死者たちを牽制している。
「〝行きはよいよい、帰りは恐い〟ってね……」
「何です、それ」
「異界人たちの間に伝わる童謡っていうか怖い歌。……さて、どう捌くか」
知里は乾いた唇をなめる。
闇属性では不死者にダメージを与えにくい。
かといって神聖属性でこの場を切り抜けられるほどの魔力は残っていない。
さらにこの状況を打破したとしても、復路には9日かかる。
こんな夜を、あと8回も繰り返すとなると、体力が持つかどうか……。
パーティの荷物持ちだったグンダリとアンリエッタの離脱が痛い。
水も食料も、携帯用しかない。
「詰んだかも……これ」
知里の脳内に、死の影がちらつく。
自動人形も、魔力残量が心もとないと言っていた。
「知里。あなたを救える方法がひとつだけあります……」
絶望的な状況の中で、名無しの自動人形が意外な提案をしてきた。




