第24話
(……あ、そうだ。湿っぽいところ悪いけど、肝心なことを忘れていたわ)
自決用の魔法銃を撃てずにいた知里に対し、アンリエッタはけろっとした調子で意思を伝えてきた。
「ちょっ……!」
悲痛な覚悟を決めようとしていた知里は、彼女の軽い態度にズッコケた。
せっかくの覚悟が、崩れ落ちていく。
(……危なかった。うっかりコレを燃やしちゃったら、取り返しがつかなくなるところだったわ)
アンリエッタはおどけたように視線で帽子を指し示す。
(もう手が動かないから、アナタが取ってね)
ふと目に入った胸の傷跡から、知里は目を逸らした。
傷口はぽっかりと空いていた。
闇魔導士ソロモンの屍術を受けた心臓は、もうすでにそこに無かった。
心臓だけは完全にアンデッド化していた。
神聖魔法を受けて、浄化されてしまったのかもしれない。
「…………」
言われたとおりに、知里は彼女の帽子を取る。
おそるおそる帽子の中を見た。
「これ……!」
奪われたはずの兄のスマートフォンが、そこにあった。
知里は、信じられずに目を見開いた。
(……あいつが奪いに来たとき、イカサマカードとすり替えておいたのよ)
アンリエッタは青白い顔で笑った。
(お人形さんには気づかれないようにね。念のため)
イカサマカードとは、アンリエッタが得意としたギャンブル用のカードだ。
飲み代を稼ごうと、不良貴族から金を巻き上げるのによく使っていた。
(あたしなりの冴えたやり方ってね……)
知里は帽子を持ったまま、呆然と立ち尽くすばかりだ。
心臓を抜かれた状態だろうと、とっさに兄のスマートフォンを奪い返した。
女盗賊ならではの手際に、知里は言葉も出ない……。
(……んじゃ、知里。改めて派手に送ってね。その帽子は形見にあげる)
晴々と笑うアンリエッタ。
知里はスマートフォンを帽子の隠しポケットにしまうと、その山高帽を深くかぶった。
うつむく知里の右手は、魔法銃を握ったまま動かない。
アンリエッタは息が苦しくなったのか、急かすような目で、じっと知里を見ている。
──お兄ちゃん、あたし、どうしたらいいの……?──
不意に、心の中で兄の名を呼んだが、すぐに知里は首を振った。
──ダメだ。自分で考えろ──。
そう言うに決まっている。
兄はいつもそうだった。
あの漫画を読め、このゲームもやれと言うが、物語の意味や攻略法を聞いても一切教えてくれない。
「自分で考えろ……か」
(知里、もう限界よ。お願い……)
苦しむアンリエッタの懇願するような瞳が、知里の心に突き刺さる。
両手で魔法銃の照準を彼女に合わせる。
引き金を引けば、この世界でただ1人、家族と呼べる人は花に変わる。
そして炎の魔法で火葬するのが、冒険者アンリエッタの望んだ逝き方だった。
知里は、引き金に手をかけたまま、大きく息を吐き出した。
「アン、ごめんね。あたしにはできないや……」
魔法銃をその場に落とし、ゆっくりとアンリエッタに近づく。
彼女は、呆然としている。
(この期に及んで、まだできないの……)
「無理かもしれないけど、宿題にさせて」
知里はそう言って、アンリエッタの頬に触れた。
そして別れの口づけをすると、かぼそい声で石化魔法を唱えた。
魔力を帯びた知里の両目が、怪しく光る。
アンリエッタが目を逸らしたら術式は発動しないが、彼女はまっすぐに知里の目を見た。
(それがアナタの〝冴えたやり方〟だっていうのなら、信じましょう)
S級冒険者の女盗賊〝紅薔薇のアンリエッタ〟は美しい石像に変わった。
石化魔法の効果は、破壊されない限りは永続する。
稀に、古代魔法王国時代の遺跡から石化した貴人が発掘されるが、蘇生した例は確認できていない。
ましてやアンリエッタの場合、心臓も無く、アンデッド化が進行しつつある状態だ。
解呪の魔法で石化状態から戻しても、回復魔法では失った内臓までは再生できない。
離れた場所から見守っていた自動人形が歩み寄り、アンリエッタの像に聖龍教会の祈りを捧げた。
「アン、分かってる。これがただの気休めと先送りだっていうことは……」
知里は独り言を呟きながら、突然、異変に気がついた。
水晶の大広間が、消えかけている。
もともと半透明だった宮殿の壁が、さらに透明度を増している。
それに伴い、知里と自動人形の体も透明化しつつあった。
「いけない。場が揺らいでいます。ここは閉ざされるかもしれません」
自動人形が、風の属性魔法で知里のホバーボードを引き寄せた。
知里はまだ、呆然と見つめている。
石化状態のまま透明になっていくアンリエッタを。
「早く脱出しましょう。このままでは、私たちもこの遺跡に囚われてしまいます」




