第23話
「聖龍のご加護があらんことを……」
祈りの回復魔法を唱える、賢者の自動人形。
全身に知里の血を浴びている。
人形はグンダリの剣で斜めに真っ二つにされ、破壊されたはず。
いちど切り離された胴体は、魔力によってかろうじて繋ぎ合わされている状態だった。
人形は知里と同時にアンリエッタにも回復術を施しつづけている。
だが、アンリエッタは死霊使いソロモンに心臓を潰され、とうに闇の存在へと変えられてしまっている。
この状態で死霊とならず、神聖魔法のもとで命を維持できていること自体が、ありえない奇跡だった。
「よくも……よくも、台無しにしてくれたわね」
知里は自動人形を睨み、頬には涙が伝っていた。
「……あたしの覚悟を」
そして、アンリエッタを救うべくソロモンを生贄とする唯一のチャンスを。
知里はその場に崩れ、声を押し殺して泣いた。
「あれ以上、闇の術式を使っては、あなたの命が持ちませんでした」
自動人形は知里の左肩に回復魔法を施しながら、言い聞かせるように言った。
「死んだって構うもんか。もう手遅れよ。この命ぜんぶ使って、あいつを殺す。アンを助けるには、あいつを生贄にしなくちゃダメなんだ……」
知里の赤い瞳が残忍さを帯びる。
再び全身が闇の炎に包まれた。
「たとえソロモンの命を捧げても、もう彼女は……」
「うるさい!」
知里は人形を払いのけて立ち上がり、ソロモンを追おうとする。
「あなたは、闇の力を制御できなくてはなりません」
人形が宙を飛んで知里の行く手へ回り込み、立ちはだかった。
「どけ!」
「危険です」
神聖魔法の白い光が明るさを増し、知里の暗黒と激しくせめぎ合う。
光はさらに鋭さを増す。
「……目が、見えない」
知里は強烈な光に目がくらみ、また膝をついた。
顔を覆ってうつむく知里のそばに、人形はアンリエッタをそっと横たえる。
そして倒れているグンダリの方へ飛んでいった。
「……聖龍のご加護があらんことを」
剣士グンダリに、もはや意識はなかった。
息も絶え絶えで、事切れる間際の状態だった。
人形は彼の体に手をかざし、杖で闇を打ち払う。
すでに知里の蠱毒によって、内臓が腐りかけていた。
その毒を、神聖魔法の奇跡の力で取り除いていく。
徐々に視力を取り戻した知里が、やっとそれに気づいた。
「ちょっ……何やってるの?! そいつは敵だ」
知里が絶叫し、飛びかかる。
瞬時に闇をまとって、人形ともども影の刃で切り裂こうとする。
その闇の刃を、白い光の盾で受ける自動人形。
「申し訳ないが、彼は私の〝大切な人〟の友人なのです」
「やっぱり、お前もこいつの仲間なのか!」
知里は絶叫し、物理攻撃のモーションで距離を詰める。
人形がグンダリを庇って光の結界を張る。
しかし、もはやそこにグンダリの姿はない。
「……感謝するぜ、賢者人形!」
グンダリはすっかり回復し、体力を取り戻していた。
「オマエが誰なのかは俺にゃ分からんが、さっきは壊したりして悪かったな」
「待て! この……!」
逃げるグンダリと、追う知里。
その間に割って入る自動人形。
「どけぇぇーーっ!!」
我を忘れた知里は、再び自身を傷つけて、闇魔法〝痛みの変換〟を試みる。
自動人形は闇と化す知里に組み付き、全身をかけた神聖魔法で打ち消そうとする。
「離れろ! この!」
知里は獣のように反発し、闇をまき散らす。
闇が浄化しきれないのか、人形の手足に暗黒の刻印のような亀裂が走った。
「余計なことを……余計なことを!」
身動きのとれない知里は声を押し殺し、嗚咽する。
「――せっかく! あそこまで、追い詰めたのに!」
「知里、落ち着いて、聞いてください。私の魔力が尽きた時、彼女の命は終わってしまいます」
アンリエッタの命は、人形の魔力が尽きるときまで――。
知里の動きが止まった。
「そんな……」
自動人形は、知里が呆然とした隙に、その左腕をとった。
手首の切断面に、アンリエッタが大事に持ってきた左手をつなぎ合わせ、回復魔法を急ぐ。
「知里。誤解しないでください」
人形は彼女を押さえつけながら、左手首の治療に魔力を込める。
遠隔地にいるという人形の操り主にとっても、あまり余裕がないのだろう。
必死さが伝わってきた。
「私はあの2人の仲間ではないし、2人を生かすのも、温情からではありません。あなたが闇に呑まれたまま2人の命を奪えば、奪ったあなた自身も、大きな代償を支払わねばならない」
闇の暴走によって2人を殺せば、必ず知里自身に暴走が撥ね返る。
「聖龍教会が闇魔法を禁じるのには、それなりの理由があるのです」
知里の闇を、必死に神聖魔法の光で中和させる自動人形。
「……わかってるよ。あたしだって、絶対に、使いたくなかったんだ。闇魔法なんて」
知里は嗚咽をこらえ、右手で涙を隠す。
「ずっと嫌で、頼まれたって、絶対に使わなかった。それなのに……」
「……そうでしたね。わかっています」
「そっか。あんた、あたしの心を読んだんだっけ」
やはりあれは幻ではなかった。
知里のスキル効果を逆流させて、自動人形に頭の中を読まれた。
どの程度まで読まれたのかは全く分からない。
「彼らは今回、命拾いをしました。……しかし、2度目はありません。そうでしょう?」
知里とのせめぎ合いで、蝕まれたのだろうか。
人形の顔の影となった部分が、深い闇を宿したかのように見えた。
「お人形さん……?」
(知里! いい加減にしなさい!)
その時、彼女の頭に聞き慣れたアンリエッタの声が響いた。
知里がハッとして振り返ると、苦楽を共にした相棒は、笑顔だった。
(もう喋れないから、気持ちだけ伝えるね)
アンリエッタの体は白い光に包まれている。
知里はチラリと自動人形を見た。
いま、グンダリもろとも人形を破壊しようとしたにもかかわらず、回復の手を止めていない。
「……お人形さん、ありがとう。あたしたちに、もう少しだけ時間を頂戴」
知里は礼を言った。
自動人形は頷いた。
「アン。ゴメンね」
知里はアンリエッタの元へ駆け寄り、彼女の体を支えた。
いまにも崩れ落ちそうだった。
すでに体からはぬくもりが消えかけている。
知里は別れの現実にガタガタと震えた。
(いい女は人前で泣かないの。ほら、シャンとしなさい)
アンリエッタは心の中で語りかけた。
いつもの凛とした声で。
それは知里と出会ってから、ただの一度も変わることがなかった。
「お別れなんて嫌だよ!」
知里はまるで自分が13歳の時に戻ったかのように錯覚した。
紅薔薇は震える手で知里の頬を撫でた。
(……冒険者をやっていれば、遅かれ早かれこういうことにはなる。でも、後悔なんてないよ。さぁ、奇麗に送って頂戴。アタシの唇が青くなる前に)
事実、アンリエッタの唇は青ざめていたが、彼女は血で唇を赤く染め上げていた。
「…………アン。ゴメンね」
知里の胸に、さまざまな思いが去来する。
彼女との日々は、楽しいことばかりだった。
人の心の闇に触れても、彼女は陽気に笑い飛ばし、浴びるほど酒を飲んで一緒に忘れた。
そんな相棒に呆れながら、自分はどれほど救われてきただろう……。
彼女に拾われなかったら、自分はすでにこの世にはいなかった。
知里は魔法銃に自決用の弾丸〝変身〟を装填して構えた。
──紅薔薇のアンリエッタを、文字通り薔薇に変える。
そうして火の魔法で燃やせば、彼女は美しいまま灰になって消える。
(知里、ありがとう! メチャクチャ楽しい冒険の人生だった!)
最後にアンリエッタは底抜けに笑った。
知里は嗚咽を押し殺し、引き金に手をかけた。
(さよなら知里……)
アンリエッタは天を仰ぎ目を閉じる。
…………。
…………。
知里は、引き金を引くことができなかった。




