第12話
「魔王討伐軍に入るって?」
「アンリエッタ、アンタもどう? ぜひ会わせたい人たちがいるの」
知里の瞳が赤く輝いている。
「トシヒコとグレン……アンリエッタと3人並んだところが見てみたい。きっとお似合いだよ」
「アタシは遠慮しとくわ~」
知里は冒険者を辞め、魔王討伐軍に入る。
自身も誘われたが、アンリエッタは素っ気なく断った。
彼女の気持ちは、心が読める知里には筒抜けだ。
アンリエッタは、いつまでも知里と一緒にいたいと願っていた。
しかし知里は、裏切りや貴族の陰謀を暴くような、街なかの陰湿な依頼にはうんざりしている。
知里が街で活動していたのは、兄の消息を追っていたからだ。
だが、一向に手掛かりはない。
知里は、拠点を街の外に移したいと言うようになっていた。
寂しいけれど、妹同然に思っている者の決意を止めたくはない。
とはいえアンリエッタには、魔王討伐など夢物語に思えた。
それに、盗賊の技術が魔王討伐軍に必要とも思えなかった。
知里に付き合ってやりたい気持ちもあった。
だが自由を求める彼女には、軍などという統制された組織に対する抵抗も強かった。
「もう会えないかもしれないわね、知里」
「約束、守れなくてゴメン。アンリエッタ」
コンビを組んで冒険をしていた頃、2人はある約束を交わしていた。
◇ ◆ ◇
「冒険者は死と隣り合わせ。だから、アタシか知里のどちらかが死んだら、〝冴えたやり方〟で送り出さない?」
「どゆこと?」
「ダンジョンで死んだら、遺体を持ち帰れないでしょう。後になって教団の司祭が回収に来たとき、骨ならまだしも、醜く腐り果てているのは〝いい女〟の末路じゃないでしょ?」
「…………」
「どちらかが倒れて、〝もう助からない〟って状況になったら、変化魔法で薔薇に変えて、炎で燃やして欲しいの」
「……っていうか、その魔法あたししか使えないでしょ。あたしが死ぬときはどうすればいいのさ」
「あらかじめ魔法銃の弾丸を用意して、アタシに渡しておくのよ」
そう言ってアンリエッタは笑った。
知里は、彼女が本心から自由を望み、刹那的に生きる決意をしていることを思い知った。
「〝変身〟で、自決用の弾丸かあ……」
知里が習得した魔法〝変身〟は、対象を任意の動植物に変身させる、クロノ王国の古文書にしか記載がない〝失われた白い秘術〟だ。
対象は魔導士の知っている動植物、あるいは砂や水などの自然物に限られる。
魔力の消費量が大きいため、変化させていられる時間は、せいぜい5秒~10秒。
鳥などに化ければ、飛行能力も得られる。
魔力の消費が大きい割に、発動時間が短いのが欠点だ。
そのため、使いにくい魔法だとみなされてきた。
しかし、植物などに変化させて火を放てば、即死級の魔法となる。
「気が進まなければいいよ。ただ、アタシはそんな風に思ってるだけ……」
◇ ◆ ◇
知里はアンリエッタと袂を分かち、魔王討伐軍に入った。
そのことは冒険者仲間の間でも話題になった。
「ネコチさんが魔王討伐軍にねえ……」
「転生者トシヒコって奴は勝手に〝勇者〟を名乗ってるイカれた野郎だってよ」
「へえ。でもネコチが無事に帰ってきてくれればいいや」
当初、トシヒコが銀の海を越えた〝魔王領〟に乗り込んだ話は、命知らずの無謀な試みだと笑い話にされていた。
しかし、いくつかの拠点を落とし、かの地で〝伝説級〟の魔神たちを討伐したと伝わってくると、冒険者たちは色めき立った。
とくに、天才魔導士〝知里〟の活躍は、アンリエッタら冒険者仲間の間で持ち切りだった。
「ひょっとしたら、連中は魔王に勝てるかもしれない」
「そうしたら、ネコチは英雄かあ……」
「どうよ、アンリエッタ?」
「妹のように思っていたあの娘が、何だか遠い存在になってしまったわねえ……」
ところが、半年ほどたった頃に、知里がフラッと冒険者の店に帰って来た。
生気をなくし、憔悴し切った彼女は、崩れ落ちるようにカウンターの椅子に腰かけた。
知里の姿を見たアンリエッタは歩み寄り、その背中を抱きしめた。
「おかえり」
「パーティをクビになっちゃった……」
「無事で何より。生きて戻ってきてくれて、嬉しいわ」
「……回復魔法を使えない白魔導士では、戦力としては中途半端だって。闇魔導士に転向しろって」
知里には天才的な魔法の才能があった。
でも何故か、回復魔法が覚えられない。
それは以前から知られていたことではあった。
「……あたしが意地を張ってしまったんだ。どうしても、闇魔法は使いたくなくて……。自分が自分じゃなくなっちゃうような気がしてさ……」
「そりゃあ、アタシたちは人間の〝闇の部分〟を嫌ってほど見てきたもんね」
街なかの冒険依頼は、嫌悪感を催すものも少なくなかった。
官憲が手を出さないような、裏社会と貴族社会のトラブル解決は、知らないうちにアンリエッタの心をも蝕んでいた。
他人の心が読めてしまう知里であれば、尚更だった。
「トシヒコたちとは、分かり合えたのに。皆、ホントにいい人たちなのに……仲間だったのに……あたしは……我を通してしまった」
「いいんじゃない。アナタは自由な冒険者なんですもの。好きに生きれば」
「世界を、救ってみたかったよ……」
「知里、おかえり。またアタシのところに帰ってきてくれて、ありがとう」
アンリエッタは、さらに強く抱きしめた。
唇をかみしめる知里をなだめ、頭を撫ぜる。
「……ゴメン。勝手に出てった挙句、あたしは最低。身勝手だ……」
自嘲する知里。
そんな彼女を、アンリエッタは持ち前のあっけらかんとした笑顔で励ます。
「また冒険しよ! 街なかの依頼じゃなくて、遺跡探索! 魔物討伐! お宝があたしたちを呼んでいるぜ! 妹よ! イヤなことがあったなら、浴びるほど酒を飲んで忘れちまえ! 店主、葡萄酒ね~!」
その夜、知里は初めて赤葡萄酒を味わった。
グラスを満たすルビーレッドの液体は、口に含むと甘く渋くそして重い。
カシスやブラックベリーのような果実味があり、ほのかなスパイスの香りが残る。
それが美味しいものなのかどうかは、まだ彼女には分からなかった。
けれども、たまらない悪魔的な魅力を感じた。
◇ ◆ ◇
「……あ…あれ? あたし今、どこにいるんだっけ……」
知里は今、『時空の宮殿』の最深部で、初めて飲んだ葡萄酒の味を思い出している。
目の前には、戦車ほどの巨大な昆虫が迫っている。
「ネコチ!!」
アンリエッタの絶叫が聞こえた。
ついさっきまで、知里を抱きしめて、葡萄酒を飲ませてくれた〝姉〟が、どうしてここに?
混濁する意識の中で、知里は解呪の術式を放った。




