ワガママな妻
俺の妻はワガママだ。
出逢って十年。結婚して六年。子供はいない。
そのうち一緒に病院行こうと誘われたが、いまいち乗り気になれずにいたのを、仕方ないわね。と眉を下げるだけで理解してくれた。
そんな彼女は俺には勿体ないくらいの良妻だ。店舗デザイナーの彼女とその下請け工場で働いていた俺は仕事で工場を訪れた彼女に一目惚れしたところから始まった。
今は都内に住んでいる彼女の実家が工場に近かったことで飯に誘ったらあっさりついてきた。それからちょくちょく誘っていたらいつの間にか付き合うことになっていた。やんちゃしていた若い頃なら面倒くさそうで手を出さなかったであろう、イイトコノお嬢さんだったようで、俺みたいなのが新鮮だったのだと思う。
紆余曲折を経て結婚出来たことは奇跡だと、俺自身いまでも思う。
結婚前の四年間に貯めたのだと工場と彼女の実家の中間の中古マンションを買い、自分達の手でリフォームした。工場のみんなも手伝ってくれてそれは快適な俺達の城となった。お互い一人の時間を大切にしようと二人それぞれの部屋を設けた。俺は趣味のプラモデルやゲーム機を、彼女は仕事場を。結婚を機に彼女はデザイン事務所を退職し、フリーのデザイナーとして在宅勤務を始めることにしたのだ。
これであなたの面倒がきっちり見れるわねとニヤリと笑う彼女は良い性格してると思う。
そんな彼女がワガママを言い出したのは突然だった。
ワガママと言っても些細なことで初めは気にしていなかった。
でも最初のワガママはいまでも鮮明に覚えている。
「来ちゃった」
そう笑って工場の入口に佇む彼女は出逢った頃とほとんど変わらない笑顔で俺に手を振る。隣に見えるのは以前勤めていたデザイン事務所の社長で彼の黒い四駆は俺には到底手が出せない高級車。昔うわさがあった社長と一緒なことにイラっとしたが、彼女が工場に来るのは結婚して以来初めてでこんなことをするタイプではなく、そんなイライラもすぐに忘れた。たまたま買い物に出掛けたところで社長に出会したらしい。だからってこんなとこまで来るなんてと首を傾げた。
せっかく一緒に帰るのだから外食しようと彼女は言った。場所は結婚前によく行った”とんがりぼうし”と呼んでいる、インドカレー屋。店の名前はインドっぽい名前のはずだがいつも覚えられず、昔喫茶店だったのを居ぬきで利用しているらしい、山小屋風のとんがり屋根だから、”とんがりぼうし”と綽名したのも彼女だ。
車だからビールも飲めず冷えたラッシーをストローでずずっと飲み干す。
少しそわそわした彼女が何か言いたげなのが見て取れた。
「どうかしたのか?」
うーんと眉を下げた彼女はとても言いづらそうにしていた。
「なんか欲しいもんでもあるの?」
促すとパッと顔を上げた彼女がもじもじと答える。
「そう、そうなのよ。あの、そう、洗濯、洗濯機がね……」
家の洗濯機は彼女が一人暮らしの時に買ったというだいぶ型落ちしたデザインだけはおしゃれな機能性のないものだったらしい。俺にはわからん。そういうのはわからないけど一緒に買いに行こうと言われれば否やはない。次の休みに二人で家電量販店に見に行くことになった。
その時買った洗濯機は俺の予想をはるかに超えた金額の乾燥機付き洗濯機。干せば乾くのにと思わないでもないが彼女がどうしてもというので、しぶしぶ買ってやることにした。とはいえ家計は彼女が握っているので財布を出すのは彼女だ。節約してるから大丈夫とにっこり言われたらこちらはもう何も言えない。悪かったな、甲斐性なくて。
それからすぐ、家に帰るとリビングダイニングが様変わりしていた。もともと彼女の趣味でコーディネートされた部屋だったが大きな家具はそのままにやけにすっきりしたモノになっていた。彼女が言うには必要最低限に抑える生活がどうだとか断捨離だのミニマリストだのわけのわからないことを言っていた。俺の作ったアイアンのダイニングテーブルに彼女がお気に入りのソファはそのままだから最初は気付かなかったけど、おしゃれカフェにあるような飾りだとかなんとかって部族が織ったっていうラグなんかがなくなっていて、部屋は急に静かになったようだ。あんなに自慢していたラグを撤去するってオシャレな人はよくわからん。もったいないとちょっと思った。
最近夕飯の味付けが微妙に変わって、聞いてみたら、実家で作ってるのだという。義父が亡くなり義母一人になったので二軒分作るほうが経済的だそうだ。義母の料理は嫌いじゃないが彼女の味とは少し違って、俺は彼女の味が恋しくなった。スープの冷めない距離っていうのはこういうことを言うのだろうか?
また欲しいものがあると言ってきたのはロボット掃除機だった。物も減ったし今までの掃除機でも問題ないんじゃないかと言ったのだが彼女はどうしても欲しいのだと言ってきた。在って困るものじゃないものって彼女は俺を説得しだした。いや、なくても困らないんだがなぁと頭を掻いたが彼女のワガママを受け入れた。
このころになると彼女は朝起きてこなくなった。俺は彼女の弁当が食べられないことを残念に思ってそれを伝えると、ごめんごめん。と彼女は布団の中に潜り込んでしまった。
家に帰って、乾燥機付き洗濯機に作業着を突っ込む。洗剤はなんとかボールってのを入れるだけ。あとはスイッチ押したら明日の朝には終わってる。床にはロボット掃除機が這いずり回っていて、冷凍庫の中にはレンジで温めれば食べられるハンバーグが入っている。冷蔵庫のホワイトボードには義母の字で惣菜の名前がいくつか書いてある。有難いことだ。
静まり返ったダイニングテーブルの上に小さな模型が置いてある。この部屋をリフォームする際彼女が作った1/50模型だ。彼女がデザインして俺が作ったこのダイニングテーブルも、彼女がお気に入りで買ったバルセロナチェアも、深緑に塗られたアクセントウォールも、ギャッベの絨毯も、ダマスク柄のファブリックパネルも、棚から流れ落ちるように飾られたポトスも、すべて、すべてが細密に作られていた。
「最期のワガママなんだけどね、あの家が大好きなの
だからずっとあの家に住んで欲しいの
わたしと、あなたの、二人だけの家よ」
俺は彼女の部屋をいつまでも開けられないでいる。
開けなければ彼女はそこにいるかもしれないから。
何も出来ない俺が出来るのは彼女のワガママを叶えることだけだから。




