3話 クリスマス限定メニュー・前編
建物の中に入ると毎度のことながらに、その暖房の効きやすさにいくらかホッとするものだけれど、さすが食べ物屋とあっては人の熱気のせいもあるのかその温かさはコンビニの比ではない。外とのあまりの気温差のせいか、もはや窓が曇っている。
まずは席を探さなきゃだな。
そう思ったけれど、さすがにクリスマス・イブとあってはどこもかしこも席がいっぱいだ。しかもワクドナルドはファストフードのチェーン店でもあるからそこら辺の飲食店とはわけが違うし。
他当たるしかないかな……。
「あ、あそこ。席あるよ!」
海さんが僕と手をつないだまま、空いている方の手で左端を指差した。
そっちには空席がなかったはずだけど――って、ある。
たしかにさっきまで空いていなかったはずの、壁に面してあるカウンター席には、ちょうど2人分の席が空いていたのだ。まるで、予約席か何かであるかのように。ぽっかりと。
座っても大丈夫だろうか。
いくら席を探していたとは言っても、もしかしてあそこにはすでに先客がいるのでは……。
じゃなかったらあんなに綺麗に2つも席が空いているはずがないし。
ちょっと不安に思っていると、海さんが隣で「行かないの?」と聞いてきた。
うーん……、いいのかなぁ。
「行こう!」
「わっ」
迷う僕を海さんは引っ張って、結局空いている席に腰かけることとなった。
「それにしても暑いねえ」
海さんはすっかりリラックスしている様子で、着ていたコートをおもむろに脱ぎ始めると、それを自らが座っている椅子にかけた。
まああれこれ悩んでいてもしょうがないか。座っちゃったものは仕方ない。もしあとで「ここ自分たちの席なんだけど」と言ってくる人がいたら、「すみません」と謝ってどけば済む話だし。
「雪は何食べるか決めた?」
「――あー、どうしよっかな」
店に入ったはいいけれど、特にそういうものは決めていなかった。僕は慌てて壁に貼られているメニュー表を見る。
「あ、これいいんじゃないかな!」
海さんが不意に身を乗り出して――何せ背が低いから、そうでもしないと壁に貼られているメニューに手が届かない――とあるハンバーガーを指差した。
そこには「クリスマス限定 激辛ハンバーガー」とある。
「雪は辛いの好きでしょ? 僕は苦手だけど」
「まあ……好きだけど」
「クリスマス限定 激辛ハンバーガー」を見つめながら、僕は軽くうなずく。
煽り文には「そのあまりの辛さは、まるで地獄の業火のようだ――」って、クリスマスだよね? クリスマスってキリスト教のものだよね? 何故そこに仏教的ワードを入れるんだ。そこは普通……もっと、何かあるでしょーに。
って、メニュー表にツッコミを入れてもしょうがない。僕は「海さんはどうする?」と彼女に聞いた。
「えっとね」
海さんはいつもと違う、女の子らしい仕草をしながら「これ……かな」と控えめにそれを指差した。
「っ!?」
はたまたこちらは「クリスマス限定 超特大級ハンバーガー」とある。
クリスマス、全然関係なくない!?
しかも画像で見る限り、アメリカンサイズかってくらいに大きいし!
でも日本だよな。日本だったら多少映像で盛ってて、さらに隅のすっごく小さい字で「写真はイメージです」って書いてあるはずだ。
……僕の位置からは見えないけど。
「飲み物はどうする?」
「雪は?」
「僕は無難に緑茶かな。ホットあればそれでいいし」
「そっか。僕はねぇ、うん。コーラかなっ!」
コーラぁっ!?
「う、海さん。コーラはまずいんじゃない、かな……?」
「どうして?」
不思議そうに首をかしげる彼女は、コーラを頼むことに何の抵抗感もないようだけど、いつもの彼女だったらそんな危ない真似はしないはずだ。それもこれも背が縮んだせいだと勝手に解釈することにして。
さあて説得しなければ。
「だって海さん、炭酸飲むと酔っぱらうじゃん?」
すると彼女はなんと、両手をグーにしたと思いきやそれで両脇をしめて、
「今日は何だかいける気がするのっ!」
と一言。
いやそれ無理でしょっ!?
これから鉄棒で、昨日はできなかった逆上がりをしますって言ってるのとはわけが違う。
昨日は酔ったから今日は酔わないはずがないなんて、普通に考えてありえないから。
「酔っぱらったら、大変なことになるよ? イシカミさんが怒ってすっ飛んでくるかも」
正体知らぬ石上さんの名前を脅しのつもりで言ってみるが、これはまったく効き目がなかった。
「今は石上の話はしないでよぉ! せっかくのクリスマス・イブが台無しじゃーん」
ムスッとして海さんは明らかに不機嫌な態度をとった。
なんだか、いつも以上にやりにくいなぁ……。こうも聞き分けがないなんて、まるで子どもだ。いや、子どもだけどさ。
さてどうしたもんか。
困り果てていると、海さんは「じゃあさ」と僕のほうをちらりと見て言った。
「しょうがないから、一口。一口だけでもいいでしょ? たしかに雪の言うとおり、炭酸飲むと酔っぱらっちゃうけど、その……。一口だけだったら、そんなに重症にならないと思うし……」
お願い、と言いたげな目をして僕を見つめてくる彼女に、仕方なく勝ちを譲ってやった。これ以上何か言いあってもますます不貞腐れるだけだろうし、今回ばかりは大目に見よう。
いつもだったら、いくらか聞き分けがいいんだろうけどなぁ、なんて思ったのは秘密にしておいて。
「それじゃあ僕が買ってくるから、海さんはここで待ってててね」
「うん、わかった」
僕は席を立ってレジのところへ向かう。そのとき、一度だけ海さんのほうを振り返った。
カウンター席の椅子はテーブル席の椅子とは違って、少しばかり座高が高く作られているのだが。
そこに座っている彼女の両足は、まだ足掛けにさえ届かないのか。プラプラと宙を泳がせていた。