七
酒場の朝は遅い。大体夕方頃から開いて、深夜まで続く。
朝、というより昼近くに起き出してから風呂に入って昼食を取り、そこから軽く店内の掃除、そして夜の料理の仕込みを手伝いしながら開く直前に軽く夕飯。そして深夜まで給仕として働いたあと店内を閉めて夜食を取りながら食器などを洗い、眠りにつくのが明け方だ。
一日十二時間以上の労働をしているけど、給金は月に銀貨五枚である。スクリウム一匹の売値が銀貨五十枚を考えると非常に安いと思う。労働基準法はどこだ?
でも、家賃も食費もタダだし、衣類についてはラッティーネさんからぽんと十着ほど頂いたので当分困らない。
あ、ラッティーネさんはメラリィさんお付きのメイドで、一番貴族っぽいお嬢様の人だ。そして俺の護衛役兼先生兼生徒でもある。
この人、メラリィさんと同じくらいの年齢で高校生くらいなんだけど非常に大人っぽい。優雅で気品もあるし、話し方も本当のお嬢様のようだ。
「ケイさんの世界ではそのようなものがありますの」
「はい、温泉と言って様々な効能があるんですよ。こちらの世界にも火山はありますか?」
「ありますわ」
「その近くは地熱が高く、地下水が温まっている事が多いんですよ。そのお湯を適温まで下げてお風呂に使うと、いろいろな効能がある可能性があります。例えば美肌効果や保温保湿、腰痛や筋肉の痛みなども和らげる温泉もありますね」
「それは素晴らしいですわね、わたくし、少々探してみたくなりましたわ」
「ただ、全部が有効かと言えばそうではなく、毒とまではいかないけど人体に悪影響のあるものもありますから、やはり地道に調査は必要でしょうけどね。しかし一番手っ取り早く温泉っぽい効果を得るなら果物、特に柑橘系のものを入れると良いですよ」
「それはまるでお茶のお風呂に浸かっているようなものですわね、匂いも良さそうですし手軽にできますわね」
「紅茶も気分を落ち着けたりしますからね。口から飲んで内部から、お風呂に浸かって外部からの両方やれば二倍の効果が得られるかも知れませんね」
なんて雑談をしながら起きてから二人で風呂に入っている。
さすがに年頃の女性と一緒に風呂ってのはまずいと思ったんだけど、ラッティーネさんが無理矢理入ってきたのだ。一応彼女は俺の護衛ということと、風呂に入っている時は普通裸であり装備など一切着ていないので狙われやすいそうだ。
まあそれはそれとして、最初は非常にどきどきしたものだけど、彼女は羞恥心というものが一切ないようで素っ裸で堂々としていた。また高校生くらいだけどぶっちゃけどこかのモデルといっても良いくらいのスタイルで、美人で気品もあって優雅で……つまり芸術を見ているみたいで全く興奮しなかった。
そして一月もするとこの生活にもすっかり慣れてしまった。
このお風呂タイムは今では非常に有意義な情報交換の場になっている。
「聖国ですが、この国は出来て三百年の歴史がありますわ」
「王国は二千年ですよね。それに比べると若いですけど」
「そうですわね。でも王国が古いだけで他は聖国とさほど変わりませんよ。ルークハイド帝国も四百五十年ほどですし、ロッテンビリッツ連合国なんてまだ五十年ですわ」
この大陸には大小合わせて十八カ国がある。その中で大国と呼ばれるのが今俺がいるトライスデント王国、ルークハイド帝国、聖国アルファーゼ、そしてロッテンビリッツ連合国だ。まぁ最後の連合国は五カ国ほど寄り添っているだけだが。
その中で聖国は女神カサライデが守護しており、他とは一線を画してる。何せ女神カサライデが誕生した原因となったのがこの聖国らしい。
元々あの辺りは王国の属国だったルーベルイト公国があり、それがとある吸血鬼に滅ぼされそうになった時、身を挺して吸血鬼を撃退したのがカサライデという女性だったそうだ。その戦いで彼女は命を落としたそうだが、救われた人々の想いが彼女を神格化させ、以来聖国の守護神となった。
「その吸血鬼って一人で一国を滅ぼせるほど強かったのですか?」
「ええ、吸血鬼は積み重ねた年月の長さで強さが変わりますの。数年級、数十年級、数百年級、そして数千年級……。特に数千年級の吸血鬼は人では倒せないほどの強さを持っていますわ。公国を滅ぼしたのも一千五百年級の吸血鬼ですの」
「そんな強い吸血鬼を撃退した女神もすごいですね」
「カサライデは癒やしとは異なる回復の力を持っておりましたの。その力はアンデッドと呼ばれる者たちの弱点でして、それでどうにか撃退できたのですわ」
癒やしは自己の治癒能力を活性化させる魔法だけど、回復は術者の魔力を使って肉体を再生させる魔法だっけ。
やっぱりアンデッドは回復魔法に弱いのか、王道だね。
そういえば、俺ってその女神の使徒なんだよな? じゃあやり方さえ分かれば回復魔法とか使えたりするのかな?
物は試しだ、有名な回復魔法でも言ってみるか。
「ヒール! ホイ●! リジェ●! ケア●!」
「と、突然どうしましたの?」
突然俺が叫んだのを不思議に思ったのか、それとも若干引いたのかは分からないけど、少し俺から距離を取るラッティーネさん。
「あ、あはははは……。前に私はその女神の使徒だとメラリィさんに言われましたから、ひょっとしたら私にも回復魔法が使えるのかなと」
「祈りを捧げないと、言葉だけ言われてもカサライデには届きませんわ。それに怪我をして居る者もいないのにカサライデも困るのではないのかしら」
「……そ、それもそうですね」
似たような言葉をメシアにも言われたっけ。それに体力MAXの人に回復しても意味はないか。あー、でももしかすると回復のしすぎて鼻血が出てきたりして。
「ラッティーネさん、この世界の人の身体に女神の力を降臨させたのが使徒……なのですよね」
俺の問いに頷く彼女。
使徒とは聖典と呼ばれる神器を使って女神の力を降臨させた者。そしてその器はこの世界の誰か……だ。
当初俺の目的は、白い神官服の奴らから逃げ、生きていく上で必要な生活基盤を整える事だった。
しかしメラリィさんやラッティーネさんからこの話を聞いてからは、この身体を元の持ち主へ返す事が追加された。責任は女神や聖典とやらにあるとは思うけど、それでも借り物なのだから遠慮無く使って良いものではない。
まぁ、持ち主の意識はどこへ行くのかが分からないのが大きな問題だけどさ。もしかすると深層意識としてこの中に残っているのか、或いはどこか別の場所へ移されているのか、それとも……とっくに消えているのか。どうやって返すのか、その方法も分からない。それでも返せるのなら返さなければならない。
それらの問題を解決するには、やはり俺を呼び出した張本人である女神と会う事が一番手っ取り早い。
ではどこへ行けば会えるのか?
そりゃ聖都に決まっている。元々俺が目覚めたのがあの泉だったから、おそらくあそこへ行けば何らか手がかりがあるだろう。
でもあそこへ戻ったら今度こそ神官たちに捕まるだろう。なんせ本拠地だからな。ならば忍び込むしかない。
と言うわけで、今俺は聖国や聖都の情報を集めることに専念している。まぁその情報を実際に集めているのはメラリィさんたちであって、俺はそれを聞いてるだけだが。
メラリィさんたちも、何故異世界の俺を呼び出したのかが気になってるようで利害は一致している。しかし聖国は女神の壁によって遮られているので、なかなか情報が集まらないそうだ。
ちなみにこの賃貸住宅に住んでいる冒険者が定期的に聖国へ情報収集の為に出かけているそうだ。俺を助けてくれたのも、その冒険者がたまたま聖国からの帰り道に見かけたから、らしい。
色々と手を打っているんだな。
「ひゃぅっ!?」
肩まで浸かって色々と考えていると、ラッティーネさんが俺の首元を指先で突いてきた。
この人、スキンシップがちょっと多いんだよな。
いくら芸術のような人だからといって、触られれば俺の本能が爆発するかも知れないのに。爆発しても出来ないけどさ。
更にラッティーネさんは口を俺の首元へとあてがって、軽く吸い付いた。ちょっとちりちりする。
前に、ここまでやるか、と問い詰めたけど、これくらい普通ですわ、の一言で終わったのだ。女性同士って本当にこんな事するのかね?
吸い付かれたまま湯船に浸かっていると、段々のぼせてきた。そろそろ上がって昼飯にするか。
「あのー、そろそろ上がりますよ」
声をかけるとラッティーネさんはようやく俺の首元から口を離すと、耳元で囁かれた。
「ケイさんってまるで毒があるようですわ。ぴりぴりとした刺激が楽しくてつい羽目を外しそうになってしまいますの」
「はぁ……それは、ありがとうございます?」
「ふふっ」
何やら意味深なセリフを吐いてラッティーネさんは風呂から上がっていった。
……しかし大きなお尻ですこと。