ハッピーエンドのその後で。
-序-
こうして2人は末永く幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
子供向けに描かれた多くの御伽話は、主人公達が幸せな結末を迎えるとそこで終わりを迎える。王子様とお姫様が結ばれて、結婚して、そこでおしまい。その後の人生は全て省略されてエンドマークが付き、はぁやれやれ、良かった良かった、二人は幸せになった、となるのである。
しかし考えてもみて欲しい。王子様とお姫様は、本当に何事もなく、末永く幸せに暮らせるのだろうか?
例えばシンデレラ。
彼女は没落貴族の娘で、父親の再婚後はまるで使用人のように暮らしてきた。
幼少期には受けていたであろう教育も、父親が亡くなってからはおそらくされてはいないだろう。教育には当然それだけ費用がかかるし、時間も要する。使用人のような扱いをされていた少女にはもちろん、貴族としての教養など殆どないに等しいと思われる。
そんな彼女がいくら国の王子に見初められたからと言って、本当に何事もなく幸せに暮らせるのだろうか?
何不自由なく暮らしてきた王子様と、使用人のように暮らしてきたお姫様。明らかに生活習慣も生活水準も異なるし、身につけている教養レベルも違うだろう。
もちろん、シンデレラが悪いわけではない。シンデレラを選んだ王子様が悪いというわけでもない。ただ、心優しいだけの女の子が一国の王子妃、ゆくゆくは王妃、国母になれるのかと思うと疑問しか浮かばない。
そもそもの話、愛だけで国を治められるなんて思えない。
例えば白雪姫。
王子と王女で、シンデレラのような身分差は無いが、白雪姫は国王ただ一人の娘という設定だったはず。それも、亡き前王妃の忘形見。白雪姫の立場であれば、簡単に他国になど嫁げるはずはないのである。
まぁ、白雪姫が母国に何の連絡もしないで結婚したというのであれば話は別であるが、それはそれで、そんな王子妃で大丈夫なのかという懸念が残る。
もっとも、個人的には死体愛好家な王子は、息を吹き返して死体ではなくなった白雪姫への愛はいつまで続くのだろうか、という疑問があるのだけれども。
例えばいばら姫。
こちらも一応王じと王女ではあるが、姫は百年も眠っていたはずだ。物心のつく前に呪いで眠りについたわけではない。しっかりと自我のある十六の娘である。知識や常識が確実に隔たりがあるようにしか思えない。大丈夫? 常識や価値観って百年も経てば随分と変わっちゃうよ? 常識も価値観も違う人との生活って大変だよ?
いくら妖精たち、あるいは良い魔女たちが力を貸してくれたとしても、越えられない壁は、きっとある。
そしてこれはシンデレラにも、白雪姫にも、いばら姫にも、そして様々な御伽話に共通して言えることではあるのだが。時代背景的に、今の世の中と違って簡単に戦争が起こりそうなんだけど、そこら辺とか大丈夫なんだろうか。特に白雪姫。
あと、物語と特性上、致し方ないことではあるが、皆ほぼ一目惚れなのだが、それで結婚生活はうまくいくのだろうか。
シンデレラなんてダンスの相手になっただけだし、白雪姫なぞ死んだ状態だ。
原典とされるグリム童話の初版と、子供向けの絵本として語り継がれる物語では相違点も多いが、物語の柱となる大まかな流れは変わらない。
所詮は童話、御伽話なのだから、詳細は語られないし、野暮なことをいうものではないのかもしれない。エンドマークの後だって二人は幸せに暮らしました! と言ってしまえばそれまでだけれども。
でもそれはつまり、現実では「めでだし、めでたし」は通用しなというわけで。
「俺たち、別れることになった」
「……」
だからこうやって現実のカップルは簡単に別れるんですね、分かりたくありません!
-1-
私の双子の弟、菊原英二と親友の西野雅が付き合いだしたのは、今から約二年前。高校卒業式からである。
雅とは中学一年で同じクラスになって以来の親友で、雅が英二に一目惚れをしたそうだ。
確かに英二は、双子の片割れである私から見てもモテる顔立ちなので、一目惚れもやむなしである。おまけに勉強もできるし運動もできる。面倒見もいいので、身内が言うのも何だけれども、とてつもない優良物件であるのは間違いない。雅以外にも、英二に想いを寄せる女子生徒がたくさんいたことを、私は知っている。
その頃の雅は実に可愛らしい恋をしていて、想い人の姉が親友という、他の女子から大いに有利な立場にありながらも「ただ見ているだけで幸せなの」「話しかけるなんてとんでもない!」と頬を赤く染めていた。
その様があまりにも可愛くって、私は雅を応援すると心の底から思っていた。紛れもない、私の本音である。
というか、そもそもの話、私の親友であるので英二とも何かと接点は多い。私と英二は、思春期のきょうだいにしては、大層仲が良い。その結果、雅の想いは英二にバレバレという状態だった。
だったのだが、当の英二も満更どころではなく、憎からず雅のことを想っているようだった。いわゆる、両片想いというやつである。
ただし、ヘタレな英二は雅に告白する勇気はなく、ただそばで見ている私が一人で焦ったい思いをしているだけだった。
ところが、そんな奥手で可愛い可愛い雅だったのだが、なぜか高校に入ってから豹変した。
比喩として、まるで人が変わったようだ、という表現することはあるが、本当に、高校に入学してからの雅は別人だった。雅のドッペルゲンガーであると言われた方が納得するレベルの豹変ぶりだった。
突然「これは運命の恋なのよ!」なんて、謎の宣言をしたのである。
『これ、運命の恋なのよ! 私は、英二くんに出会うために生まれたのね!』
なんて、まるで、それまでの雅は英二に恋心を抱いていなかったような、そんな物言いだったのだ。
あれだけ散々、私に英二への恋心を吐露していたのだから、今更としか言いようない。しかし、それを指摘するのも無粋な気がして、特に追求することはなかった。
高校入学後の雅は積極的に英二に話しかけるようになり、私に対してどうすればいいか、なんて相談を持ちかけるようになった。英二は何が好きとか、どんなファッションが好きか、とか。中でも多かったのが、私のことをどう思ってるかな、である。
あれだけ見てるだけで幸せ、話しかけるなんてとんでもない! と恥ずかしがっていた奥手な雅は果たしてどこへ行ったのか。
ただ、もとより私は英二と雅にくっついてほしいと思っていたので、英二に関して相談にのるのは、やぶさかではない。
しかし、雅が積極的に話しかけるようになったのは英二だけではなかったし、私への相談も英二に関することだけではなかった。おまけに、何度も何度も、特定の男子生徒達に対して、デートのお誘いをかけているようだった。
「ねぇ、雅。雅って、英二が好きなんじゃないの? なんで他の男子にまでアプローチ掛けてるの? もしかして、二股しようとしてるの?」
そんな風に雅を諌めた回数は数知れず。だたし、この話を持ち出すと雅は決まって、
「そんなことないよぉ、彼らは皆お友達! 好きなのは英二だけだよ! 一美だって、男の子と遊びに行くこと位、あるでしょう?」
なんて返ってきたものだった。
残念ながら私はどこかの誰かさんの面倒をみなくてはならなかったので、そんな暇は存在しない。そもそも、英二を通じて何人かの男子とも仲良くなったから皆で遊びに行くことはあったけれど二人きりなんて一度もない。
初めのうちは、これも高校デビューの一種か、と思い込もうとしていた私であるが、もはや悪霊か何かが雅に取り憑いているんじゃないか、と疑うほどだった。
英二と二人で、何度か雅に何があったのかと話をすることもあったが、私にとって雅は親友で、英二にとっては片想いの相手である。当然、悪し様にいうのは憚られ、結論などでることはなかった。
それにしても、高校生男子という生き物は単純なのだろうか? デートを繰り返したり、誕生日プレゼントやらバレンタインのチョコやらを貰っているうちに、雅にころっと落ちるなんて。
高校二年の終わりごろには私が知る限り、雅が積極的に話しかけていた男子生徒たちは全員、雅に惚れていた。
バレンタインのチョコレートなんて、手作りではあるものの、見るからに義理チョコ感満載だったのに。私も雅に付き合わされて、バレンタインの前日にチョコレートを作ったが、明らかに本命と義理の差が激しかった。
例え義理チョコであったとしても、手作りはやはり嬉しいものなのだろうか。
――あれ、そう言えば私、作ったチョコどうしてたんだっけ。誰かにあげたような気はするけど、誰に上げたんだっけ。自分で食べた覚えはないから英二にあげた記憶あるけど、それとは別に作ったはず。
……ま、いっか。
その後、雅の親友と言うポジションであるせいか、その特定の男子生徒たちまで私に話かけてくるのだから笑えない。雅の親友だから、というよりも英二のきょうだいだから、のほうがどれだけ良かったことか。
その中には、私の好きだった人までいるのだから、私は実は泣いても許されるんじゃないだろうか。
その好きだった人とは何故か友情が芽生えちゃって、今でも仲のいい友人でよく一緒にご飯食べてるよ、下手すりゃ親友であるはずの雅よりも仲良くなってるよ!
高校二年の秋頃には正直何もかもが面倒になったので雅を含めたすべての人間に「とっとと告白すれば?」と促していたのだけれども、まるで何かに邪魔されるかのように、誰も想いを告げようとはしなかった。
冬にはまるで雅もアプローチする相手を厳選するかのように話しかける相手が少しずつ減っていって、三年に進級した頃には雅も英二一人に絞ったようだったけれど、漸く英二が告白したのは卒業式。当然そこで雅が断るわけもなく二人は付き合いだしたのだが、全てを見てきた私にはそれが茶番劇にしか見えなかった。
何はともあれ、そうして付き合いだした二人であったが、なんと三年ともたなかったらしい。
わざわざ二人揃って破局報告に来たようだが、運命の恋とは果たして。
「それはわざわざ報告どうも。で、それだけ?」
「それだけ? って、一美、冷たいー!」
「あのねぇ、それだけ以外に何を言って欲しいの。もう子供じゃないんだから、勝手に別れなさいよ。空気くらい読んであげるから」
おそらく雅はどうして別れるのか、と聞いてほしいのだろう。何となく、ではあるが英二は別れたがっているが、雅の方はまだ英二に未練があるように見える。英二が「別れることにした」と告げた後、雅は無言で口をとがらせて、英二を少し睨むように見上げていたから、恐らく気のせいではないだろう。
正直、確かに二人がくっつくまでの過程を振り返れば「ちょっと落ち着け本当にそれでいいのか」と思わないでもないけれど、英二が別れたいと言っているのなら別れたほうがいいのだろう。
確かに雅は親友であるが、英二は私の双子の片割れで、生まれる前からずっと一緒なのだ。中学からの付き合いと、生まれる前からの付き合いならば後者をとっても仕方あるまい。
というか、私の心情的にも、もう雅の味方はできない。
それよりも何よりも、私に何を言って欲しいのかな、雅さんは。あれかな? いまだ彼氏の一人もいない私に嫌味かな? 彼氏いない歴イコール年齢である私への嫌味かな!? うっかり好きな人と友情を築き上げてしまった私に対する嫌味ですかね!?
っていうかね、私、これから出かける準備をしようとしていてね? 時間ないんですけどね?
耳だけ貸して、とりあえず出かける準備は進めてもいいかな、いいよね。
「だって、だって~」
「今日は別れました、って話をしにきたんでしょ。それ以外私に何を求めてるの? 説得してほしいの?」
普段ならば許容できる雅の間延びした喋り方も、今はただイラつくことしかできない。
悪気がないのは分かっている。これでも付き合いは長い。この子の性格は分かっている。しかし、一度嫌なところが目につき始めるとその後、その嫌な個所に目が行くようになってしまうので、出来れば今日はこのまま引き下がってくれないだろうか。結構、切実な願いである。
っていうかね? なんで「私達別れました!」という報告を二人で仲良くしにくるの? 英二だけで良くない? 同じ家に住んでるんだし。
今日つけるアクセサリーでも選ぼうかな。
自分であまり買うことはないが、せっかく出かけるのであれば、少しくらいのおしゃれは使用。
そう思って、アクセサリー類をしまっている引き出しを開けて、思わず首を傾げる。
……あれ、こんな指輪、私持ってたっけ?
「……ねぇ、ちゃんと聞いてよ〜!」
自分で買った覚えのない指輪が三つ。
「ねぇってば! 意地悪しないで!!」
雅の叫びに、思考が中断される。どうやら、まともに取り合わない私に苛立っているらしい。
「あのね、意地悪とかそういうんじゃなくって。それと、話を聞いてほしいならせめて事前に約束してからにしてくれない? 残念ながら私だっていつも暇ってわけじゃないんだよ。これから約束あるから出かけたいんだよね。悪いんだけど、今日は帰ってもらってもいい?」
出かけるからと言ってるのに、雅はなおもこの場に居続けようとしている。私が盛大なため息をつくと、そこでようやく渋々とではあるが立ち上がった。
雅ってこんなに空気読めない子だったっけ? なんか、本当に昔と性格が違うような気がしてならないのだけど。昔はもっと、気遣いのできるいい子だったと思うんだけどなぁ。
-2-
「で? 結局別れることになった原因は何?」
「あれ、出かけなくていいのか?」
流石に別れたという元彼女を見送らせるのはちょっと酷かと思い、私が雅を見送り、その後英二の部屋に突撃する。すると、英二は驚くように目を見開いた。
確かに出かけるといって雅を追い返したが、待ち合わせ時間まではまだ余裕があるし、こんな面倒くさそうな話は後回しにせずにさっさと聞いてしまった方がいいだろう。それに、破局話をあとから蒸し返すような真似はしたくない。
「早めに出て時間までブラブラしてようと思ってただけだから大丈夫。で? 原因は?」
「あー、性格の不一致ってところか?」
「はぁ? 今更?」
別れる原因がまさかの性格の不一致!
おらおら、とっとと吐いてしまえ、と英二をせっついてようやく口を開いたのはいいが、まさかの!
これがまだ付き合い出して間もないとか、同棲を始めて付き合っている頃には見えなかった性格が分かってきた、一緒にやっていけなくなったとかならまだ分かるけど、二人が付き合い始めたのは二年前のことだし、英二は私と同じく実家暮らしだ。
今更性格の不一致で別れたと言われても、なんだかなぁ。
まぁ、雅には高校に入学してすぐに性格が変わったので、大学に入って性格がまた変わった、と可能性を否定しきれないのが厳しいところだけれども。
「……二年、か」
「何よ」
「いや……俺と雅って、本当に付き合ってたのかな、って」
「……付き合ってたんじゃないの? 卒業式に英二が告白して、雅がそれをOKして付き合いだしたんでしょう?」
「それは、そうなんだけどさ……」
彼氏いない歴、イコール年齢である私には何をもってして「お付き合いをしている」とみなすのかははっきりと定義できないけれど、「好きです、付き合ってください」「はい」のやり取りを経ているのであれば、それは付き合っているといえるのではないだろうか。
何やら歯切れの悪い英二は、何かを隠しているようにしか見えない。なので、とっとと吐けと突っつけば、実は、とようやく重い口を開いた。
「大学入って少しした頃に、見ちゃったんだよな……」
「見ちゃったって、なにを?」
「雅が、男と腕組んで歩いてるところ。それも、何人も」
大学入って少しした頃って、浮気早すぎでしょういくらなんでも!!
私が驚きで固まっていると、それまで溜まっていた鬱憤すべてを吐き出すように英二がゆっくりと息をついた。
「そ、それって、もしかしてあいつら? 高校時代の、英二の恋敵という名の愉快な仲間たち」
「愉快な仲間たち言うな。確かにあいつらは愉快だけど。むしろあいつらだったらどれだけよかったか……あいつらなら耐性ついてるから」
自覚があったのか、愉快な仲間たちである自覚が。高校時代から愉快な仲間たちという呼称はよく使っていたけれど、まさか本人たちに自覚があるとは思わなかった。あと、何気に自分は愉快じゃないと思っているのかもしれないけど、英二も十分に愉快だからね。
ぶっちゃけ、聞かなきゃ良かったと思ったのは仕方ないのではないだろうか。
あれ? でも、さっきの雅はどう見ても、英二に未練たらたらだったよね?
「……ねぇ、流石にアレだよね、英二との約束が優先だよね? 英二との約束がないとき、だよね?」
「……先約があるって言われた日の先約相手ってのはいつも男だったな」
「雅はそのことについての弁明は?」
「いつもの通り」
――好きなのは英二だけで他は皆お友達。
そういうことなのだろう。
「……で、いい加減英二がキレて二年も経ってから別れ話を持ち出した、と」
「一応、別れ話自体は去年からしてはいたんだけど、雅が中々納得してくれなくって、今日になった、って感じかな……。一美には俺から話しておくからって何度言っても、自分も行くってしつこくってさ……」
「……あー、帰り際の様子からして私に英二に考え直せって言って欲しかったんだろうね」
「俺、もうしばらく彼女はいらない……」
雅が本当に彼女だったのか自信ないけど、と呟く英二の顔はなんだか疲れきっていて、私は自分のことでいっぱいいっぱいだったとはいえ、もっときちんと日ごろからコミュニケーションを取っていればよかったな、と後悔する。
本当に、中学時代のあの子はどこに行ってしまったというのだろう。中学時代の控えめで「見てるだけで幸せ」なんていう雅のままだったら私は一生懸命、英二との仲を取り持っただろうし、雅を贔屓していたかもしれないのに。
今の雅はなんていうか、あれだよね。言葉は悪いけど、いわゆるビッチ予備軍と化してるよね? というか、予備軍ですらない?
「え、あれ。待って、待って。そんな状態なのに、英二と別れたくなかったの!? 今日の様子見る限り、どう見ても不承不承って感じだったよね!?」
「俺、あいつの考えてることわかんねーよ……」
ごめん、私もわかんない。
分かるのはとりあえず、雅の思考回路は成人しても理解できなかった、ということくらいである。
なんかもう、凄く悶々とするんだけど……私、なんであの子の親友やってるんだろう?
「あー、この鬱憤を誰にぶつければいいの? 高橋? 高橋にぶつければいいの? よし、今日会うからそこで愚痴ればいいのかな!? いいよね!!」
「いや、それは流石に俊哉が可哀想だからやめとけよ。あいつだってそんな愚痴をこぼされるためにお前と会うわけじゃねーだろ」
「そりゃそうだけど、友達なら愚痴の一つや二つ、どーん! と受け止めてくれてもよくない?」
「友達、ねぇ……」
「ん?」
俊哉、高橋俊哉と言うのが英二の愉快な仲間その一で、かつての私の好きな人、今では親友よりも仲がいいかもしれない人物である。頑張って恋愛感情を友愛感情へとシフトさせ、今でも月に二回程度の頻度で会ってご飯を食べたりお酒を飲んだりしている。
これは英二も知っているはずなのだが、え、まさか友達だと思っていたのはまさか私だけ、とか?
なにその切ない思い込み! せっかく恋心を頑張って友愛に変換させたというのにあっちは私のことを友達とも思ってなかったと!?
いくらなんでもそうだったら私泣きそうなんだけど。ってか、泣くよ。
「だって俊哉はお前、あれじゃん」
「あれって?」
「あー、ほら、今日はさ……」
「今日?」
「……いや、なんでもない。その問題は俊哉に任せる」
「?」
何でもないと言われると余計に気になるのが人間の性であろう。なんだ、あれって。
え、っていうか本当に気になるんだけど!! なになに? 問題ってなに? それに今日ってなんかあったっけ?
でもまぁ今は取りあえずは高橋のことを置いておこう。非常に、ひっじょーに気になることではあるが、今は取りあえずおいておく。
「まぁ、高橋のことは置いておいて。ごめん、そろそろ準備しないと間に合わないや」
「あー、俊哉と会うなら雅のこと言っといて」
「いいの?」
「遅かれ早かれどうせ話すことになるんだから、なら一美から話してって問題ないだろ。笑い話にでもしてくれ」
「いや、笑えないから」
それにしても、本当に、雅は別人になったとしか思えない。中学時代はもっと、本当に純粋に英二のことが好きだったと思ったのだが。
変わったというか、別人としか思えない。
「あ、一美」
「なに?」
ドアを開けて部屋を出ようとしたところで、英二に呼び止められる。
「お前は、間違えるなよ」
……間違える?
「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。俺はたぶん、間違えた。あの頃はちゃんと雅が好きなんだって思ってたけど、今思えばそれは間違いで、単なる錯覚だったんじゃないかって思ってる」
「……どういう、意味」
「あいつさ、急に性格変わっただろう、高校に入ってから」
「……そうだね。別人疑惑が浮上するレベルで、ね」
これは、あの頃、二人で何度も話題にでた内容だ。だから、忘れるわけがない。
「俺は中学時代の雅が好きだった。これは間違いない。でも、高校に入ってからの雅は、俺が好きになった雅とは似ても似つかない。頭ではわかってたけど、あれだけベタベタされて、誕生日だのバレンタインだのに色々貰って、しょっちゅうデートに誘われて。露骨に好意を示されて、多分、心のどっかがバグったんだろうな。『俺は西野雅が好きだ』って、思い込んだんだと思う」
「……」
「俺は間違えて結局失敗したけど、お前は間違えるなよ? で、素直になれ。友愛と恋愛は違うからな。まぁ、一美なら大丈夫だろうけど」
英二の意図が分からなくて首をかしげる私に「引き留めて悪かったな」と言って英二はそのままベッドに横になった。ふて寝でもするのかもしれない。
「……行ってきます」
「おう、楽しんで来い」
「うん、ありがとう。21時くらいには帰ると思う」
おー、という英二の言葉を聞いて私は部屋を出た。
とりあえず、これ以上私が何か言うことはないだろう。英二の中ではとっくに雅のことは整理がついていて、ようやく問題が解決してすっきりしているようだ。
問題は、むしろこれからの私である。
別れた原因を聞いた今、雅と普通に親友を続けられるかな。
いずれにせよ、英二と雅は物語のように「いつまでも幸せに暮らしました」とはならなかったということだ。ま、所詮現実なんてそんなものだよね。
-3-
「で、一美はそれを聞いてどう思ったんだ?」
「んー……?」
英二との話を切り上げて、部屋着から着替えて化粧を終える。財布の中身を確認してから家を出て、約束の時間より十五分前に待ち合わせ場所に着いたはずなのに、その場にすでに高橋が居たときには「また負けた!」と謎の敗北感を感じていた。
待ち合わせ時間よりもいつも早めに着くようにしているのに、それでも必ず高橋が先にきているのは非常に悔しいところである。
っていうか本当、高橋なんでいつも早いの。何分前にくれば高橋に勝てるの? 今日は十五分前でダメだったから二十分前? 二十五分前? でも流石にそこまで早いと、楽しみすぎて待ちきれなかったみたいでなんだか嫌だなぁ。
楽しみなんだけど。
高橋と合流して、予約しているというイタリアンレストランに入り、二人でメニューを見ながら何を食べようかと頭を突き合わせてアレコレと話す。大学生が気軽に入れるレストランなので、コースのような格式ばったメニューはない。
結局、ピザもパスタ料理も甲乙つけがたかったので、どちらも頼んで二人でシェアしようということになった。
で、料理が来るまでの間、本日出来たことポツポツと高橋に愚痴る。
人の破局話なんてあまり広めるようなものではないが、英二から「話しといて」と言われたので問題はないだろう。
最終的には単なる雅の悪口になりかけて、口を閉ざした。
「英二は納得しているようだしいいんだけど、問題は私が冷静に雅の話を聞けるかな、って」
あの雅の様子ではおそらく、明日あたりにでも何らかの形で話をしたがるんじゃないだろうか、と思っている。それが電話か直接会ってかどうかはわからないけれど。
どう考えても、あの雅の様子で、は英二と別れることに納得していない。
「中学時代は私も雅贔屓なところもあったけど、普通に英二の味方だからね。流石にあんな話を聞いて冷静に雅の話を聞けるほど、私、人間出来てないし……」
そらそうだ、と高橋はグラスのワインを飲み干した。
普段はビールが多いけれど、今日はせっかくだからお店の雰囲気に合わせて二人ともワインを飲んでいる。
正面に座る高橋をじっ、と見つめる。それに高橋が「ん?」と軽く笑みを浮かべて小首を傾げた。仕草に、思わず胸がどきっと高鳴った。
「(高橋は友達、高橋は友達、高橋は友達……!)」
何気なく視線を自分のグラスに移して自己暗示。この胸の高鳴りは関係ない、きっとアルコールを摂取したから脈が早くなっただけ!
大丈夫、大丈夫、私は高橋への恋心はとっくに捨てた。これは恋愛感情じゃなくって友愛感情、友愛ったら友愛だ。
こんなに必死に自分に言い聞かせている時点で、全く恋心を捨てきれていない気もしないでもないけれど、捨てたと言ったら捨てたのである。
単純な私はちょっとしたことで、またころりと高橋に恋心を抱きそうになる。つまりはそれだけ好きだったということではあるけれど、友達だからこそ今こうして頻繁に会えていることを考えると、恋心リターンはあまり喜ばしくはないのだ。
高橋とは、普通に話も気もあうし、一緒にいると楽しい。友達だからこそ成立しているこの時間を失いたくはない。
「一美、どうした?」
「なんでもないよ」
「そうか?」
少しだけ目を瞑って深呼吸。
顔を上げたときには胸の高鳴りは落ち着いていた。この自己暗示にも慣れたもんである。
っていうかさ、相変わらずくっそカッコイイですねぇ! そしてこのイケメン様はどうして私なんかと、こんな小洒落たイタリアンのお店に来ているんだ。分類的にはトラットリア? 高級すぎず、でも学生の身であることを考えたらちょっといいお店で。
どう考えてもこのお店、気軽に女友達と食事に来るような店じゃないだろうに。その証拠というのも何だけど、周りはカップルだらけである。
いや、嬉しいけどね? 高橋とご飯食べれるのは嬉しいけどね? でもここは普通、彼女と来るような場所じゃない? 高橋に彼女ができても複雑だけど。
……まぁ、私と高橋も一見するといい年頃の男女なので、恋人同士に見られている可能性が非常に高いのだけれども。
この人は私の好きだった人で、私の親友のことが好きで、今では飲み友達なんですよー! などと主張できるわけないしね。そもそも、私たちをそこまで意識しているお客さんなんていないだろう。
英二が可愛い系の顔立ちだとすると、高橋は綺麗系のイケメンだ。正直、お前男なのになんでそんなに肌が綺麗なんだよおいスキンケア何使ってんだ教えろください状態である。
身長も高くて、運動はあまり得意ではないのに筋肉はさり気なくついているという細マッチョ系、らしい。冗談で腹パンチしてみてもびくともしなかったから、体幹は鍛えているのだろう。
高一のとき、英二のクラスメイトで、英二を通じて出会い、仲良くなっていつの間にか好きになっていた。
でも気付けば高橋の隣には雅が居て、二人で楽しそうに話をしていた。それを見たくなくて、でも二人して私に気づくとこっちに来るものだから嫌でも見る羽目になったものだ。
二人がどう思っていたのかわからないけれど、あの頃は正直本当に辛かった。
なんていう回想をしてみたわけですが、なんで高橋は私を凝視しているんですかね。
そんなに面白い顔してた?
「な、なに?」
「ん? いや、一美は変わんないな、って。英二は間違えるな、って言ったらしいけど一美はそのままでいいんじゃないか? 周りから見たら間違えているように見えても、当人にとっては間違いじゃないってことはあるんだから」
高橋はとても楽しそう目を細めて笑った。
何がそんなに楽しいのかわからず、はて、と首をかしげるも「一美はそのままで居てくれ」とはぐらかされてしまった。
なんだかムカついたので私も堂々と高橋の顔をガン見してやる。
ワインを片手にじーっと。鑑賞するに値するイケメン様のご尊顔を眺める。
うん、やっぱり格好いい。超好み。別に顔面に惚れたわけじゃないけど、やっぱり格好いい。恋心云々を置いておいてもやっぱりカッコイイものはカッコイイ。
「な、なんだよ」
「いやー、高橋は相変わらず格好いいな、と思って」
「ッ!?」
思ったことを口にしただけなのに、何故か高橋が超慌てた。珍しく顔が赤くなっている。アルコールを飲んで顔が赤くなるタイプではないから、単に照れているのだろう。
格好いいなんて高校時代から散々言われてただろうに何を今更照れてるんだか。
「ちょっと、なに、いきなりどうしたの。落ち着きなよ、何照れてるのさ」
「落ち着けって……! ……一美が変なこと言うからだろ!?」
「なんか変なこと言った?」
「カ、カッコイイ、とか」
「え? だってそんな、今更照れるようなことじゃないでしょ。格好いいなんて散々言われてることでしょう?」
何を今更照れてるんだ。
当然ながら高校時代の高橋はモテた。ただ、雅がやたらくっついていたりなんだりで、高橋に突撃告白するような子が少なかっただけの話である。間違いなく高橋のことが好きだった女子生徒は、私を含めて少なくはない。
だから格好いいなんて言われ慣れているはずの正面に座る男は、なぜか頬を染めて口を隠してそっぽを向く。
「……い」
「ん?」
「一美に、言われたこと、ない」
「……あれ? そうだっけ?」
心の中では常々叫んでいた気がするんだけど、実際に口にしたことはなかったのかな。
しかし、それだけのことでなんでこの男はこんなに照れているんだか。
若干呆れ気味に見ていると、注文したパスタとピザが来たので、さっさとパスタを二つの皿によそってピザカッターでピザを切る。
「ほら、あったかいうちに食べようよ。冷めたピザはちょっと切ないよ」
「……なんでそんなに平然としてるんだよ」
「私はむしろ、高橋がなんでそんなに照れているのかが分からない」
しばらくの間、高橋はなにやらぶつぶつ言っていたけれど、私が平然とパスタを食べてピザをつまんでいるのを見て、何かを諦めたようだった。
そうそう、美味しいものを目の前にしたなら、そちらに集中しないとごはんに失礼だよ。
その後、ドルチェまで美味しく堪能してお店を出る。支払いはもちろん、割り勘である。
最初は高橋が全額だすなどと馬鹿なことを言っていたけれど、「友達同士の食事で奢られる理由がない」と言えば、ちょっと悲しそうな顔をしながらもきちんと受け取ってくれた。
「……あのさ、一美」
と、高橋が口を開いた丁度そのタイミングで偶然、私と高橋、両方に着信が入った。
とりあえず着信に出ると相手は英二で「今飲んでるから、もし時間があったらこっちに顔出せば」ということだった。帰る時間を告げていたから、こうして誘いをかけたということだろう。
なんと高橋の方も要件は同じで、相手は英二の愉快な仲間たちの一人。みんなで飲んでいるらしい。
今から行くよと返事をして、私たちは指定されたお店へと向かうことにした。
ちなみに、何を言おうとしてたのか聞いてみたけれど、曖昧な笑みを浮かべて「なんでもない」と言われてしまった。
-4-
「おーい、こっちこっち」
「わー、久しぶり~!」
みんなが飲んでいるというお店に着くと、すでにみんないい感じにアルコールが入っているようで、陽気にわいわいと話をしていた。
下手に二人分空いていたので、そこに高橋と並んで腰を落とし、注文を取りに来た店員さんに「取りあえず中生二つ」と追加注文をする。ちらっと見た限りでは、まだ飲み干した人はいないし、飲みたければ勝手に注文するだろう。いつも通りのスタイルである。
ビールのいいところは、注文してからすぐに来るところだ。これがサワーとかだと時間がかかるときがあるからね。
「それじゃぁ、一美と俊哉も来たことだし、英二の破局を祝して、二回目だけどかんぱーい!」
「かんぱーい!」
祝しちゃうのか。
まぁ、私たちが来るまでの間に、英二がすでに洗いざらい話していたのであれば「祝して」と言いたくなる気持ちもわからないでもない。
と思ったのだが、なんと雅自身がみんなに連絡していたらしい。なんだその、無神経さ。私フリーになったのアピール? それとも英二、に振られた可哀想な私を慰めてアピール?
……だめだ、なんか雅のことを嫌いになりかけている私がいるというか、むしろ嫌いなんじゃないか、私。
落ち着け私、まだ雅の話を聞いていないでしょう。英二の話だけで雅が何を思っていたのかを決めるのは時期尚早よ、例え雅に聞いて同じ結論になりそうな事態だとしても……!
「でもまぁ、遅かれ早かれこうなるとは思ってたんだよな」
「あ、僕もそれ思ってた」
「みんな知ってたの?」
「あぁ。何度か見たな、西野が英二以外の男と仲良さそうに歩いてるの」
「俺も見た」
「僕も」
え、なにその目撃率の高さ!
「ちなみに俺は、今ココに来る途中で西野見たぞ。あっちも気付いてたっぽいけど」
「え!? 私、全然気づかなかった」
どうやら、私たちは雅とニアピンしていたらしい。
「見なくてよかったんじゃないか? 英二と別れたその当日に別の男と腕組んでる西野を見て、冷静でいられないでしょ、一美」
二の句が継げないとはこのことだろうか。
まさか、彼氏と別れたその日のうちに、別の男とすぐさまデート? 英二とあんなに別れるのが不満げだったのに? それともアレは演技だとでも?
やだ、なんかもう、本当に、何なのあの子。
その後もビールのつまみ代わりに話を聞いていると、なんだか妙な違和感を感じた。まるでのどに小魚の骨が刺さったような、そんな嫌な感じの違和感。
私の知る限り、ここにいる男たちは皆、雅が好きだったはずである。仮にその「好き」が恋慕の情ではなかったとしても、そこに好意は確実にあったはずなのだ。しかし、今彼らの話を聞いている限りでは皆が皆、まるで雅のことを疎ましく思っているように聞こえるのはどうしてだろう。
「……ねぇ、みんなあんだけ雅のこと好きだったじゃない、どうしちゃったの、一体」
「いやぁ、うん、まぁ、な」
一体本当に、どうしたというのだ。
というか、好きじゃなかったのかもしれない、なんてやめて本当、私の高校生活三年間が無駄に思えてきて泣きそうになるから。
あの、興味もない男子生徒の情報を集めるとか、本当に大変だったんだから。いくら、いまでは普通に友達として付き合いがあるとしても、最初はクラスどころか名前すら知らない相手だったのだ。いやほんと、大変どころじゃなかった。
「今思うと、夢を見ていたんじゃないかな、って思うんだよな」
「夢?」
「あぁ、一時の夢というか、今になって思えば雅って俺の好みじゃないんだよな」
「だよね、僕たちみんな好みの女の子は違うはずなのに、好きになった女子は雅ちゃん。そりゃ、タイプと実際に好きになる人は別だろうって言われたそれまでだけどさ。あ、でも夢が覚めた決定的瞬間はあれかも」
「何だよ、もったいぶらずに言えよ」
「……見ちゃったんだよね、決定的瞬間。それで、僕はあれが一時の気の迷いだったということにしたよ。僕、尻軽女は好きじゃないし」
彼の見てしまった決定的瞬間、という言葉で皆が皆、すべて理解してしまったのだろう。そしてそのとどめが「尻軽女」。
「……ホテル?」
「そうそう、しかも一回や二回じゃないんだよねー。相手の男も複数人いたよ。……って、かずちゃんが言わないでよー、せっかく濁したのに!」
ビッチ予備軍ではなく、すでに立派なビッチであったと。
そして、そんなにしょっちゅう、ホテルから出ていくのか入っていくのかわからないけれど、そんな雅を何度も見かけているということは、この男もそれだけそのホテルの近くにいたということになるんだけど、それについては突っ込まない方がいいよね、うん。
本当に、今日一日で雅のことが分かんなくなってきた。それとも私が見てこなかっただけなのだろうか?
その後、話のメインはなぜか恋バナへと移っていた。かつては同じ女の子を好きだった者同士の恋話。どうやらここは急遽女子会の場になったようである。
話を聞いている限り、やはり皆高校時代でも女子生徒人気は高かったから、何だかんだで今でもモテるようだけど、高校生活は失恋で終わった、と言うのは彼らの中で大きな傷跡となって残っているようだった。
……まぁ、気持ちはわかるけどね。私はそこから頑張って昇華したんだから皆も頑張れ。既に昇華どころかなかったことにしてるっぽいけれど。
「それにしても何だかんだで上手い事やったのは高橋だけかー」
「英二はカウントしないとすれば確かにそうだな」
「俺のことは若気の至りということにしておいてくれ」
……ん?
すでに話半分聞き流していたけれど、聞こえてきた言葉に思わずビールを飲む手が止まる。
「思えばお前はいち早く夢から覚めてたんだな」
……んん?
驚いて隣の高橋を見ると、なんだか苦笑いを浮かべながらやっぱりビールを飲んでいる。
「このリア充共め!」
……リア充ってことは?
「高橋彼女居たの!?」
「え?」
「は!?」
驚きのあまり高橋を凝視して声を上げると、なぜか高橋と英二以外から注目された。
「え、え、なに? どうしたの? あれ、高橋に彼女出来たって報告皆と一緒に受けてたっけ? え、あれ、え?」
「かずちゃんそれ本気で言ってるの? それとも僕、急に聴覚障害にでもなった?」
「え、本気って、え? あれ?」
おかしい。私と皆の認識に齟齬が生じている。それもとてつもなく、生じてはいけないレベルの齟齬である。
えっと、高橋には彼女がいて、その彼女のことをみんな知っていて、で、私が知らないことにみんな驚いている。うん、よくわからない。
とりあえず答えは高橋が握っているはずだ! と高橋を見ると、高橋はやっぱりなにやら苦笑いを浮かべながらよしよし、と私の頭を撫でた。
……うん、いまそういうことしてる場合じゃないよね!?
「さっき言ったろ、一美はそのままでいいんだよ」
「俊哉、俺はお前と義兄弟になる日を楽しみにしてるんだよ。まぁ、この場合、問題は一美の方だろうけど。ちょっとさ、お前らお前らちょっと二人で話あってこい」
「え、私が悪いの!? 問題ってなに!?」
一体何を言っているのか、と英二と高橋を交互に凝視する。落ち着ている高橋と、私を追い立てる英二。状況理解が追い付かない私は他のメンバーを見回すと、微妙に視線を逸らしたり、溜息を付いたり、やれやれと肩をすくめたりしている。
しまいにはメニューを開いたり、追加注文を始めたりとして誰も私に救いの手を差し伸べてはくれないようだ。
「分かった、分かったよ。ちゃんと話してるくるって……でもそれで拗れたら英二、俺はお前を一生恨むぞ」
「大丈夫だって。俺が一美に関することで大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫だよ!」
「ったく……そういうことだから一美、出ようか」
高橋は立ち上がり、オロオロとしている私はよく分からないけれど、たぶんここ着いて行くのが正解だと、よろよろと立ち上がる。
どうしよう、本当に何が何だか分からない。
「悪いけど立て替えといてくれ。一美、行こう」
「え、え、あ、え?」
そういってさりげなく私の手を引いて店を出ていく。
訳の分からない私は、そのまま高橋の後をついていくしか方法はなかった。繋がれた手にドキドキしながらも、繋いだ手を意識しないように頭の方も必死に回転させる。
考えろ。とにかく考えろ。そうじゃないと、ドキドキで心臓が限界を迎えてしまう!
っていうかもうこれ私どう考えても恋心捨てれてなかったよ!? あーもう! 私今度から高橋の顔をどんな顔をしてみればいいの!?
えっと、さっきの話の流れ的に、高橋には彼女はいるらしい。そして私はそれを知らず、驚いたら逆に驚かれた。そういえば誰か「リア充共」と言ってたな。共ってことは高橋だけではなく、かといって男共の中で、高橋だけうまいことやったって言われてたから、他の愉快な仲間たちにリア充はいないというわけで。
つまりは、一緒にいたメンバーの中でリア充の女がいるということだ。でもあの場に女は私しかいない。そして今の状況からして導きさせる答えは一つしかないのだが、え、マジで?
思わず一歩前を歩く高橋の後頭部を見上げるが、何を考えているのかはわからなかった。
-5-
お互い無言のままひたすら歩き、駅前の噴水広場までやってきた。
周囲の街路樹に設置されたイルミネーションがとても綺麗のだが、不思議なことに何故か広場には誰も居なかった。
どうしてだろう、と思う一方で、私はなんで高橋と手を繋いでこんなところに居るんだろう、と、そんなことをぼんやり考えていた。
「何をごちゃごちゃ考えてるんだ?」
「えっと、その……私と高橋って、付き合っ、てたの?」
促されて噴水の縁に腰掛け、隣りに座った高橋が私の顔を覗き込む。
その目はどことなく優しく、そんな風に見られたことはないので物凄くドギマギしてしまう。
「落ち着いて聞いてほしいんだけどさ、一美は、俺が何回告白したか、覚えてる?」
「……は!?」
繋いだままだった手を更にゆっくりと、でも力強く握り込まれて。そちらに意識が向いている間に告げられた言葉の意味がすぐに理解できなくて、脳内で何度か反芻する。
何回、告白、したか、覚えてる?
……え、それってつまり、どういうこと?
私が、何回か、告白されてる、ってこと?
え、誰に? いや、俺がって言ってたんだから、高橋に?
……え?
「最初は、修学旅行の二日目の自由行動のときに告白して、そしたら顔を真赤にした一美からも好きだって言ってもらえて。三日目の自由行動は一緒に見て回ったんだけど、覚えてるか?」
「……覚えて、ない」
「うん、だろうな」
修学旅行。修学旅行の二日目で、告白……告白? で、私も好きって伝えて、三日目は一緒に行動?
え、なにその甘酸っぱい青春の一ページ。
全く見に覚えはない。修学旅行は確か――あれ?
「……何も、覚えてない」
ポツリと溢れた私のつぶやきに、高橋は悲しそうな、諦めたような、なんとも言えない顔をした。
しかし私はそんな高橋のことを気にしている余裕はなく、自分に修学旅行の記憶が無いことに驚愕していた。
修学旅行といえば、高校生にとっては一大イベントだ。私達の卒業した学校は高校三年の五月。いわゆるゴールデンウィークを利用して行われる。行き先は京都。沖縄、北海道などと並んで定番の行き先の観光地。
そこまでは覚えている。が、実際に行った記憶が、全く無かった。
「次が一美の誕生日で、その次がクリスマスイブ、高校時代最後の告白は卒業式」
「……どれも、おぼえて、ない」
「うん、知ってる」
わけが、分からなかった。
高橋が言うには、告白後、数日はそのことを覚えているけれど、告白した日からきっかり八日後には、告白のことも、付き合い始めたことも、私は忘れてしまうらしい。
なんだ、その都合のいい記憶喪失は。自分のことだと言われても、正直信じがたい。しかし、高橋がこんな嘘をつくとは思えない。
わけが分からなくて、気持ち悪くて、恐怖で手が震える。私の手を握っている高橋が痛くない程度に更に力を込める。まるで、「大丈夫」とでも言うように。
「流石に初めは戸惑ったよ。英二にも相談したりしてさ。でもどうにもならないって、高三のクリスマスで悟った」
「……た、高橋は雅が好き、だったんじゃ?」
「どうして一美がそう思い込んでるのかだけは本当にわからないけど、俺にとって西野は一美の親友で、英二の彼女という認識でしかなかったよ」
「……ほんとうに?」
「本当に。俺はずっと、一美だけが好きだよ。でないと、クリスマスイブにわざわざ店を予約してまで、食事になんて誘わないよ。それでも信じられない? どうしたら、信じてくれる?」
「……」
どうしたら信じるのかだなんて、そもそも、まだ頭が追いついていないのにどうしたらなんて、分かるわけがない。
というか、今日がクリスマスイブだということにも全く気づかなかった。
「ま、今更焦らないよ。もしかしたらまた一美は忘れてしまうかもしれないし、今度こそ忘れないかもしれない。この先どうなるかはわからないけど、一美はあの頃のまま、変わらないでいてくれたら俺は十分だよ」
「……なんで?」
「だってさ」
――あの頃のまま変わらないってことは、一美は俺のことを好きなまま、ってことじゃん?
そんな風に耳元で囁かれ、はくはく、と何かを言おうとして口を開閉するも、上手く言葉は出てこない。
「な、なにを、言って……」
「あのさ、無自覚かもしれないけど、一美、全身で俺のこと好きだって主張してるからな?」
「ち、ちがっ……」
「ちなみに、前回告白して俺達が付き合ってたのは、ほんの二ヶ月前だから。一美がそんな簡単に気持ちを切り替えれる性格じゃないって知ってるし、俺としては特に不安は無いんだよね。だから、変わらないままで居てくれたら俺はそれでいいんだ」
私は勢い良く下を向く。
顔が熱い。とにかく熱い。ていうか耳まで赤い自信があります!
全然シフトしてないじゃん私! 友愛じゃないじゃん私! 恋愛のままじゃん私!!
なんてこった!!
「でもま、忘れないでいてくれたら良いに越したことはないんだけど」
そう言って、高橋は私の左手を取り、そのまま小指に何かひんやりとしたものが触れた。
何か、というか。これは流石に、私でも分かる。見なくても分かる。
指輪、だ。
「今日、また改めて告白してOK貰えたら渡そうと思ってたんだけど、貰ってくれる?」
この状況で誰がいらない、なんて言えようか。
ぶんぶんと首を縦に振って肯定すると、隣から「良かった」と心底安心したような声が聞こえた。
下を向いたままちらっと高橋の方に視線を向けると、丁度高橋が自身の左手小指にリングを付けるところだった。
「ペアリング……」
「もしまた忘れても、自分のリングと俺のこれを見たら思い出してくれたらいいな、って思ってさ」
「あ、ありがとう」
どうして私が忘れてしまうのか。
それはわからないけれど、そもそも私を怒っていいはずの高橋は、ニコニコと私の左手薬指に触れて「こっちはまたいつか」何ていうものだから、本当にもう、私の心臓は今日で動きを止めてしまうんじゃないかと言うほどにバクバクいってるし顔は熱いしもう!
「あのさ、嫌だったらちゃんと抵抗しろよ?」
「え?」
もう既に頭がいっぱいいっぱいで、心もバックバックでどうにかなりそうな私に、何やら追い打ちを掛けそうな気配を察知!
何されるの!? と驚いて顔を上げると、何やら楽しそうな顔の高橋がおりまして。
「……」
「抵抗しないならもう一回するけど?」
ただ軽く触れて離れただけ。
自分の身に何が起きたのか、思考が追いつかなくなった私はただ楽しそうな高橋の笑みを見つめたまま、二度目の、今度は一度目よりも少しばかり長めの口づけをただ黙って受け入れて。
二度目が離れ、三度目の直前には「あれ、これって目を閉じなきゃだめなやつじゃね?」と唐突にやってきた冷静な私が囁いて目を閉じた。
四度目で何故か下唇を軽く噛まれて、五度目は「もう無理!」と白旗を振った。
余裕綽々な高橋は「残念」と笑みを浮かべているけれど、私はもう倒れる寸前です。
「い、いつから?」
「ん?」
「いつから、その、私のこと……」
「んー……二年の夏頃から、かな? とどめはバレンタインだったけど」
きっかけは一年のバレンタインだった、と高橋は言った。
雅が手作りチョコレートだ、と言って渡してきたチョコレートは確かに手作りではあったけれど、それは私が作ったチョコレートだったらしい。
「英二もさ、西野に手作りチョコを貰ったって言ってて見せてもらったんだけど、全然違ってて。で、俺が貰ったチョコレートを見て英二が言ったんだ。『それ、一美が作ったやつだ』って。実際に英二が一美に貰ったというチョコレートを見せてもらったら、全く同じでさ。一美、トリュフを作ったろ? 一個貰ったんだけど全く同じ味でさ」
それは私への好意のきっかけというよりも、雅への不信感のきっかけであるけれど。だが、それは確かにきっかけでは合ったのだと。
てかなんだそれ、聞いてないし。雅、何考えてるの? 確かに作った後のチョコレートをどうしたのかなんて、記憶にないけれど。まさか、勝手に他の人に渡してる――しかも自分が作ったと偽って――とか、信じられない。
「で、貰ったチョコが本当に美味しくてさ。それまで一美のことは英二の双子の姉、って認識だったけど、ちょっとずつ俺の中で何かが変わってきてて、いつの間にか?」
「いつの間にか……」
「そう、いつの間にか。誰かを好きになるってそういうもんだろ?」
まぁ、それはそうだろう。私だって、いつから高橋のことが好きだったのかはよくわからないし、きっかけなんて覚えてすら居ない。
「他の奴らは西野のことを優しくって可愛いっていうんだけど、俺の中では完全にただの男好きだったね。多分だけどさ、自分で言うのも何だけど、あの当時西野の中では一番が英二で、俺は二番目だったんじゃないかな。手作りチョコってやっぱポイント高いだろ。特に単純な男子高校生なんて、可愛い女の子から手作りチョコを貰ったってだけでテンション上がる生き物だし。でも自分の手作りは英二の物だから、一美が作ったチョコレートを自分が作ったと偽って俺に渡した、と」
バレたらどう思われるかなんて考えてなかったんだろうな、という高橋の顔は心底呆れきっていて。私に向けられたものではないとは言え、イケメンの呆れ顔はちょっと長く見ていたいものではなかったので、くい、と服の裾を引っ張るとすぐにその呆れ顔を引っ込めてくれた。
「そんなわけでさ。これが最後の告白になることを願って。菊原一美さん、好きです。俺と付き合ってください」
「……はい」
-終-
翌日、予想はしていたけれど雅から電話があり、ひとまず黙って話を聞いていると、相変わらず好きなのは英二だけ、それ以外はお友達、と主張していた。だから、英二を説得して欲しい。英二だけが好きなの、と。別れたくはないのだ、と。
だから、冷静に、至極冷静に問いかけてみたのだ。
英二だけだというなら、どうして英二が嫌がることをするの? と。
『英二くんが嫌がってる? 何を?』
それに対する雅の返答がこれだった。
『そういえば昨日、一美も俊哉くんとデートしてたね! 俊哉くんも格好いいもんね! 私があげたバレンタインのチョコレートも喜んでくれてたなぁ。あ! 久しぶりに俊哉くんをデートに誘ってみようかな! あの頃はあまりいい返事貰えなかったけど、一美とデートしてるんだから私ともデートしてくれるよね!』
『……ねぇ、雅』
『なーに?』
『高校時代さ、私が高橋の事好きだって、知ってた?』
『えー? もちろん知ってたよ、親友のことなんだから当たり前じゃない!』
それを聞いて、目の前が、真っ暗になった。
『……親友の、私が、高橋のこと好きだって知ってて、あれだったの?』
『んー?』
『親友だと思っている相手の想い人とのデートの相談を、してきたの? どう思ってるのかな、とかわざわざ聞いてきてたの?』
『えー、だって、一美だもん。一美はそういう役目だし、それに、別に俊哉くんと付き合ってたわけじゃないでしょう?』
もうダメだ、とこれまで何度も思ってきたけれど。今日、このときほど思ったことはないだろう。役目って何、役目って。私は雅の引き立て役だとでも言いたいのか?
雅には、何を言っても通じないと。きっと、これからも何を言っても通じないだろう。
そう思ったら、つい、口に出ていたのだ。
『付き合ってるよ』
『え?』
『私と俊哉、付き合ってるよ』
『えー、またまたぁ! 一美ったら夢でも見たの? 俊哉くんが好きなのは私だよ? 一美じゃないの』
『どうして、そう言い切れるの? 昨日はクリスマスイブだよ? イブの夜に、わざわざ付き合ってない相手とデートしないでしょ』
イブだと気付いていなかった私が言うのはとても滑稽だけど、それでも今なら言える。私は高橋が好きだし、高橋も同じように想ってくれているって。
俊哉、なんて初めて言ったけど。正直まだ夢みたいだけど、今なら言える。私は高橋と、付き合っているって。
『……一美、ちょっとおかしいよ? 冷静になりなよ。俊哉くんが好きなのは私だし。私がデートに誘えばきっと今すぐだって来てくれるんだから』
『雅がどう思おうと勝手だけどさ、もう無理、付き合いきれない。その思い込み、やめたほうがいいよ。これ、親友として最後の忠告。で、もう二度と連絡してこないで。一方的で悪いけど、縁切らせてもらうわ。さようなら、西野雅さん。中学時代の貴女は好きだったよ』
『え、ちょっと、かず』
問答無用で電話をきり、そのまま雅の番号を着信拒否にしてから、そのままアドレス帳から『西野雅』を削除する。
我ながら思い切り過ぎだろうと思うけれど、本当にもう無理だったのだ。
きっと、雅の――西野さんの中で、私は親友という名の何か別の物だったのだろう。そして、私も既に友達とすら思っていなかったのだろう。
アドレス帳を削除して、なんだかとても心が楽になった。
そんな話を年をまたいで新年一日目であり、クリスマスイブから八日後の元日、一月一日。
私が貰ったペアリングを左手小指に付けて高橋に見せると、高橋はとても嬉しそうに笑ってに人目も気にせずに思いっきり抱きしめられるのだった。
どうして私は高橋――俊哉とのことを忘れてしまっていたのか。どうして覚えていられるようになったのか。そんな話を、俊哉、英二の三人で話をしたことがある。
そして、三人で出した結論は――本当に信じがたいし、バカバカしいのだけれども――西野さんと縁を切ったから、なのではないかということだった。
英二が西野さんと別れ、私が西野さんと縁を切り、その後他の英二の愉快な仲間たちも続々と彼女と縁を切り、私は彼女との接点がなくなった。
正直、そんなことでとは思うのだが、それ以外に変わったことは何もないのだ。そして現に、彼女と縁を切ってから私は俊哉となんの問題もなく一週間、一ヶ月、半年、一年と私はきちんと俊哉と、時に喧嘩したり、仲直りしたり。そんなことをしながら無事にお付き合いを続けている。
もしかして、西野さんに呪われてたのかな、なんて三人で笑ったけれど、私は密かに案外的はずれなことではないんじゃないかと思っている。なにせ、西野さんと縁を切って心が楽になって俊哉とのことを忘れなくなったのだから。
ハッピーエンドのその後で、ハッピーを続けられるかどうかは当人たち次第。
英二と西野さんは失敗したけれど、私は俊哉と「いつまでも、幸せに」暮らしていけたらいいなと今日も思うのだ。