春のおとずれ
やがて雪がとけ、ミヨちゃんの言っていたように地面いっぱいに黄色やもも色のお花がさくころ、冬の間はぐっすりと眠っていたクマのおじいさん達も目を覚まし、小鳥達のおしゃべりもますますにぎやかさをまして、お山全体が春のおとずれを喜んでいるみたいでした。
ある日の朝、サヨと母さまは、仲良くなったミヨちゃんやケンちゃんの家族に連れられて、このお山の長老であるクマのおじいさんの所へあいさつに出かけました。
「ほう。山向こうじゃそんな事になっておったんか。ここは土地神様が守って下さっておるから、安心して暮らせるんじゃ。みな土地神様に守られてるのを知っておるから、悪いもんは入って来られん。サヨもサヨの母さんもここに来られて良かったのぅ」
母さまは、ほろりと涙をこぼしながら長老に向かっておじぎして言いました。
「はい。みな様にもご親切にしていただいています。そして土地神様にはわたしのケガまで治して下さって。本当に感謝しております。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
サヨもいっしょにペコリとおじぎしました。
クマのおじいさんも、ミヨやケンの家族も、そしてそれを見ていたおしゃべりな鳥達も、そんなサヨと母さまを安心させるようにいっせいに話しかけ、春のお山に楽しげな笑い声がひびきわたりました。
──『うむ。山の桜も色づいて、緑は芽吹き、山のものも町のものも、みな健やかでなによりだ。良きかな。良きかな』
ピンと立ったサヨの耳に、春のあたたかな風に乗って、小さな嬉しそうな声が運ばれてきました。
あれは土地神様の声?
そういえば……と、サヨはふと目覚めた冬の夜に見た光景を思い出しました。
あれは空気もこおりそうな、お月さまのない冷たく暗い真夜中のことでした。
くるんと丸まって、母さまにくっついて眠っていたサヨですが、なんだか不思議な気配を感じて目を覚ましたのです。
なにか来る!
三角の耳をピンと立て、眠っていた暖かな巣穴の外をじっと見つめるサヨ。
ドキドキしながらそおっと出口に近づいて、母さまを守るように、いつでも飛び出せるように、身をかがめて雪明かりだけをたよりに暗やみに目をこらしました。
そこに現れたのは、積もっている雪の様に真っ白で大きな、一頭の鹿でした。
その堂々とした姿に、思わず見とれてしまったサヨの頭の中に、どこかで聞いたことのある声がそっとひびきました。
『コラコラ。子どもはもう眠っている時間だよ? 安心してお休み、サヨ』
「えっ?」
耳ではなく、直接頭の中に聞こえた声にびっくりして、サヨがキョトンとしている間に、白い鹿は大きくジャンプしながら立ち去ってしまったのです。
不思議なことに、さっきまで大きな鹿がいたはずの雪の上には足あと一つなく、まるでさっきの出来事がなかったかのように、いつもの景色が広がっているばかり。
なんだったのかしら?
夢の中にいるような気持ちになって、サヨが母さまのところにもどると、母さまは起きていて、サヨを待っていました。
「どうしたの? 眠れないの?」
「あのね、母さま。さっきね、大きな白い鹿を見たの!」
サヨの話を聞いた母さまが言いました。
「まあ! それはきっと土地神様よ! 白い鹿のお姿で、お山のようすを見に来て下さったのね。お会いできて良かったわね、サヨ」
「えへへ。早く寝なさいって、言われちゃった!」
「あらあら。それなら早く寝なくっちゃね! さあ、こっちにいらっしゃい。まあ。こんなに冷えちゃって」
母さまは、フサフサのしっぽでサヨを包みこむようによりそいます。
サヨも大きなあくびを一つして、白い大きな鹿を思い出しながら、ぬくぬくとあったかい気持ちになって、目を閉じたのでした。
──土地神様はいつでもちゃんとわたし達を見て下さっているのね。
サヨの心はまるで今日の陽射しのようにポカポカとあったかいものでいっぱいになりました。
「サヨちゃん? どうしたの?」
冬の夜のできごとを思い出して、ぼんやりしていたサヨを心配したのでしょう。すっくと立ち上がったミヨちゃんが、泣きそうな顔をしてサヨに声をかけてきました。
「ううん、なんでもないの。ごめんね、ミヨちゃん。ただちょっと土地神様の声が聞こえてきた気がして……」
「ええっ!? ミヨには聞こえなかったぁ。ミヨも土地神様に会ってみたいなぁ」
しょんぼりとしたミヨちゃんにサヨもあわてて言いました。
「きっと春風のいたずらだったのよ! お社からここまでとっても遠いんだもの。ねぇミヨちゃん、お花を見に行きましょうよ! きっとちょうちょも飛んでるわ!」
「……うん!」
黄色やもも色のお花がたくさんさいている山の広場へと、競争するようにかけ出して行ったサヨとミヨちゃん。
ふわっとした春の風が、桜の花びらをその身にまとい、サヨ達をそっと追いかけて行きました。
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