最期の小説
僕は,駆け出しの小説家だ。
そんな出だしで始めると,何ともすごい人物に思われるかもしれない。
でも,僕には自分が小説家だという実感が全然湧かなかった。僕はただ思いつくままに書いて,書いて,書いていただけだ。
別にどこかに応募したこともない。僕自身は。誰かが勝手に僕の書き捨てた紙束を拾って投稿し,たまたま世の中に公表され,たまたま多くの琴線に触れたため,小説家という肩書を得た。
なんというか,世界は勝手だ。
僕は特に書くものにこだわりがない。長編の冒険活劇を書いてみたこともあったし,ショートショートのギャグテイストの文章を書いたこともある。背筋も凍るようなホラーや推理小説に憧れて書いたこともある。
最近は,担当者と名乗る女の人が僕の書く内容に口を出すようになってきた。なんというか,少しやりにくい。
ああ,そうだ。今まで,いろんなジャンルを書いてきたけど,ただ一つ,恋愛ものを書いたことがない。イメージできないからだ。
僕は,モテない。モテたことがない。女性と話すこともほとんどない。そもそも話しかけることすらしない。
あれ?僕が話しかけないのは女性限定だったっけ?まあとにかく,女性と話をしようとするとすごく疲れた。
――ああ,今思ったけど,僕が担当さんといるとやりにくいと思った理由がわかったよ。担当さんが女性だから僕は緊張していたんだ。
これって恋だったのかな。少し彼女のことを思い出してみる。
彼女は,毎日のように僕の部屋を訪ねていた。とても面倒見のよい性格なのかもしれない。
彼女は,僕と話すとき直接目を合わせなかった。奥ゆかしい人なのかな。
彼女は,よく時計を見ていた。時間に正確な人なんだろうな。
彼女は,眼鏡をかけていた。赤い縁の眼鏡だ。
彼女は,髪が長かった。腰元まであったけど,手入れは大変そうだな。
彼女は,今日はスーツを着ていた。白色のスーツは汚れが目立つなぁ。
彼女は,彼女は,彼女は,……
彼女は,赤い血が流れていた。流れ出した血はとても紅くて,鉄の臭いがして,少し経つと黒ずんで固まってざらざらする。
彼女は,……名前は何だっけ。
――うん,やっぱり恋愛ものは書けないな。いまさら
彼女は僕にはもったいない人だったよ。
……ふぅ,寒くなってきた。熱がすうっと抜けていく感じ。
でも,お腹はとても熱い。
そろそろ,ペンがうまくうごかない。
ふふ,インクはたくさんあるのにな。今でもトロトロと滴って,まるで川のようだ。
――じゃあ,明日はなんの小説をかこ
『――本日未明,○○市に住む,**の家で遺体が発見されました。
遺体は保育士の**++さん,および無職の**△△さんです――』