ガンコツ先生
「藤城君!お待たせ」
夏休み初日の夕方。
部活で登校していた生徒も殆ど帰宅し、校内が大分静かになった頃。
二人はこっそり、一年生のクラスが並ぶ廊下に現れた。
「どう?ガンコツ先生……居る?」
桜が小声で話す、
「いや……」
「そうね。確かに匂わないわ。何処に居るのかしら?」
「多分……夜になると、宿直室に帰るんだと思うよ」
「へーそうなの?宿直室って…職員室の隣よね」
「うん……」
「まだ残ってる先生いるかしら?」
「多分…」
「どうする?待つ?」
「先生達帰ったら、交代に警備の人が来ると思うよ」
「そうよね。今、宿直室って使われて無いのよね…今のうちに侵入しちゃいますか」
桜はそう言って、さっさと歩き出した。
職員室には灯りが点いており、誰かが居る気配がする。
二人は腰を低くし、慎重に職員室の前を通り過ぎる。
宿直室の前に立つと、桜は全神経を扉に集中させ、そっと扉を開けた。
二人の影は、静かに宿直室へ消えて行った。
使われていない宿直室は、ダンボールが沢山積まれ物置状態になっていた。
薄明かりの中、唯一隙間のある畳の中央部分に、下を向いて座っている秋田川がいた。
眠っているのか?幽霊も眠るのか?
じっと、動かない。
「居る!居るわよね、藤城君」
「うん!」
「何してるの?」
「寝てる」
「えっ?幽霊って寝るの?」
「……」
翔太にも、答えが分からなかった。
「話掛けて見て」
「……何て?……」
「んー、ご機嫌いかが?とか…何してるんですか?とか、何でもいいから」
桜は焦ったそうに、翔太を急かした。
翔太は恐る恐る秋田川の前にしゃがみ込んだ。
「あの……先生…」
「…………」
「ガンコツ…先生」
秋田川はゆっくり瞼を開け、正面にいる翔太を見た。
「何だ…また君か。どうした?」
翔太は桜の方を振り返り、頷いた。
「じゃ、藤城君。後は台本通りに喋って見て」
『台本って何?いつ渡された?……だいたい君はいつから監督になったんだですか?』
って、突っ込みたかったが…面倒そうなので止めた。
秋田川の方へ向き直ると、
「先生はここで何をしているんですか?」
と、台本通り?……取り敢えず在り来たりな質問してみた。
「私は……?」
秋田川は、頭の奥の記憶を探す様に、じっと考え始めた。
「先生!危険ですから止めて下さい‼︎そう言う事は、警察に任せておけば…」
「いいや!警察なんか当てにならないですよ。現に一ヶ月以上も経つのに未だに何の手掛りも掴めてないじゃないですか。大丈夫!任せて下さい。どうせどっかの悪ガキですよ。愛情持って接すれば話し合いで何とかなりますよ。ちゃんと説得して反省させますから」
「あーそうだ。思い出したぞ!学校に悪戯する輩を捕まえる為に私は……ここに…」
「犯人は?見つかったんですか?」
「毎日毎日泊まり込みで、何日も家に帰らなかった。家庭を顧みず、妻や息子には本当にすまない事をした。息子とは、物心付いてからは殆ど遊んでやれなかった……」
秋田川は何度も何度も『すまなかった』
と、涙をながした。
その姿を見て、翔太も胸が詰まった。
突然、秋田川が顔を上げ、思い出した様に
「んー……確か暴走族が…しかし、どうしても途中迄しか思い出せないんだ」
秋田川は、思い出そうと目を閉じ、やがて唸り声を出した。いくら考えても思い出せ無いのだろう。
ずっと、きっと二十年近く……
その様子はとても苦しそうで、翔太は秋田川に、
「考え無いで……」
と告げた。
そこまでの経過を、桜に話して聞かせた。
「ふーん……藤城君ちょっと待ってて、今なら出来るかも……」
「出来る?」
「目を閉じてて!」
そう言うと、桜は翔太の肩に手を乗せた。そして深く深呼吸して、目を閉じた。
「こらー校庭を走り回るなー‼︎」
秋田川は校庭をぐるぐる回るバイクの先回りをし、立ち塞がった。
突然、前を塞がれた一台のバイクが、慌ててブレーキをかけるが間に合わず、そのまま秋田川に突っ込んだ。
秋田川は後ろに飛ばされた。
暫く様子を伺うが動く様子が無い。
「マジうぜー面倒臭せーな!ったく」
轢いたのは黒い特攻服の男。
苛つきながらもバイクのエンジンを止めた。
「まずいんじゃね。おっさん動かないぜ」
四人はバイクを降りると、秋田川に近付いて顔を覗いた。
「息はしてるみたいだけど…」
「このままじゃまずいぞ…」
「このおっさん学校に寝泊りしてるのかな〜」
「宿直室?探して寝かしとこうぜ。大丈夫だよ。死にゃしないって」
「……って事ね」
桜は翔太の肩から手を離した。すると翔太の頭の中で、映し出されていた映像が、突然消えた。
「えっ?えっ?何したの?」
翔太はパニックになっていた。
それを桜は軽く無視して
「結局、犯人は暴走族じゃ無かったって事ね」
桜は腕を組み、探偵さながら狭い隙間を行ったり来たりしている。
「君!何者?」
「しっ‼︎大きな声出さないで、後で説明するから。今の事ガンコツ先生に教えてあげて…」
翔太はドキドキしながら、秋田川に説明した。
「あーそうだったのか」
秋田川はほっとした様に、頷いた。
「ところで……ガンコツ?先生とは…私の事か?」
秋田川は翔太に尋ねた。
「えっ⁈……知らなかったの?」
辺りはすっかり真っ暗。校庭を照らす灯りが、ぼんやりと宿直室の窓から差し込む。それを頼りに、お互いの顔を見ている。
「すっかり暗くなっちゃったわね。今日はここまでにしましょう。また、次回!」
桜はそう言って立ち上がった。
二人は、抜かりなく宿直室を抜け出した。
バスの時間迄まだ時間があるので翔太が、
「送るよ。こんなに暗くなっちゃったし、女の子一人じゃ危ないから……」
「あら、ありがとう。でも、大丈夫!私、空手の有段者なの。あなたより強いわ」
桜はにっこり笑うと、空手の型を披露した。
「へ〜〜……」
翔太は、深い溜息と共に漏れた。その笑顔は、引きつったまま、なかなか元に戻らない。
『お化けも怖くない。痴漢も怖く無いって……一体どんな女の子なんだ』
翔太がバスを待つ間、
「今日のまとめを話し合いましょ」
と、何故か桜も一緒にいた。
「犯人、暴走族じゃ無かったわね〜」
「犯人だけじゃ無いと思うだけど、ガンコツ先生の未練って言うか、成仏出来ない理由」
「んー例えば?」
「家族じゃないかなー?先生泣いてた。家族の話した時」
「家族⁈……そう言えば先生の奥さんて……子供とかは?」
「息子が居るって言ってた。特に息子さんに執着してたみたいな……会いたいんじゃないのかな……」
「ふーん」
桜は腕を組んで考え込んだ。
「あっ、確か佐渡先生ってこの中学の卒業生だって、ガンコツ先生生きてる頃に会ってるって、二年生と話してた様な……」
翔太は、前に廊下で話していた事を思いだした。
「そうなの?じゃ、何か知ってるかもね。そうね〜明日聞いて見る?」
「明日?」
「うん!何か用事ある?」
「いや……何か、いつも空いてるって決め付けられるのも…そんな暇な訳じゃ」
「忙しいの?」
「いや」
「藤城君!……君って、割と面倒なのね」
「……」
暗がりから、バスがこちらに向かって走って来る。
「あ、バス来た見たいよ。藤城君」
「ああ……うん」
「じゃ!気を付けて」
そう言うと、桜は手を振って歩きだした。
「来栖川さんも……」
翔太も手を振った。
「あっ!来栖川さん‼︎あれって……」
翔太は思い出し、突然大きな声を出した。
良く喋る桜の隙を突いて、聞くタイミングを探していたら、すっかり巻き込まれて忘れてしまった。
桜はにっこり笑って、
「あ・と・で・ねー」
大きく手を振って暗がりの中に消えて行った。
目の前で停止したバスの扉が開く、翔太は諦めて乗り込んだ。




