小さな小さな空間で決める、大きいかもしれない未来の話
小さな小さな、シャボン玉のようなその空間には、アイヴォリーの長くてまっすぐな髪が女性が一人、座り込んでいた。
抜けるような白い肌に、華奢なのに女性らしさをしっかりと兼ね備えている容貌は、社交界でも有名で花の精と例えられた程だった。
社交界へデビューを果たした時よりも少しだけ時は過ぎたものの、まだまだ若い彼女には、大人の魅力が備わる程度で、容姿が衰え始めるにはまだ遠い。
そんな彼女はその場に一人座り込み、ぼんやりと足元を眺めていた。見るものには儚げな表情で、ぽにょん、と妙に間延びした音が一音発つまでは。
妙に間延びした方の音で視線を上げ、ぼんやりとした表情のままだった彼女は、一瞬、だが確かに微笑ませた。
彼女が立ち上がり、少しだけ空けたその場所を、ごつくて大きな男物の靴が踏みしめた。
自分の身体位しか見るものがなかった彼女の視界を、大きな靴の主が埋め尽くす。
背が高いだけではなくて体格も良くて、剣を扱う事に慣れた指は、節くれだっていた。
奪う為ではない、守るために戦う事を生業とする男は、今は愛刀を帯剣する事もなく、青味の強い紫の瞳でその場を見下ろしていた。向かい合う方向が相反しているから、ごく自然と、二人の視線が交わる。
カーン
どこかで鐘のような音が鳴ったような気がした。
「アクロム様、もう一度お話しましょう?」
「いや、いくらランが強く願ってもこれだけは譲れん」
埒の空かない問答を、長時間続けるとなると重労働だ。しかも相手とは一歩程の距離があるだけの狭苦しい空間で顔を突き合わせているのだから。だが、両者とも引かなかった。
最初の意見だけすんなり決まって以降。
「アクロム様、私、本当は男の子が良いんです」
……最初の意見も再度論争か?
「でも、最初の子は女の子の方が育てやすいと聞きましたから、アクロム様の希望に従おうと思います」
そこはそれでも彼女の方が折れたままでいるようだ。ただし、先ほどまでの儚げな表情は残っておらず、瞳に強い光を灯してアクロムを見上げる。美しさに変わりはないが、普段ニコニコとしている姿にばかり馴染のあるアクロムは少々たじろいだ。
「ですからここは譲れません! アクロム様に似た子が良いです!」
「却下!! 俺に似た女の子なんて、不幸以外の何者でもない!」
「そんな事はありません!! だってアクロム様はとても素敵な方ですもの!」
「素…いや、男だから許されるのだ! 俺が女装している姿を想像してみろ、泣けるだろう!? いや、笑えるのかっ!? とにかくこの子はランにそっくりの女の子にする! 異議は認めん!! 因みに、男の場合も俺はお前に似てほしい。正直、俺の遺伝子は要らん」
「そんな酷いっ!! ダメ! ダメったらダメっ!! アクロム様に似た子が良いのっ!!」
「ラン、冷静に考えなさい。お前の遺伝子と俺の遺伝子、どっちが子の将来のために役に立つと思う?」
「アクロム様のです!」
考えるまでもないだろう? と続けるつもりだったアクロムは、即座に返ってきた言葉に言いかけた表情のまま固まった。
男より女の方が弁が立つと言われているが、彼はそれは自分達に関しては例外だと思っていた。
だがそれは違ったようだ。
どうしても譲れない事だからこそ、彼女は今、この場で意見している。
それを単純に珍しがれば良いのか、普段思う事があっても胸中に押し込んでしまっているかもしれないと問題視すればいいのか、それとも真逆で普段の生活には何ら不満はないからこそ意見など聞いたことがなかったと喜べば良いのか、アクロムは判断がつかなかった。
「…本当に少し落ち着きなさい。俺も少し落ち着こう。……俺達はお互いに自分の希望を主張するだけで……生まれてくる子供の事を一番に考えよう?」
「アクロム様にそっくりでなんも問題はありませんのに」
「そうは言うがな…お前、娘が俺ほどの背丈だったら困るとは思わないか?」
アクロムの身長は、男性の中でもかなり高い部類に入る。
「すらりとしていて羨ましいです」
「大半の男は俺より背が低いぞ?」
「低身長過ぎて子供と間違えられるより良いと思います」
「何? 誰に言われ…いや、その話は後でまたしよう。それじゃこのガタイはどうだ? 女物のドレスに収まるように見えるか?」
「…………が、頑張ればきっと」
「お前が社交界にデビューしていた時の白のドレスが着れると思うか?」
「…………………………いいえ」
アクロムとランにはかなりの身長差がある。それはつまり、彼女の希望をそのままに受け入れれた場合の彼女とこれから生まれる娘が大人になった時の身長差になるという事だ。ランのドレスをアクロム程の体形の者が着るとすれば今のままでは寸足らずだし、ボタンも締まらない事は確実だ。
「俺そっくりに、って事は骨格も似させるってことだろう? 似合うドレスがこの世にあるとは思えん」
ドレスを着る事の大変さはどれほど華奢であっても大変だと思うものらしく、今度はアクロムの意見に即座に反論される事はなかった。
「…あの」
「ん?」
「でも、やっぱり私、見て分かる部分にアクロム様の子だって分かる印が欲しいです。あんまり私にばかり似るのはヤです。親子じゃなくて、姉妹に見られちゃうから……私とアクロム様の二人の子なのに」
実母と瓜二つでまるで姉妹だと、主に彼女の母への褒め言葉を幾度も言われた事があるという事をアクロムは知っていた。実際、顔を会わせてみてアクロムもそう思った一人だ。
それらは単なる褒め言葉とアクロムは考えていたのだが、当事者であるランは意外と気になるところだったのだと知る事となった。
素直に喜べば良いと思うが、父親に似ている部分が一つもないと彼女は気にしていたらしい。
(母子そっくりと言うのはなかなかに魅力的で捨てがたかったんだが……、こう言われると仕方がない)
「とりあえず体格はランの方にする。俺のだとドレスが似合わんからな。どこを俺に似せるかは……これから話し合って決めよう。大丈夫、まだ細胞分裂が始まるまで少し余裕があるから。じゃあ次は―――」
―――そうやって一つ一つ丁寧に意見し合って、二人は新たな命の為の遺伝子の塩基配列を決めていった。
最終的に生まれた娘が父親に似たのか母親に似たのかは、ご想像にお任せする。
だってまだ、受精卵では決定していない未来の事だから。
要は、受精卵の中で精子と卵子が子供にどんな遺伝子情報を持たせるか議論し合っている、という話でした。
閲覧ありがとうございました。