街
月狐族の村が属する地はリオール伯爵家が治める領地に当たる。
近年、前当主ウィネス・ウィン・リオールの病没に伴った跡目争いが起きた事で、一時的に治安が悪化していたが、前リオール伯の長子であったエイルバード・ウィル・リオールが跡目争いに勝利し、後を継いだ事で平穏を取り戻している。
まぁ、これに関して言えば俺達も無関係とは言えない所はある。
俺自身は直接的に関係がある訳ではないにしろ、傍らのファーラはその跡目争いに巻き込まれた結果、強姦未遂に加え四肢を奪われると言う事態に陥ったのだ。
それ自体は俺が来訪する数年前との事だが、今や最愛の想い人にして番たる身としては、多少思う所もないではない。
最も、当のファーラ自身は既に過去の事と割り切っている節があり、少々驚かされる部分もあったのだが。
とは言え、そんなファーラにしても自身への強姦未遂と四肢を奪うと言う凶行に走った犯人である前リオール伯の次子、オルト・ウィア・リネールに関してはやはり思う所もある様で、以前語った事によれば『顔も思い出したくない』との事だ。
まぁ、受けた被害を考えれば無理からぬ事ではあるし、憎悪の念を抱かないだけでもマシな方であろう。
さて、そんなお家騒動を起こしたリオール家ではあるが、現当主であるエイルバードの治世はどうやら確かであるらしく、街は幾多の人々で活気付いている。
街の作り自体は典型的な城郭都市と言った様相だが、これはグリーン・アースと言う世界の内情を考えれば当然とも言えた。
通常の獣とは別に、魔獣と呼ばれる脅威が存在する世界だ。
安全を確保しようと思えば、強固な城壁で街を覆う事で外界と隔絶すると言うのは、然して珍しい考え方ではないし、そうする事で警備に割く人員の数もある程度抑えられるのだから、長い目で見ればコスト的にも妥当と言えるだろう。
街全体を囲む長大な外壁の四方には関所とも言える門が構えられ、槍を構えた兵士がその両脇を固め、尚且つ帯剣した兵士二人が出入りする人々の確認を行っている。
加えて、外壁の周囲は水掘りになっている為、四方の門に設置されている橋以外からの侵入は困難であると言って良い。
そんな街の外観を眺めながら、俺は簡単の息を吐いた。
「何とも壮大なものだな・・・」
ゲームであれば幾度と無く――それこそ幾つもの作品で登場する城郭都市であるだけに、モニター越しに見た事等幾度もあるのだが、こうして実際にこの眼で見るとなるとやはりその感慨は大きなものがある。
特に現代日本とは大きくかけ離れた光景であるだけに、嘘でも夢でもなく、今現実にファンタジーの世界に己がいるのだと理解させられる光景だ。
「エテルの街は、この辺りで一番大きな街だっていうのは知ってたけど・・・私もビックリかも」
俺の隣では、街の威容を目にしたファーラもまた大きく目を見張っている。
彼女もまた今まで村を出ずに過ごしてきた為、村以外の景色を知らないのだから、驚きも理解できる事ではあった。
特に月狐族の村は、こう言っては何だが典型的な田舎の村である為、見た目から何から大きく異なっているのは致し方ない事ではある。
精々が俺の背丈よりも高い程度の木柵でしかなかった村の外壁に比べ、今俺達の視界を埋め尽くすエテルの街の外壁はざっと目検討でも30mはあろうかと言う石積みの強固なものだ。
遠目ではあるが、その外壁の上を恐らくは哨戒だろう鎧姿の兵士が歩いている事から、厚み自体もかなりのものがある様に見受けられる。
一ゲーマーとして以外にも、かなり見ごたえのある光景に暫し見入っていたが、ここでこうして呆けていても時を浪費するだけなので、一度頭を振って意識を切り替えると、ファーラを伴い門へと向けて足を進める。
幸いにして・・・と言うべきか、この方角の門はその先にあるのが月狐族の村を除けば森と草原だけなので、人影は殆ど見えない。
確認できるのは俺達以外には二、三人と言った所だろう。
それも皮製らしき鎧に身を包み武器を携えた姿からして、地球のファンタジーで言う所の冒険者と言う連中なのだろうと予測する。
あの規模の森林が存在する事を考えれば、何がしかの採集クエストでも請け負ったのだろうか?
「あっ、開拓者の人達はこっちにも来るんだね。今の時期なら・・・ミクズ草の採集なのかな?」
俺の視線を追ったファーラがそう言って小首を傾げた。
ミクズ草・・・と言うのは、月狐族の村でも使用して居た薬草の一種であり、鎮痛効果のある成分を含んでいる為、痛み止めとして使用する他、ポーションの材料としても使われる。
年間を通して自生し、見た目で言えば地球で言うスギナに近いのだが、全体の色がやや赤みがかっているのが特徴だ。
この草自体は一年を通して収穫可能ではあるのだが、聞いた所によれば暑さの厳しい時期に収穫したものの方が効果が高いらしく、この時期に多く収穫、乾燥させて保存するのだそうだ。
「ミクズ草は解るんだが・・・ファーラ、開拓者と言うのは?」
そう尋ねた俺に、ファーラは『あぁ』と一つ頷いて続ける。
「えっと、開拓者って言うのは職業の事なんだけど・・・私達が通って来た森みたいな未開地に入って薬草なんかを取ってきたり、獣や魔獣なんかを狩ったりする人達の事。ギルドって言うそんな人達を纏めている所があるから、そこに登録して・・それで、そこから何々を獲ってきてとか、何々が出たから倒してくれとかって依頼を受けるの」
成る程、正しくファンタジー小説には付き物の冒険者である。
ただ、こちらの世界では未開地に分け入り、調査する事から冒険者ではなく開拓者の呼称で呼ばれている、と。
そう言う事らしい。
しかし、その開拓者とやらが職業として確立されているとすれば、俺としては有り難い事と言えた。
人の世界で生きる以上、どうあっても金銭の類は必要になるし、世界を旅したいと願う俺からすれば、特定の国や領地に仕えるというのは少々都合が悪い。
仕官する以上は当たり前だが、俺個人のスケジュールより職務としてのスケジュールが優先される事になるので、自由に動くという事が難しくなってくる。
如何な職種であろうと――まぁ、奴隷等の一部は違うのかもしれないが――休日の類は存在するのだろうが、安定を得られる代わりにある程度の束縛を受けるのは事実。
その点、開拓者であれば自由の確保は容易くなるのではないかと予測する。
無論、この世界における開拓者の立ち居地や規則を調べる必要はあるが。
そんな俺の考えを読んでいるのか、ファーラはクスクスと笑いながら続ける。
「開拓者って保障がない代わりに自由だし、力がものを言う世界らしいからデュランには丁度良いかもね」
その言葉を聞いて小さく苦笑するものの、確かにファーラの言う通りではある。
この世界の保障制度とやらがどの程度のものかは知らないが、現代日本程に確立されたものではないのは確かであろうし、実力主義と言うのも俺にとってはやりやすい。
家柄や人の繋がり等この世界では無いようなものだし、それを重視される様な職業であれば難しいが、単に実力があれば良いだけなのであればやりよう等幾らでもあるのだ。
ゲームとは言え膨大なクエストをこなした、デュランとしての経験が生きてくるし、虫食いとは言え残る現代日本で培った幾多の知識も生かせるだろう。
まして、もはやチートの一言ではすまないあのゲーム内のアイテム郡や、マイシップ・グリフォンの能力もある。
この世界限定で言えば超越者とも言えるこの身のスペックも合わせて、大概の状況は切り抜けられるだろう自負があった。
無論、それが慢心と成り果てれば、容易く斃れる事になると言うのは肝に銘じて、だが。
兎も角、それから暫し開拓者について話しながら歩を進め、関所へと辿り着く。
門の両脇に陣取る二人の兵士が槍を交差させて道を塞ぎ、二人の剣兵が近寄ってきた。
「失礼します。身分証の掲示、または特例通行許可の提示をお願いします。それとも、初めてですか? でしたら、一度検査をさせていただきますが、宜しいですか?」
帯剣した剣の柄に手をかけている年若い兵士を背後に立たせ、壮年期に差し掛かった位だろう兵士が穏やかな笑みを見せてそう言ってきた。
普通であれば先の開拓者達の様にタバコの箱大の金属製カード――恐らくはギルドカードかそれに類する身分証明なのだろう――なりを提示すれば良いのだが、俺は勿論、村を出るのが始めてであるファーラもその手の類は持ち合わせていない。
よって、検査を受ける事になる。
初めてである事を伝え、その言葉に頷いた壮年の兵士と共に検査の為に門の脇にある詰め所らしき部屋へと同行すると、ファーラが徐に被っていたローブのフードを脱いだ。
明り取りの窓こそあるものの、やや薄暗い感のある室内でも一際目立つ、月光の如き銀糸が翻った。
その様に目を奪われている兵士に向け、ファーラが言葉を紡ぐ。
「私は月狐族の村から来ました、ファーラと申します。此方の方は私の番であるデュラン・サージェスです」
その言葉を聞いて、我に返ったらしい兵士が慌てた様子で姿勢を正し、握った右拳を左胸に当てる。
恐らくは、こちらの軍における敬礼の作法なのだろうと予測する。
「し、失礼致しました、巫女殿。無事番を得られた事、お喜び申し上げます」
そう返す兵士の様子は、どうにも緊張し過ぎにも見えるが・・・まぁ、致し方のない事なのかも知れないと思い直す。
子供達に寝物語として聞かせる御伽噺の類にも登場する『月夜の巫女とその番』は、言ってしまえば伝説の再現とも取れる。
これから先、俺達が実際に伝説を作るのかは定かではないし、恐らくはないのだろうとも思うが、彼にしてみれば伝説に伝わる英雄に見えたのと代わらないのかもしれない。
そんな事を考える俺を尻目に、ファーラは穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございます。それで、私も彼も故あって身分証は持ち合わせておりませんので、検査の後、発行願えますか?」
「了解いたしました。しかし、私共の権限では一度だけしか機能しない仮の物しか発行できませんので、入領後、領主であらせられるエイルバード公をお尋ね願います。知らせを走らせますので、お泊りの宿がお決まりであればお教え願いたいのですが?」
兵士の言葉を聞いて、ファーラは隣に立つ俺へと視線を向ける。
その視線はどうするかと尋ねているので、俺は軽く首肯。
兵士の言い分は最もであるし、そもそも使いを走らせたからと言って忙しいだろう領主との面会が即座に叶う筈も無い。
かと言って、兵士の側で『明日の何時頃出向いてくれ』と勝手に予定を立てる訳にも行かないのだから、どうしても領主側からの返答を受け取る必要がある。
街中の何処に居るかも知れない俺達を探し回るのは現実的ではない以上、俺達が再びここに出向くか、宿泊先を知らせる事で使いを出させるかの二択であろう。
前者ではなく後者を選んだのは、恐らくはこの兵士の厚意であろうし、無碍にするのも悪い。
それに、もし仮にこの男が裏に通じているのであったとしても、宿を知らせるだけなら問題にはならない。
何故なら、部屋こそ取るものの実際に休むのはグリフォン内部の自室にする予定でいるのだ。
旅の情緒には欠けるが、安全面や衛生面――加えて俺達の装備の整備等の都合も考えると、グリフォンの自室が一番だ、と言うのが旅に出る前にファーラと二人、話あって出た結論だ。
この世界では風呂等と言うものは贅沢の代名詞であるらしく、王侯貴族や豪商の邸でもなければ、よほどの高級宿でもない限りは設置されていない。
精々が湯を張った桶を貰い、手拭いを浸して体を拭く位なのだそうだ。
胸を張って元日本人と言うにはどうにも過去が空ろだが、俺としては出来うる限り毎日の入浴は確保したいという気持ちがあるし、俺と出会って依頼の日々ですっかり風呂好きになったファーラもそれは同じらしい。
獣人と言う言葉からは意外な程に体毛の少ない――頭髪に眉を除けば秘所を隠す陰毛位で、下手な人族よりも毛深くない――彼女だが、ふさふさとした尻尾は別である。
幾度か触れさせて貰っているが、毛足が長くふわふわと柔らかいその尻尾は彼女曰く、『梅雨時とか汗をかく時期になると絡まっちゃって大変』らしい。
まぁ、湯で濡らしたタオルで拭くなり、水浴びする程度では汚れや汗に含まれる油までは完全に落としきれないだろうから致し方ないのだが、以前は我慢できていたそれも確りと湯に浸かり、シャンプー・リンスで洗う事を覚えて以来『何だか気持ち悪くて落ち着かない』のだそうだ。
ここ数日の間、ゲーム内アイテムの『簡易テント』――地面に設置すると自動的に展開される三角テント型で、広さ5畳程の空間に寝台が一つ設置されている――を使用して居たが、風呂の類には入れて居ない。
ほぼ無限とも言える物資に飽かせてボトルウォーターの水を鍋で沸かした湯で体を拭く程度が関の山だ。
なので、今夜は確実にグリフォンの私室に戻る事になるだろう事を考えると、宿を教えた所で害はない。
何しろ、幾らゲートポイントとして設定されていようとグリフォンへの転移が可能なのは、リングを装着して生体波長を登録している者か、でなければ登録者が同行申請を出しているかの二つだけだ。
仮に夜襲をかけられた所で、俺達はそこにはいないし、俺達の所にはこれないと言う訳だ。
それ故の、首肯。
それを受けてファーラは小さく微笑んで頷き返すと、再び兵士に向い合った。
「それで構いませんが・・・私も彼も始めて訪れる街ですので、宿を知らないのです。宜しければ、お勧めの宿をお教え願えませんか?」
そんなファーラの言葉に、兵士は暫し考え込んでから口を開く。
「そう、ですね・・・。でしたら、中央通りから二本となりにある『宿り木の宿』をお勧めします。値段も手頃ですし、主人の料理の腕も確かです。付け加えますと、食事を部屋で取る事も可能ですので、ごゆっくり寛ぐ事も出来るかと」
そう答える兵士の目はファーラの髪へと向いている。
成る程。
ファーラを巫女と認識し、その上で余計な輩に囲まれる事を懸念しての提案か。
・・・もしくは、人知れず襲う為に目撃者を減らす為の提案、とも取れなくはないが。
どの道余程上位の毒物でも無い限りは耐性レベルが最大値である俺には効かんし、手持ちのアイテムに状態異常回復薬もある。
クラス的に単体遊撃に特化したオールラウンダーとも言えるエアロストライカーの俺は攻性QCMこそ単一属性最下位階のみだが、防性QCMや補助・回復系統のQCMは中位階まで扱えるので、その中には当然以上回復も含まれている。
最悪の場合はそれこそ、グリフォンの私室にでも逃げ込めば追ってはこれない。
つまりは、どうとでもなる訳だ。
――最も、この兵士の様子を見るに杞憂に終りそうな気もせんではないが・・。
どうにも先程から見ている限りでは、目の前の兵士は真っ正直の上に馬鹿正直と言う感じを受ける。
もしこれが演技なのだとすれば、それこそ大した役者だと言わざるを得まい。
チラリとファーラを見てみれば、彼女もそう判断したのか笑みを浮かべて小さく頷いていた。
「では、そこで」
そう答えたファーラに兵士も笑みを浮かべた。
「そうですか。では・・・えっと、この街の主要街道を示したものですが、現在地はここ。東門ですね。北門から南門への街道が中央通りですので、ここからですと・・」
壁に掛けられた大きな地図――と言っても、四方の門と街を縦断する主要街道しか記されていないが――を指し示しながら件の宿り木の宿への道順を示す兵士と、その様子を確認しながら道順を覚えようとしているファーラを横目に、俺は小さく口端を上げる。
エイルバード・ウィル・リオール。お前自身はまともな領主なのだろうが・・・配下の統率はどうか見せて貰うぞ?
ファーラがフードを脱いだのはこの兵士の詰め所が初めてだ。
そしてここより出てからも宿の部屋に入るまではフードは脱がない。
それは既にここに来るまでに話し合って決めている。
つまり、この状況下でなお宿に襲撃を受けるのならば、兵士の中に裏に通じた者が紛れていると言う証左に他ならない。
巫女である事を示すファーラの銀糸の髪を目にするのは、今日の時点では俺を除けば兵士のみなのだから。
悪いが、ファーラを傷つけたオルトとか言う輩の異母兄だ。
街の様子だけを見て信用する気など毛頭無い。
故に、これはその為の試金石だ。
街の治安を預かる兵士達に、どれだけの意識を割いているのか見せて貰おうか?
他ならぬファーラを的にする様な手は使いたくなかったが、父母と姉を信じるファーラの言葉によって決めたこの策。
ファーラのこの信頼を裏切る様なら、覚悟しておけよ?