巫女と番2
ギルドシップ内部。
無機質な金属の廊下を、再び俺は歩いていた。
あの目覚めの時から数時間前まで一人で歩いたその場所を、今は横抱きに抱えた少女――ファーラと共に歩いている。
月狐族の村、その村長宅での出会いから一時間と言った所だろうか?
巫女と番なる伝承によって齎された出会いでは在るが、小一時間言葉を交わす内には知らず親密と言っていい程に親しんでしまっていた事には少々驚かされるものがあった。
選定とやらで選ばれた巫女と番は運命の祝福を受けていると言うが、それも然りと頷けてしまう程度には、俺とファーラの相性は悪くなかった様である。
無論、だからとって即座に男女の仲へ・・と言うつもりもないが、得がたい友であると認める程度は吝かでもない。
最も、それが出会いから小一時間しか経ていない男女である所に、何とも奇妙な感慨は覚えるのだが。
ともあれ、言葉を交わす内に友誼を結ぶ程度には仲を深めた俺達だが、やはりと言うか、ファーラは自身の体を気に病んでいる節が見て取れた。
領主家の次男坊の暴走の結果とは言え、四肢を失った彼女には自由に動くと言う事ですら難しい。
残された短い四肢を使って這い回りでもすれば別なのだろうが、何も特殊性癖でもない限りはそんな姿を見て喜べはしないだろう。
まして、この世界は現代日本と違い道も整備されておらず、電動車椅子等と言う便利なものもない。
移動しようと思えば歩きか、さもなくば馬を使うのが一般的な世界で、四肢を失った彼女には他者の手を借りる以外に動き回る術がないのだ。
巫女と番、と言うその関係上、彼女は俺の力になりたいのだと言うが、それが出来る状態ではない事を悔やんでいた訳だ。
よって、信頼を得る第一歩・・・と言う訳ではないが、まず俺は彼女の体を治す事から始める事にした。
幸いと言うべきか、俺と共に転移――かどうかは解らないが――してきたギルドシップ、グリフォンには俺の情報が登録されたポッド以外にもバイタルポッドが存在している。
部位欠損が状態異常として存在したあのゲームの中で、唯一それを回復させられるのが、シップにあるバイタルポッドなのだが、これの使用には本来情報の登録が不可欠であり、一度登録すると登録抹消処置を施さない限りは他人の使用が出来なくなる。
元々俺のギルド求道者はフルメンバーでも18人。
グリフォンに搭載されているポッド数、20基には届かない人数しか居なかったのだが、こちらに来てからの調査で全てのポッドが初期化されている事が判明した。
これは、居住区に在るプレイヤールームに関しても同じ事が言える。
今となってはプレイヤーネームすら思い出せない――思い出そうとすると思考にノイズが走る――仲間達ではあるが、そのキャラクターの性別やクラス、好んだ装備はおぼろげに覚えているし、彼ら、彼女らが居住区のどの部屋を使用していたかも覚えている。
だが、その痕跡全てが失われていた。
バイタルポッドに登録されていたクローンコード、個室に登録されていた生体認証。
その全てが失われ、このグリフォンに登録されている人間――もしくはキャラクター――は俺のみだ。
結果、バイタルポッド、プレイヤールーム共に空き数は19に上る。
その内の一つを使用し、ファーラの手足を再生させるのだ。
無論、そうするに当たってファーラに俺の抱える秘密――と言っても、異世界からの来訪者である事を知る彼女にとってはある意味で今更ではあるのだが――と共にこのグリフォンの存在も教えている。
グリーン・アースの文明レベル的に見て理解不能だろうその話を聞いても、ファーラは戸惑う事無く応じて見せた。
『私の使えるべき番は貴方です。巫女として目覚めたあの日以来待ち焦がれ、恋焦がれた方の好意を疑う等、ありえません』
そう言って躊躇なく答えて見せたファーラの言葉は、俺にしてみれば少々盲目的に過ぎる気もしないではないが、自身の命を――それも抵抗の自由の利かない体で預ける程の信頼を見せられれば、男として裏切る訳には行かないと切に思う部分もある。
ならば、俺はそれに答えよう。
地球に居た頃のかつての記憶は虫食いの如く欠け、未だ確たる目的も見出せない俺ではあるが、ならばこそ彼女に誠実で居る事で先を見つけられるのではないかと言う気もしているのだ。
故にその一歩を踏み出すべく、俺はポッドルームへと足を踏み入れた。
整然と並ぶバイタルポッドは、見ようによっては鋼鉄の棺を思わせる。
金属で出来た無機質な冷たさと、顔の部分のみに宛がわれた特殊ガラス製の窓の存在が、鋼鉄の棺が持つ冷たさをより強調している様に見える。
そんなポッドの一つ――俺が目覚めたものの隣に位置するバイタルポッドの前に立つと、リフに命じてポッドのカバーを開けさせた。
通常であればコンソールによる操作を行うのだが、現在の俺はファーラを抱き上げている状態で両手が塞がっている。
四肢を失っている彼女では、片腕で抱き上げると言うのも難しい故の処置だ。
それにどの道、虚数空間に固定されたグリフォンは、今の状態では殆どのリソースを遊ばせている状態であり、この程度の処理はそれこそ片手間に等しい。
圧縮空気の抜ける小さな音と共に開いたポッドを前に、俺は今一度ファーラへと視線を移した。
「では、ファーラ。これからそこに寝て貰う訳だが、カバーが閉まった後に内部はエリクシル――液体で満たされる事になる。事前に薬で眠って貰いはするが、その液体は水中でも呼吸が出来るから心配しないで欲しい」
行ったのは再度の説明だ。
ゲームで幾度と無く使っていた俺ですら、生身で使うとなると不思議に思えて仕方が無いのがこのポッドと、その内部に満ちるエリクシルと言う液体である。
水中で呼吸が出来る、などそれこそ思いもしないであろう――まぁ、魔法と言う概念があるのなら、もしやすればあり得るのかも知れないが――世界の住人にとっては、不安はより一層だろうと思うからこそ、こうして再びの説明を入れている。
だが、そんな俺が思わず呆気に取られるほどに、ファーラは容易く頷いて見せた。
「先ほども言いましたが、私は貴方を信じています。ですので、不安など微塵もありません。このぽっど・・でしたか? それを使う必要があるのだと貴方が思うのであれば、遠慮なくお使い下さい」
穏やかな笑みと共に告げられた言葉は、やはり強い信頼に彩られたもので、こうなっては俺としても苦笑するより他にない。
躊躇すればするだけ、彼女への裏切りに当たるのではないかと、逆に俺の方が不安に成る程だ。
なら、これ以上の問答もまた不要だろう。
ゲームでこそあるが、実際に四肢を欠損させたプレイヤーを完治させる所を幾度となく見てきたし、操作するプレイヤーと言う立場ではあるが、実際にこのデュラン自身の部位欠損を治療した事もある。
治療の成否等、それこそ解り切っているのだ。
故に俺がするべきは彼女をポッドに寝かせ、治療を開始する事に他ならない。
「解った。治療に掛かる時間は約半日・・・と言った所か。明日の朝にはお前に手足が戻っている。その時にまた迎えに来よう」
そう約束し、彼女をポッドに横たえた俺にファーラは頷いて見せた。
「はい。ですが一つだけ・・・一つだけわがままを言ってもよろしいで
すか?」
無論、拒む必要もないので頷くと、彼女は僅かに頬を赤く染めて続けた。
「なら、口付けを。私は、漸く出会えた貴方との絆が欲しい。本当の意味で繋がるのはまたいずれでも構いませんが・・・せめて口付けが欲しいです」
何ともはや。
彼女が願った我侭はあまりにも簡単で、あまりにも魅力的だ。
そう思ってしまう時点で、既に俺も彼女に惹かれつつあるのだろうと思いつつ、彼女の桜色をしたその唇に己の唇を落とす。
ただ唇を合わせるだけの拙いそれですら、極上の甘露にすら勝るだろう甘さを感じながら、僅かな時間の後に唇を離した。
その際に名残惜しさのみならず、その先を求めようする気持ちが僅かなりと湧き上がるのは、恐らくは雄としての本能ゆえか。
それを押し殺しつつ、彼女の月光が如き銀の髪を優しく梳いてから俺はコンソールを操作してポッドのカバーを下ろした。
今度もまた小さな圧縮空気の抜ける音共に降りたカバーの向こうで、気体状の睡眠誘導剤が投与され、数秒の後にはファーラは穏やかな表情のまま眠りに落ちていく。
それを確認し、更にコンソールを操作。
今度はエリクシルの注入を開始した。
体に負担をかけない様、ゆっくりと満ちていくエリクシルを横目に、俺はコンソールの操作を続けていく。
部位欠損の回復に必要なだけのプロセスを入力し終わると同時に、エリクシルの注入も半ばを超えていた。
このエリクシルの不思議な点は、肺に溜まったものすら吸収されると言う点以外に、注入時、つまりは肺への取り込み時すらむせる等の反応が起こらない点にある。
どう取り繕ったところで、肺腑への液体の取り込みは即ち溺れる事と同義なのだが、空気とエリクシルの交換が終わるまでは、どうしても液体を取り込む事への拒絶反応が起こりえる筈なのだ。
にも関わらず、それが起きないと言うのは奇妙な気もするが、今回はその点に感謝しよう。
例え無意識の反射であり、実害はないのだと知っていてもファーラが溺れ、喘ぐ様等見たくはない。
そのままエリクシルの注入が終わり、治療が開始されるのを待って俺は踵を返して艦内の自室へ向かった。
翌朝、ベッドに寝転がったものの一向に眠気が訪れぬままに迎えたその時刻に、俺は室内着であるジーンズにTシャツと言った格好のままポッドルームへと足を進めていた。
何とも情けない話ではあるが、ポッドの中でファーラの治療が行われているのだと思うと、居ても立っても居られない様な気分に襲われ、落ち着く事が出来なかったのだ。
知らず足早になる己を自覚しつつ、エレベーターを居り、辿りついたポッドルームの扉を潜る。
そうして気づいてみれば、ポッドが開放されるより30分程早く着いていた事に、我ながら呆れ交じりの苦笑が吐いて出た。
昨日出会ったばかりの、それも僅かな時間話しただけの少女にここまで入れ込むとは、もしかしたら己は惚れっぽかったりでもするのかと言う疑問すら浮かんだが、虫食いとは言え残る地球時代の記憶を振り返るに、そう言った面はなかったと判断。
ならばこれは、相手がファーラであるが故か。
いよいよ、本格的に己がファーラに惹かれつつあるのだなと自覚せざるを得ない事態に、浮かんだ苦笑は深みを増していく。
こうなるともはや相性が良い、では済まされない気すらしてくるが、そんな己を存外気に入ってしまっているのだと自覚する己こそが、実は一番おかしいのかも知れない。
何にせよ、こうして自覚した以上はファーラとの時を大切にしたいのも事実。
ポッドの眠りから目覚め、笑いかけてくれるだろうファーラの顔を思い描きつつ、俺は端末の時刻表示を睨む。
色気も何も無い、縦と横の棒の組み合わせて出来たデジタルな数字の動きにつられ、自然湧き上がって来る期待に苦笑しつつ、静かにその時を待つ。
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・0と知らぬ間にカウントを取っていた己に呆れにも似たものを感じるが、湧き上がる感情はそれを置き去りにして足りた。
パシュッと言う小さな音共に開いていくポッドに、自然と俺の口端が笑みをかたどる。
やがて、完全に開いたポッドの中には、すらりと伸びた手足を備えた、完璧と評したくなる程に美しい裸身を曝したファーラの姿。
何故裸、と思うかもしれないが、まぁ、これは仕方が無い。
あの目覚めの後、一度試した事があるのだが服を着たままポッドに入ると、やはりと言うか何と言うか、服はびしょ濡れだったからだ。
まぁ、この辺りはゲームと現実の違いと割り切るしかないのだろうが、ゲーム中では服を着たままで問題なかったにも関わらず、こちらでは駄目というのはやはり何とも納得の行かない部分はある。
とは言え、感情面では兎も角として実際に濡れてしまう以上は、裸ではいる他無いのは事実。
この辺りはもはや、『こういうものなのだ』と割り切るしかないのだろう。
・・我ながら、割り切るしかない事柄の多さに、正直暗鬱たるものがないではないが、だからと言って考えた所で解るはずも無いとくれば、もはやそうするより他にない。
兎も角、そう言った理由からファーラには一糸纏わぬ姿でポッドに身を横たえて貰ったが、だからと言って異性の肌を無遠慮に眺めるのも礼儀に悖る。
自室から持参した新しいシーツを彼女の体にかけてやり、目が覚めるのを待つ。
通常であれば――いや、俺等であればポッドの開錠前には意識が戻るものなのが、恐らくこれは薬に対する慣れの問題だろう。
地球時代に聞いた話ではあるが、とあるTVの企画で未開地域に住む原住民を日本に招いた事があるらしく、その際、環境の変化故の疲れを心配したスタッフが栄養ドリンクを飲ませた所、今までその手の薬品と縁のない生活をしていた原住民に対しては予想の斜め上を行くほどに効いてしまい、丸一日走り回っていたそうだ。
無論、茶飲み話のネタとして上がった話ゆえ、何処までが本当か解らないが、日常的に薬を使う人間と、殆ど使った事のない人間では効き方に差が出てくるのは事実。
この世界の薬は天然由来の薬草等が主流だそうなので、科学的に調合された睡眠薬が予想以上に効いている可能性はある。
とは言え、その辺りの変化も含めて彼女の容態はモニターしているので、脳波の動きからして恐らくはそろそろ目が覚める筈だ。
と、その思考を肯定するかの様にファーラの瞼がピクリと震え、ゆっくりと開いていく。
どうやら、覚醒した様だ。
どこかボンヤリとした様子で周囲を眺めていたファーラだったが、俺に視線が向いた時点で表情は穏やかな笑みへと代わる。
「あ・・・お早うございます、主様」
「あぁ、お早う。気分はどうだ?」
体調的なものはこちらでもチェックしているが、気分的なものまでは流石にわからない。
それ故の問いだったのだが、ファーラは小さく首肯し問題ないと告げてきた。
その事に一先ずは安堵しながら、俺はファーラの左手に触れた。
「さて・・確認だ。今左手に触れているが、感覚はあるな?」
バイタルポッドの能力は知っているが、それでもこれは確認しておきたい。
そう尋ねた俺に、ファーラは大きく頷いて見せた。
見れば、その両の目じりには小さく光るものが見える。
「はい・・はい、感じます。私の手に触れる、主様の温もりが・・」
その後、右手、右足、左足と順に触れては尋ねると言う行動を繰り返す。
無論、女性の肌故、足に触れる際は断りを入れたが。
問いの度にファーラは大きく頷き、眼に溜めた涙が大きく溢れた。
その表情は、既にして失った自らの手足――ひいては自らの手足で動くと言う自由を再び得られた事に対する喜びで溢れている。
そんな彼女の笑みが見られただけでも、今回ポッドを使った価値はある様に思えた。
ただ、感覚はあるものの未だ手足を自分の意思で動かす事は出来ないらしく、当面リハビリの必要はありそうだ。
肉体的には問題が無い筈なので、恐らくは手足を失って以降の日々で脳が手足を動かす感覚を忘れているのが原因と見て良いだろう。
加えて、寝たきりの生活だった為に筋肉量が低下している事も原因の一つだ。
今の彼女の手足は、ファーラの胴体部分の筋肉量を元に調整されている為、健康とは言いがたいレベルの筋力しかない。
こちらも、食事による栄養補給と継続的な運動で取り戻すしかないだろう。
流石にあのゲームの代名詞とも言える、強化ナノマシンによる促成回復は試す気がしない。
使用した所で問題が出ない可能性も高いが、『肉体を改造する』事への忌避感というのはやはり根強いものがある。
ゲームの中でならば兎も角、現実として行うなら尚更だ。
さて、治療が終わったとなれば、いつまでもこんな無機質な部屋に留まる必要もない。
再度ファーラに触れるぞと断りを入れた後、シーツに包んだ彼女の体を抱き上げる。
昨日に比べ、手足が戻った分重みも増しているが、それを考慮してもやはり軽い。
もしかしたら寝たきりだった事で、食も細くなっていたのかも知れないが、そちらもリハビリをしていけば戻るだろう。
「主様、今度はどこへ?」
っと、いかん。
どうやらファーラに行き先を伝え忘れて居た様だ。
何とも抜けた話ではあるが、ファーラの回復にそれだけ舞い上がっていた証左とも取れる。
そんな己に苦笑しつつ、俺は問いに答える事にした。
「俺の私室だ。何れ部屋は与えるつもりだが、それは体が完全に戻ってからだな。暫くは俺と同室で我慢してくれ」
部屋は沢山余っているし、ルームクリエイトに使うアイテムも大量にストレージに眠っているが、手足の自由が利かない内に一人部屋において置くのはやはり躊躇われる。
村にある彼女の自室に送り届ける事も考えたのだが、当面リハビリを行う事を考えると、どうしても治療設備の整ったグリフォンに軍配が上がるのだ。
となると、風呂の世話などを頼む為にジャニア老に声をかけるべきか?
ジャニア老が手ずから行っていたのか、それとも村の女性陣に頼んでいたかは解らないが、流石に肌を曝す風呂などは異性である俺がやるには問題もあろう。
そう俺は言ったのだが・・・
「もはや私は主様のもの。主様の番なのです。主様がお嫌でなければ、主様にお願いしたいのですが・・」
との言葉に折れた。
意図的に伴侶と言う言葉を避けたのは、恐らく俺が伝承を知らなかったが故だろうが、彼女の中では、俺は既に伴侶として位置づけられている節が見える。
伝承や女神の託宣と言った諸々があった上で、その託宣を彷彿とさせる俺が出向いてきたのだ。
運命的なものを感じているのだと言われれば、納得出来ないではないのだが・・・。
まぁ、いずれにせよ、ここで断れば彼女の裸など見るに耐えぬと言う様なものだろうし、俺が世話を請け負うとしよう。
当面、俺は理性の壁を分厚くする事に意識を割く必要がありそうだ。