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さすがのシューベルトもこれはちょっと引くかもしれません

俺の名前は多田一郎という。

 俺は自分の名前が嫌いだ。一郎なんていう何の捻りもない名前もそうだし、何より多田という苗字の下に付いているというのがいただけない。頭三文字を取って、タダイ。イエスの弟子の一人の名である。

 勿論それを聞いただけで何のことかすぐに分かる人間はあまり多くないだろうが――キリスト教徒でもない限り、分かったらそれは所謂中二病ってのなんじゃなかろうか――、嫌なものは嫌なのである。

 嫌いなものは嫌いだからしょうがない!


 ――さて、そんな俺だが、その時そこ(、、)に居合わせたのは完全に偶然からだった。事が起きたのは中等部三年の教室内で、俺は高等部一年の生徒だ。後輩に用事がなければ、中等部校舎に行くことなどまずない。

 タイミングと運が悪かったのだ。


「知った風な口をきくんですね」


 教室の隅の方で呟かれたその一言は妙に響いた。俺は後輩に向かって手を出した姿勢のまま、そちらに視線を向ける。

 後にしてみれば、その時すぐに自分の教室に戻っておけばよかったのだが、当然そんなことは事前にわかるわけもない。

 声を発した女子生徒を視界に入れる。男物のような可愛げのない眼鏡をした地味な少女である。

「え?」

 女子生徒にそれを言われた男子生徒は、厭な笑いを浮かべたまま聞き返した。――察するに、何かからかうようなことを言ったのだろう。

「知ったような口をきくな、と言ったんです。思春期特有の自尊心の発露にどうこう言うつもりはないですけど、他人に――いえ、私に迷惑をかけないでください」

 そこまで一息に言って、軽く息を吸い込む。そのタイミングで反論でもしようとしたか、男子生徒の方が口を開きかけるが、彼女はそれを許さずに追撃を放ち始めた。

 ――よくもまあ、ここまで思い付くものだ、というような、ハメ技のごとくコンボを繋げた罵倒である。普段冷静な人間が本気で怒ると非常に怖いというが、そういう連中は怒る時も頭は冴えてるから質が悪いんだ。つつかれたくない部分、言われて痛い部分を的確に攻撃して来る。

 このあたりから、教室内の視線はほぼすべてその二人に向けられていた。目を丸くして、口を半開きにしたその表情を見るに、普段はこんなことを言うような生徒じゃないのだろう。

 聞くに、男子生徒の方は湯田というらしい。そして、その湯田君が女子生徒の名前をバカにしたということらしい。――しかし、女子の方の名前が分からない。俺は軽く身を屈めて後輩に小声で問いかけた。

「あの子、なんて名前?」

「遠藤さんです。……ま、まさかあんな素敵な人だったとは」

 なんだかこいつ、息が荒いんだが。

 はぁぁ、と熱っぽく息を吐いて、後輩――改め変態は、尚も毒を吐き続ける女子生徒を見つめる。唖然とした空気の中、こいつだけが向ける視線の種類が違った。きめぇ。

「……フルネームは?」

「遠藤真理亜さんです」

 真理亜か。ふむ、なるほど。

 大方、聖母じゃない方のマリアの件でも持ち出したんだろう。自分が博識だと顕示しようとしたんだろうか。思春期にはありがちな話だ。

 女子生徒、改め遠藤真理亜の方が余程知識が豊富――要らないことまで知っていそうだ――のようだが。

 テンポよく飛び出す罵倒もそろそろ佳境のようである。遠藤は最後に、今までよりわずかに大きく息を吸い込んだ。


「銀貨三十枚で師匠を売るような屑は、首を吊って死ねばいいんです」


 ――ちょっとニヤついてしまった。

 マリアがユダにそれを言うとは、中々皮肉の効いた話である。そしてそれを見守るタダイ。傑作だ。

 そんな俺とは裏腹に、それを言った遠藤真理亜はしまった、とばかりに顔をしかめた。彼女にくそみそに言われた湯田は涙目である。教室内は相変わらず唖然とした雰囲気だ。

 もしかしなくても、彼女にとっては大失態のようである。

 彼女の、あの妙に達観した目つきを見るに、目立たず騒がず騒がれず、何事もなく卒業して行こうと思っていたようだが、志半ばにして挫折してしまったらしい。ここは中高一貫だから、あと三年は今日のイメージがついて回るわけだ。かわいそうに。 さて、まあ俺もわざわざ厄介事に首を突っ込もうとは思わないから、どさくさ紛れに教室に戻らせてもらうとしよう。

「あれ、先輩もう戻るんですか?」

「ああ、用事はすんでるしな」

 言って、教室を出る。この後どうなるのか興味がないわけじゃなかったが、そろそろ休み時間も終わりだ。

 まあ、今後かかわり合いになることもないだろう。一度限りの面白い見世物を見られたと思っておくことにする。


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