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右腕   作者: ばいばるす
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第三章 異形 (2)

注意:この章は、残酷な描写を含みますので、苦手な方はご注意ください。

 「どんな気分だ?」

 少女はそう言って、鎌と化した右手で、異形の頭部をこづいて自身に向けさせた。己と同色の瞳の中に、押し殺した苦痛と、いまだ衰えぬ憎悪を見出し、少女は満足気に微笑む。

 「私を殺すために、生きて来たのだろう?己が同族を喰らい、憎んでやまない私と同じものに成り下がってまで、殺したかったのだろう?その全てが、徒労に終わると分かった今、どんな気分がする?」

 異形は、答えなかった。答えられないのかもしれなかった。

 残った四肢を地面に投げ出したまま、ただ滾るような赤眼だけで、少女を睨みかえす。


 「それどころか、お前は、これから私に喰われる定めだ。滑稽じゃないか?お前の怒りも、憎しみも、私を倒したいという一念も、まるで全て、私の糧となるためにあったかのように」

 尚も起き上がろうと残った四肢をもがかせる異形を眼下に睥睨へいげいする。

 「安心するがいい。すぐには喰わない」

 そう言うと、少女は、鎌と化した右腕を構えて、足下の異形に振り向けた。

 「最初は、右前脚だったな。次はどこがいい?…ああ、答える体力も残っていないか」

 

 ざくり、と刃が肉に食い込む音。

 無抵抗の獲物を相手に、少女は、躊躇なく刃を振るい、切り刻んでいった。


 一本、


 二本、


 三本。


 足が一本切り離される度に、新しい血が吹き上げ、地面を黒く染めていった。全てが終わった後、異形は達磨と化して己の血溜まりの中に横たわっていた。

 少女は、笑みさえ浮かべて、その惨状を見下ろした。

 「これはいい。四肢をもがれてしまえば、どんな異形も芋虫と変わらない」

 異形の赤眼は、もはや焦点を結んでいなかった。つま先で、軽く小突いても、それは変わらない。少女は小首をかしげる。

 「つまらないな、もう終わりか」

 本当につまらなさそうに、そう呟いて、肩をすくめる。

 その様子だけ見れば、いっそあどけないといってもいいほどで、それがかえって、情景のむごたらしさに拍車をかけていた。


 「では、そろそろ、いただくとしよう」

 少女は膝をつき、異形の胸部に刃と化した右腕を差し込んだ。

 肉を切り裂き、掻き開き、その内部をまさぐる右腕の動きに呼応して、異形の体がびくびくと痙攣し、その牙の合間から断末魔の慟哭が漏れ出る。

 押さえた、悲痛な悲鳴。命を奪われるものの叫びだった。

 「なんだ。まだ声を上げる気力は残っていたか」


 血塗れの少女の異形の右腕が、引きずり出した、異形の胸部に埋まっていた何か。それは、瑪瑙のような斑な色合いの、淡い光を放つ玉だった。

 しかし、無機質な外観にそぐわず、びくんびくん、とまるで何かの臓器のように少女の手の中で脈打っている。

 脈動の度に揺れては散る燐光。角度によって色を換える人間の心臓ほどの大きさのそれを、少女は炎に、ためつがえすして眺める。

 「つい先程、喰い殺したこの山の主よりは、いささか上等と見える」

 そう感想を述べると、少女は、それを握り込み、握りつぶした。

 すると、その玉は、個体から液体に、果てには気化するように、少女の掌に握りつぶされて吸い込まれた。やがて最後の燐光が消え、少女は足下で悶絶する異形に視線をもどす。

 血のように赤い唇がねじれて、言葉を吐いた。

 「ごちそうさま」


 異形は、もはや悲鳴を上げることも、頭部をあげることも適わぬまま、胴体と首だけになった姿を、無残にさらしていた。

 少女は、その様子をしばらく観察し、つと声を上げる。

 「ああ、忘れていた。まだ、一本残ってるじゃないか」

 いうが早いか、異形の太い首に、鎌が埋まり、そのまま掻ききられた。

 ひと際高く上がった血飛沫が、少女の白い体を赤く染め上げた。彼女は膝を折り、離れた首と胴に向かって囁く。

 「どうだ?痛いだろう?悔しいだろう?死んでも死に切れない気分だろう?だが、お前は、ここで死ぬんだ。命に代えてもなしたかった復讐をなせぬまま、ここで無念に震えて朽ち果てるがいい。その最後の瞬間まで己の非力を呪いながら」

 その瞬間だった。

 胴と切り離された、異形の首が飛び、少女の半身に喰らいついたのは。


 肉を裂き、骨を砕く異音。


 爆ぜる炎の中に、血の匂いがひと際濃く香った。少女の体がかしぎ、異形の首ともつれ合って、血の海に倒れて、転がった。


 「……っつ」

 荒い呼吸音と共に相手の体を押しのけて、立ち上がったのは、肩ごと腕を持っていかれた少女だった。

 いまや体中を朱に染め変えた白子の少女は苦痛に顔を歪ませて、狼の首を足で踏みつけた。

 「…やってくれるものだ。心の臓を抉り出し、首を切り離してもまだ動くのが、畜生の畜生たる由縁だったな。最後の力を温存して機会を伺っていたのか、それとも本能の賜物か。いずれにせよ、もはや支えられぬ胴とあらば身重なだけ。切り離せば首もよく飛び、牙も早くなろうというもの、か。少々遊び過ぎた…だが」

 少女は、異形の首を踏みつける足に力を込めた。

 まだひくついていた異形の頭部が歪み、音を立てて潰れる。半壊して飛んだ肉片があちらこちらに散って、惨劇の最終章を飾った。

 「私の勝ちだ」

 喘ぐようにそういいながらも、残された少女の左腕は形態を換えていった。

 人間の手から翼の形へ。昆虫のような鳥のような蝙蝠のような歪な翼は、二度三度羽ばたき、血を地面に叩きつけるようにしながら、揚力を得て宙に浮かび上がった。

 やがて安定感を欠いた軌道ながらも、その姿は赤く焦げる空の向こうに消えた。


 後に残されたのは、ばらばらに放り出され、いちじるしく損壊した四肢と首と胴、それに二体の異形の血が混じり合った地面だけだった。





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