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右腕   作者: ばいばるす
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第二章 成人の儀 (2)

 「光陰、矢の如しとは良く言ったものよ。衍葵も、もう成人の儀を迎える年になったか」

 天幕の中を照らすものは、中央に覗く天窓の星明かりと、その下で燃える暖炉の火ばかりだった。

 垂れ幕の入り口の間から入ってくる隙間風にあわせて、赤橙の照り返しが天幕の布を踊る。

入り口に正対する位置、つまり上座に座るのは、那伽是の族長、日夏の父親である。その両脇は巫人と、族長の補佐役である衍葵の父親にかためられている。

 衍葵は、入り口に最も近くに、彼等に向かい合う形で座っていた。

 「今夜は、星も明るく、雲もない。成人の儀にうってつけの晴天だ。まるで、そなたの門出を祝うようではないか。きっと神山も、そなたに辛くはあたらぬだろう」

 「は、はい。いえ、ありがとうございます」

 模範解答とは程遠い受け答え。更に、緊張と震えが、その語尾を揺らした。

 考え得る限り、最低の応答だった。

 額の脇を大粒の汗が一筋、流れ落ちる。天幕の中は、外気より暖かいとはいえ、肌寒いほどであるというのに、自分は頭からつま先までじっとりと汗をかいている。

 部族の三長を前に、きちんとした受け答えをしなければと思えば思う程、心は乱れ、声が震えるのだった。自分自身の耳を打つ、あまりの低たらくに衍葵は泣きたくなった。

 そして、そんな自分が、彼等に、いや、あの人にどう映っているのか。

 それを考える度に狂躁が脳裏をかき回し、舌はもたつき、緊張はいや増す。まさに、悪循環の極みと言えた。

 「そう堅くならずとも良い。儂とそなたの父、刹羅せつらとは―――」

 そういって、傍らに座る衍葵の父親に目を向ける。

 「兄弟同然に育った仲だ。言わば、儂はそなたにとっては叔父も同然。ましてや、お主には、あのじゃじゃ馬娘の相手をさせて、迷惑をかけておる。少しは、相手の事情を考えろとゆうに、聞けば、しょっちゅうお主を危ない事に連れ出していると言うではないか。まったく、あの年頃というのは、思いやりとおせっかいとの判別が出来ておらんで困る」

 相手の事情を考える。危ない事に連れ出す。

 それらは暗に、衍葵の身体的欠陥を示唆している。先程、薙につけられたばかりの傷が、うずいた。

 ――――みんな、言っている事だ。こんな自分の父親にも見限られた片輪に入れ込んでいる日夏の気がしれないって。

 「日夏は―――」

 乾いた声が、喉にからむ。自分が今どんな顔をしているのか、痛いほどに分かる。卑屈な、媚びた笑いを浮かべている。

 「日夏は、ああいう性格ですから、同情から僕を放っておけないだけなのだと思います」 

 自分で言っておいて尚、その言葉を衍葵を打ちのめした。

 それは自分自身を貶める言葉であったばかりでなく、日夏との関係性、ひいては彼女の気持ちを疑う、裏切る言葉であったからだ。彼女が耳にしたら、怒り出しかねたい類いの言葉であった。衍葵とて、日夏が同情から自分に接してくれているのだとは思っていない。

 でも、と心の奥で囁く声が聞こえる。

 だったら、他に何があるっていうんだ?日夏が自分にかまってくれる理由、彼女の気を引くに足る、他の何が自分にあるっていうんだ?哀れな肩輪、という他に。

 うむ、と族長はどこか満足気にうなずいた。

 それで分かった。

 言葉と態度は婉曲だが、族長は己の娘であり将来の族長の妻となる日夏が、衍葵のような人間に関わっている現状を良くは思っていない。

 さらにうがった見方をすれば、衍葵自身がその関係性の中から分不相応な期待をしないよう、増長する事のないよう、釘を指すために衍葵に先の言葉を言わせしめたのだ。

 日夏は、同情から衍葵に接してくれている。ただ、それだけの事なのだと。

 この天幕にいる誰もが、衍葵の肩輪の訳を知っている。事情を知っている大人達の誰もが黙して語ろうとしない、過去の経緯。彼等はまるで、腫れ物でも触るように衍葵を扱い、膿んだ傷口でも見るように彼から目をそむける。

 哀れみと、関わりたくないという心理と、それに伴う罪悪感の交錯する目。

 族長の目にも、巫人の目にも、同じ色合いが浮かんでいる。

 分かっている。族長は衍葵が憎いわけではない。だが、たとえ衍葵自身に責任があろうがなかろうが、衍葵のような人間に娘を近づけさせたくはないという事なのだろう。

 無理もない、と衍葵は自分自身に言い聞かせた。族長様の気持ちは無理もない。理解、出来る。

 日夏は、衍葵にとっても大切な存在だ。衍葵のような人間に、たった一人、何のてらいもない笑顔をくれた人間だ。

 だからこそ、その真っすぐな視線を曇るのは見たくない。その笑顔がかげるのは見たくない。誰かが彼女をそうさせるのだとしたら、自分はその人間を許さない。それが、たとえ自分であったとしても。

 思えば、自分は日夏に甘え過ぎていたのではないかという自省があった。

 彼女が自分に振り向けてくれる明るさがたまらなく心地よかった。真夏の太陽のように眩しくて、草原の風のように自由な彼女に惹かれた。憧憬の対象に、関心を向けられるというのは、それだけで、己の価値を否定され続けて来た衍葵の欠乏を埋めてくれるようだった。嬉しかった。

 彼女と一緒にいると、自分の価値を信じられるような気すらした。

 だが、知らず知らずの内に、それにすがってしまっていたのではないか。彼女の価値に縋る事で、自分の価値を信じようとした。

 だが、そんなものは愚かな錯覚に過ぎない。自分がその価値を認める他者に近づく事で、そのおこぼれに、あずかろうとしているだけだ。

 ――――私の言った事の意味、よく考えてみろ。それで、分からないようだったら、その狼の牙を返すなり捨てるなり、お前の好きなようにしたらいい。

 分かっている。分かっているんだ、日夏。

 君は強くて、真っすぐで、優しいから、僕を見ていて腹ただしくてならないんだろう?こんな惨めな考え方をする僕が、もどかしくて君は怒った。僕のために、怒ってくれた。

 でも日夏。やっぱり、僕には君の贈り物を受け取る資格はなかったんだって思う。だって、僕が笑うのは、僕が黙っているのは、僕が従うのは、何も他の人のためなんかじゃない。争いを避けたいのとも少し違う。

 本当に怖いだけなんだ。人の悪意と真っ向から向き合うのが。自分の内に潜む悪意と向き合うのが。

 少なくとも笑ってさえいれば、何を言われても何をされても従順なフリさえしていれば、相手と、そして自分自身とも向き合わないで済む。

 他者の悪意を対処する最も楽な方法が、それを受け入れる事だと僕は学んだ。そして、その欺瞞ぎまんに気付いていて尚、そうし続けるのは、単に僕がどうしようもなく弱いからなんだ。

 向き合えない。向き合いたくない。向き合う意志が最初からない。

 自分自身の傷口から目をそむけ続けているのは、他の誰よりも僕自身だ。

 目をそらし続ける。逃げ続ける。今の自分が好きな訳じゃない。でも、心のどこをどう探しても、立ち上がる気力が沸いてこない。

 「では、族長様。そろそろ……」

 巫人の声に現実に引き戻される。成人の儀の挨拶は終わりを迎えていた。

 「うむ、そうだな。長話をして、夜が明けてしまったでは、話にならぬ」

 笑いながらそう言って、族長が立ち上がる。彼にした所で、このように居心地の悪い会話は一刻も早く終わらせるに越した事はなかった。

 「しっかり頑張れよ。衍葵」

 「はい。ありがとうございます」


 巫人に続いて、立ち上がろうとした衍葵の父親を制したのは族長だった。

 「刹羅、慣例により成人の儀の前には、父が子に言葉をかけるものだ」

 短く、ただそれのみを言い、背中を見せて入り口の垂れ幕をくぐる族長。それに続いて巫人。 残されたのは立ち上がったものの、行き場を無くした衍葵の父親と、顔を伏せて座ったままの衍葵だった。

 顔を上げなければと思った。しかし、金縛りにあったように、体が動かない。

 声をかけなければ。でも何て呼べばいい? 他の者のように、刹羅様と?いや、いくらなんでも父子が二人きりの時にそれではあんまり他人行儀で白々しい。

 では、昔のように『父さん』と?

 自分がその呼び掛けを最後に使ったのは、一体いつだったのだろうか? 同じだけの時間、父親とは話をしていない。同じ集落に暮らし顔を合わせぬわけでもないのに、お互いに相手をいないものとして扱った。


 いつも衍葵が遠目にしか見る事のない父親の姿は、四十前半という年齢とは思えぬほどに壮健で、いまだ衰えを見せぬ武技は、部族の若い戦士達から、部族一の戦士の称号を守りぬいていた。

 引き結ばれた唇、感情をあらわさない鋭い黒眼、ひいでた額と、すぐな鼻梁、体格にめぐまれた威風堂々としたたたずまいは、若い頃のままだと人はいい、ただ目元の皺と白いものの混じり始めた頭髪だけが、わずかに老いを忍ばせている。

 見た目も中身も、こうまで似ていない父子というのも珍しいとよく言われた。自分でも、よくもここまで正反対の父子がいうものだと関心するくらいであった。


 混血の衍葵の容貌は、母親から受け継いだ繊細な造作と淡い色彩を基調とし、骨格にも筋肉にも恵まれていない成長途上の体は一見して同年代の少女と目立った違いはなかった。たとえ右腕を無くしていなかったとしても、同年代の部族の少年に伍する事が出来たかどうかは疑わしい。

 刹羅の息子である、という事実も、衍葵の非力と弱気を一層際立たせこそすれ、その逆は望めなかった。

 もとより衍葵は数いる刹羅の息子の中の一人、しかも混血で妾腹であるという事に加えて、出来損ないの息子だった。他の異母兄弟達も衍葵を同等とは見ず、刹羅の衍葵に対する態度にならった。

 唯一、衍葵をまともに扱ったのが血の繋がりなどないに等しい日夏であり、ひっきょう血が濃ければ濃いほど遠いという反比例の構図だった。

 目の前にいる人間は、衍葵とはもっとも血縁的に近しい存在でありながら、誰よりも遠い存在だった。無視という行為で衍葵を否定し、衍葵の今を形作った人間だった。

 だから期待していたわけではない。ただ、この気まずい沈黙を一刻も早く終わらせたかっただけなのだ。そう自分自身に言い聞かせた。いまさら何を期待している訳ではないのだと。

 「……父さん」

 声はやはり震えていた。しかしそれでも何とか顔を上げ、自分を見下ろす父親の目と十年振りに対峙した。

 光を吸い込むようなその黒眼が微妙に揺らいだように見えたのは、目の錯覚だっただろうか?

 「父さん、僕は―――」

 「衍葵」

 父親は、衍葵の言葉を半ばでさえぎり、切り捨てた。

 「私に恥をかかせるな」

 衍葵は唇をとざし、噛みしめた。 再び、顔をそらし視線をふせる。その隣を刹羅は通りすぎ、天幕を出ていった。



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