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右腕   作者: ばいばるす
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第二章 成人の儀 (1)

 集落へと辿り着いた二人を、最初に出迎えたのはなぎだった。薙は、衍葵達と同年代の部族の少年である。同じ年頃の間では、日夏に次いで首領格と見なされている。


 見るからに不機嫌、というのが第一印象だった。口を開くに至って、それは決定的なものとなる。

 「衍葵、お前なに考えてるんだ。よりにもよって、今日という日にこんな時間まで戻ってこないなんて」

 「ごめん」

 謝罪は功を労さなかった。

 「謝るくらいなら、最初から無責任な行動をとるな。皆に心配をかけて、日夏を探し行かせて、お前一体何様のつもりだ」

 「別に私は誰かに探しにいかせられた訳ではないぞ。自分で行ったんだ」

 横合いから口を出す日夏に取り合わず、薙の矛先は衍葵を捉えてぶれない。

 「別に、お前が臆して逃げ出そうと、いまさら驚きはしないけどな、日夏をお前の事情に巻き込むのはやめろ」


 黙して語らない衍葵を横目に、日夏が代理をかってでた。

 「人を勝手に巻き込んでるのはお前の方だぞ、薙。何をそんなに苛立っている?お前の成人の儀でもないというのに」

 「…苛立ってなんかいない」

 「なら、なんで、そうつっかかる。確かに、人に心配をかけるのは良い事ではないが、ちゃんと大事ない時間に戻って来たんだ。そのぐらいにしておけ」


 「日夏こそ」ようやく、薙は日夏に対した。「なんで、そう、こいつを庇う。こいつが、日夏にとってなんだって言うんだ。父親同士が、族長とその補佐役だから、こいつにも同じ事を期待してるとでもいうのかよ。こんなっ」

 そういって、人差し指を衍葵に指す。

 「弓も射れない、剣も満足に扱えない、臆病者の腕なしに」

 衍葵は知っている。薙は日夏を好いている。衍葵が日夏を好いているのとは少々異なる意味合いで。


 「腕がないと、どうして臆病者になる?それが、なんで見下す理由になる?第一、身体に障害を背負っているものなら、他にもいるじゃないか。歩けない者、腕が使えなくなった者。それとも、五体が満足していない人間は皆、臆病者の腕なし足なしか?」

 違う。と、衍葵は思った。衍葵と彼等では決定的な違いがある。なぜなら―――――

 「それは、戦いで腕や足をなくした連中の事だろ。勇敢に戦った結果なら、名誉の負傷だ。敬意も表するさ。だが、こいつのは違うだろ」

 「なら、産まれつき、あるいは、事故でそうなった者であれば、一片の礼儀も払う必要はなく、思う存分馬鹿にしていいと?」

 「違う!」

 薙は叫んだ。

 「こいつは、戦えないだけじゃない。戦いたくないんだ。戦う事を怖がっている。問題は、それだ。こいつは、狩りで獲物を狩れない以前に、最初から狩ろうとすらしていない腰抜けだ。心が萎えているんだ。そんな奴が成人の儀?戦士?……そうさ、確かに苛立ってる。こいつが成人の儀を行う事、それ自体が俺達に対する侮辱だ」

 薙の舌鋒は鋭く、そして確かに衍葵の一面を的確に言い当てていた。


 刀を扱う事は得手ではない。だがそれ以上に振るう事を拒絶している自分がいる。それは、嫌悪と言い換えてもいい。

 刃を振り下ろし、肉を裂き、血を大地に滴らせ、生物を死体へと変える。

 その仮定に、理屈ではない生理的な嫌悪がわき上がるのだ。それは例えば死んでいく命が哀れだとかいう第三者的な反応ではない。

 そもそも、いちいち生き物が可哀想だと思っていたならば、家畜なぞ飼えないし、肉を食べる事すら出来ない。

 反応は、もっと第一者的に、非合理に起こるのだ。最近では大分ましになっていたが、七歳ぐらいの頃が一番ひどかった。家畜の屠殺を手伝わされては吐いていたのを覚えている。今でも、無防備な状態で血を見ると反応が起こりそうになる。

 自分でもいまいち説明のつかない、それを腰抜けとそしられても、言い返す言葉を衍葵は持たなかった。


 「…薙、大概にしておけ。お前、私を怒らせたいのか?」

 日夏は静かにいった。すがめた目に針のような光が瞬き、薙は一瞬怯んだ。

 そして一瞬といえども、目線一つで怯んだ自分を許すには薙の自尊心は強すぎた。屈辱に顔を歪め、まなじりをきつくして、薙は声を荒げた。

 「俺の言った事は間違ってなんかいない。みんな言っている事だ。こんな自分の父親にも見限られた片輪に入れ込んでいる日夏の気がしれないって」

 「おまえ――――――」

 「もういいよ!」

 遮ったのは、当事者であったにも関わらず、ずっと黙っていた衍葵だった。「もういい」と、今度は声を落とす。


 「ごめん。薙。僕が悪かった。薙の言うような事を僕自身、考えていて、それで少し一人になって、落ち着きたかっただけなんだ。皆に心配をさせて申し訳なく思ってる」

 口元に媚びるような笑みさえ浮かべて謝る衍葵に、薙の表情の歪みは微妙に形を変えた。憤怒から冷笑へ。

 「心配?」

 侮蔑の響きが衍葵の耳朶を打った。

 「笑わせる。誰が、お前の心配なんかしている。皆、お前に恥をかかされたくないだけだ。たかだか、成人の儀で怖じ気づかれたりされたら部族の名折れだからな。そんな不祥事が起こらないよう気を揉んでるだけだ」


 先程まで衍葵を擁護するような発言を重ねていた日夏も今度は薙と一緒に衍葵の反応を待っていた。

 「…うん。分かってる」

  薙は冷ややかな軽蔑を含んだ視線で、その答えに報いた。その目が、ふと衍葵の胸の所で止まる。

 「それは日夏のじゃないか」

 日夏が先程くれた狼の牙だった。服の下に隠しておかなかった事を後悔するのに半瞬とかからなかった。

 「なんで−ーー」

 「衍葵にやった。成人の儀の祝いに」

 日夏が言い終わるのを待たずに、薙の手が衍葵の襟元にかかる。

 「それでお前はのうのうと首にぶら下げてると言う訳か。恥ずかしげもなく、日夏の獲物の印、草原の王、狼の牙を。大した厚顔無恥だ。少しでも恥を知っている人間だったら、到底できない」


 息がかかる程ちかくに、自分を罵倒する人間の顔があった。

 絞り上げられた襟に首を圧迫されても、衍葵は抵抗しなかった。抵抗したところで、薙と片腕の自分では勝負にならない事は分かりきっていた。また衍葵は確かに薙が苦手だったが、どうしてか嫌いにはなれない。

 彼の日夏に対する想いも、それで自分みたいな人間に彼女が構うのが許せない、というのも、無理もないと納得できた。好意にしろ悪意にしろ感情を露にして幅からない彼に、どこか魅かれていたのかもしれない。

 きっと薙なら他者の悪意と真っ向から向きあい、逆襲する事を躊躇わないだろう。自分の心を蹂躙するものを看過したりはしないだろう。迷わずに自分の正当性と相手の不当とを信じる事ができるだろう。


 目を閉じて殴打を覚悟するが、いつまでたっても衝撃は来なかった。目を開けると、薙の拳が、空中で止まっていた。

 「…殴る気も失せる。こんな腑抜け」

 そういって薙は衍葵を地面に投げ捨てた。日夏はただ黙ってその様子を見ていただけだった。

 「俺はこんな奴、認めない。日夏がどう言おうと俺は絶対に認めない」

 まるで宣言のようにそう言って踵を返す。

 その背中を見送りながら衍葵は体を起こす。自分を見下ろす日夏と視線が合い、思わずそらした。

 「…ごめん」

 「なぜ謝る?」

 その声は心なしか不機嫌に聞こえた。

 「お前は何か悪い事をしたか?あいつにあそこまで言われるような事をしたか?言い返せとは言わない。だが、なぜ謝る?なぜ、あいつの言う事を肯定する?」

 顔を合わせられなかった。こんな惨めな姿を彼女に見られたくなかった。

 「それは……でも、やっぱり発端は僕だし、何か日夏にかばってもらって、迷惑かけて、だから。それに日夏の獲物の印も、僕が持ってたら、やっぱり不釣り合いだって思うのも、無理はないかなって。薙が怒るのも―――」

 「仕方がないって?」

 更にとがった口調に、衍葵は正真正銘、日夏が怒っている事を知る。

 「つまり、お前が言っているのは、私が、薙があそこまで言われても仕方のない人間に、獲物の印を渡したって事か?」

 「そんな事は…」

 「なるほど。薙が怒るのも無理はないな」

 「ごめん。僕、また何か気に触る事―――」

 「謝るな!」

 びくりと衍葵は黙り、ぎこちない沈黙が流れた。

 日夏が何をそこまで怒っているのか分からぬまま、その顔すら見上げる事も出来ず、視線を俯けて、ただ沈黙の終焉を待った。

やがて深い溜め息が頭上に落ちる。

 「私の言った事の意味、よく考えてみろ。それで、分からないようだったら、その狼の牙を返すなり捨てるなり、お前の好きなようにしたらいい」

 鉛のような何かが胸を塞いだ。薙に次いで、日夏までをも怒らせてしまったという事実が衍葵を打ちのめした。日夏がこんな風に自分に怒るのは初めての事だった。だからもう、きっと終わりだと思った。

 とうとう日夏にすら見放された。

 恐怖と絶望がぞわぞわと胸の底から這い上がってくる。何かを言わなければと思い、口を開くが異物感が喉をふさいで何も出てこなかった。

 去っていく日夏の足音を呼び止める事すら出来ぬまま、ただ黙って俯いている事しか出来なかった。




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