第六章 歪 (1)
‐―――あれから何日立ったのだろう?
ここに閉じ込められてからというもの時間の感覚が消失している。日に数回、見張り番が置いていく食事を数えれば、逆算できたのかもしれないが、そうしようという気持ちは起きなかった。
時間の感覚だけでない。ありとあらゆる感覚が刻一刻と麻痺していく。あの神山で味わった死の手触りと同種のものが、もっとずっと緩やかに穏やかに、自分を絡めとっていくのを感じている。
刻一刻と弱っていく自分の体を見つめながら衍葵はただ一つのことだけを考えて、その時を待っている。
後どれだけ待てば、すべてが終わるのだろうか?
(喰え。喰わなければ体力が衰えるばかりだ)
頭の一隅の囁きにも、もうさほど心を煩わされる事はない。
目と鼻の距離にある食べ物にも胃は反応しない。体が重く、砂袋でもなったみたいに痛みも空腹も感じない。
懸念はたった一つ、全てが消えてなくなる際この声の主も共に消え去ってくれるだろうかという事だけだ。
(俺は貴様と心中なんて御免だ)
びくびくと捕縛された腕が衍葵の意志とは無関係に、のた打ち回る。
それを衍葵は視界の端に、見るともなしにぼんやりと見ている。
目覚めたばかりの頃、意志をもった右腕の暴走の度に、躍起になって止めようとしていた自分が今は懐かしい。
どんな理由があるにしろ、忌々しい右腕は、この戒めをほどけない。そう理解した時、初めて安寧が訪れた。
「無駄だよ。その縄は頑丈だし、巫人さまの霊力が込められている。お前は、このまま、僕と一緒に縄に繋がれたまま死ぬんだ」
(霊力? 笑わせるな。あんな呪い師くずれに何ができる)
だが現に押さえつけられているのではないのか、と衍葵は思う。
しかし、ではなぜかと問いかけてみる気も起きない。質問したところで親切に答えてくれるものとも思えないし、遅かれ早かれ全てが終わる。
会議が終わり、決が下れば自分の処遇も決まるだろう。
そして、下されるだろう決は恐らく―――
衍葵は瞑目する。
神山の森にいた時、自分は死を畏れた。
惜しむような命でもないというのに、自分の命の終わりを実感したとき心が乱れた。たった一人死んでいく自分が惨めで仕方がなかった。自分で自分を哀れんで泣いた。
今は違う。
今は、凪いでいる。死はもはや怖いものではない。
そう、死はいまや衍葵に残された唯一の選択であると同時に義務でもある。
この忌まわしい右腕を己ごと葬り去る。最後の最後まで、自分の中に押さえ込み、止め続ける。そうする事が出来るなら、自分の命など、どうなろうと知った事ではない。
意味のない死などではない。そこには明確な目的意識がある。意義が存在する。
それこそが自分に為しえるたった一つの贖罪だと、衍葵は信じている。
いや、信じたかったのだ。そう信じなければ、今にした所で、ぎりぎりの所に立っている衍葵の精神は当の昔に崩壊していただろう。あがなうことの出来ない罪。意味のない死。そんな事を考えながら、どうして終わりの時まで正気を保っていられるだろう。
(笑わせる。何をいまさら死にたいなどと言う?…あの夜、生きたいと望んだのは貴様だ。いいか、誰に強制されたわけでもない。貴様が俺を受け入れたんだ)
そう。だからだ。『僕』がお前を受け入れた。『僕』がお前を生かした。『僕』が那賀是に災いをもたらした。だから―――
(死ななければならない?)笑いの気配がざわめく。(自分で選んだ選択が、不都合な結果を産むや否や、今度は悲壮感を気取って『死』に逃避するのか)
逃避と呼びたいのなら呼べばいい。何と呼ぼうが、結果は変わらない。
(いい加減、自分自身を哀れむのはよせ)
…哀れむ?
そこで何かが唐突に腑に落ちた気がして、衍葵は笑った。長い間、水分を取っていない干からびた喉が、渇いた笑いに震えた。
…そう、その通りだ。まったくその通りだ。
自分自身を哀れむ。
僕の生きてきた人生は正に、その一文につきる。
僕は弓が引けない。
刀ひとつ満足に扱えはしない。
戦う事が出来ない。
でも仕方がない。だって僕には右腕がない。
人を傷つけるのが怖い。
生き物を傷つけるのが怖い。
斬って出る赤い血が怖い。
刃を向けるのも、向けられるのも怖い。
きっとこのままでは、自分の命も大切な人の命も守れはしないだろう。
でも仕方がない。だって世界は怖いもので溢れている。
僕の中身も怖いもので埋まっている。
僕は臆病だ。
僕は卑怯だ。
僕はあざとく、僕は騙し、僕は裏切る。
僕は人に失望を与えることしか出来ない。
僕は信頼に答えることが出来ない。
だから僕は諦める。
でも仕方ないじゃないか。だって僕は彼女のようには強くはない。
好きで弱いわけじゃない。好きで片輪なわけじゃない。
だから許してくれたっていいじゃないか?
―――そう、これが僕だ。
嘆くことで、哀れむことで、陶酔することでしか、自分自身と折り合いを付ける事が出来なかった。そうすることが、惨めな自分の在り方に対する唯一の弁明の方法だった。
そう、自分を哀れむのは、まだ自分を諦めきれていない証拠だ。自己嫌悪も自己憐憫も、結局はまだ自分が可愛いからだ。だから人に否定されれば傷つくし、これ以上、傷つけられまいと防護壁をつくる。誰かに非難される前に、先回りして自分で自分を批判する。
そうして自分で自分を傷つけ、自分で自分の傷口を舐めてきた。人の気持ちよりも自分の気持ちが大事で、本当は誰よりも自分が可愛い。反論も反抗もしないのは、優しいからでも大人しいからでもない。その方が傷つかないと知っているから。
ずるくて臆病で自分本位だった。自己の保身こそが唯一の行動規範であり、そのためなら自分自身にすら心を偽った。幾重にも嘘を重ねた心は、群生した木の根のように複雑に絡まりあって、もはや自分自身にすらどこまでが嘘で、どこからが本音だったか分からない。
薙をはじめとする人々が、なぜ自分をああまで嫌ったのか、今なら分かるような気がする。
この心の形は、『衍葵』という人間は‐―――どうしようもなく歪で、醜い。




