プロローグ
――八年前。フランスにて――
「お前は……俺の同士となる気はあるか?」
水浸しの牢。鎖に繫がれた状態の僕は、低い声をした男に話しかけられた。
足音もさせず、唐突に現れたソイツは、しばらく僕のコトを見定めるかのように沈黙し、数秒後に何を言い出すかと思えば『同士になるか』……なんて。
正直、バカみたいだ。僕がここから出られないことすら知らないの? 僕は、外の世界には求められていないんだ。
「……聞こえなかったのか? 同士になりたいか、と訊いている。まぁ、拒否されたとして、同士にしないという選択肢はないがな」
なんだそれ。結局、僕に選択権がないなら無意味な質問しないでよ。……僕はもう、何も考えたくないのに。気になるじゃないか。
だから……この眼帯、取ってくれたら『同士になるか』考えなくもないよ。……鎖に動きを制限される腕を軽く揺らし、心の中でそう呟く。
「眼帯、か。……そうだな、お前の能力は瞳によって成り立つ。俺はそれが欲しい」
心の声が聞こえたみたいに男はそう呟いたけど……あげないよ。これは、僕に与えられた唯一の武器で……何度憎んだか知れない呪いなんだから。これを抱えるのは、僕だけで充分。
「……なんにせよ、まずは同士にしなければ、な。そして、お前の能力を俺の役に立ててくれ。――皆の心を、感情を、すべて見透かし、俺の助けとなれ」
お前の助けになんてなるつもりもないよ。……そう言いたいけど、あいにく僕の口には猿轡がつけられている。残念だ。やっぱり、男の言う通りにしかならないらしい。
スッと小さな音が聞こえる。男が、腕を上げたのだろう。なんとなくだけど、こちらに向いているような気がする。
「邪魔な鉄屑だな。……Disparais」
フランス語? 今まで日本語で話しかけてきていたのに。……そう驚く暇すらなかった。なぜなら、不意に僕の腕が自由になり、両目を覆う眼帯の感触が消えたからだ。おそらく今は、人としては異形な、僕の紅い瞳が晒されているのだろう。
ボク ハ コレ デ ジユウ ナノ ?
久しぶりに開いた瞳で見えたのは、意外にも若く見える銀髪の男。青年とすら言えるかもしれない。涼やかな瞳は紅く、血のようだ。
それに……。
「なにも解らないだろう? それはそうだ。読み取れるわけがない。なんせ俺は……」
言葉の途中で、首筋に鋭い痛みが走った。少しずつ、血が抜かれているのが解る。
「絶滅……したんじゃなかったのか…?」
「最後の一人だ。……いや、今二人になった」
―――――はじめまして、我が同士にして最愛の弟子よ。
ウソだ。まだ、ヴァンパイアが生きていたなんて。信じられない。……皮肉なのか? 瞳が紅く、こんな能力があるせいで『ヴァンパイア』と恐れられ、水浸しの牢へ閉じ込められた、僕への。皮肉、なんだろうな。
……今日。僕はヴァンパイアとして、最後のヴァンパイアの弟子になった。
◆
Side Rio. ~有馬・L・慧人~
「失礼します」
ガラっと引き戸を開ける。それなりに掃除をしているのだろう、ほとんど抵抗もなく扉は開かれた。
外のムワッとした蒸し暑さを吹き飛ばすような、冷たい風が中からそよぐ。……職員室だけクーラーか、ズルイ。教室にもついていると嬉しいんだけど。
……ヴァンパイアとなった身でも、暑さには耐えられない。太陽は、今のところ大丈夫なんだが。とゆーか、太陽が無理になったら学校生活なんて出来そうもないので、“あの男”のような末期の、完全なヴァンパイアにはなりたくないものである。
と、そんなことを考えながら、職員室を突き進む。目指すは、窓際の右端。そこに、俺の担任となる教師はいるらしい。
「お、来たか。私が、君の編入するクラス、二年Aクラスの担任、岩崎だ。よろしく」
窓際の右端。そこの席に座る壮年の男性教師から、手を差し伸べられる。握手か。
「こちらこそ。書類等で知っているかとは思いますが、有馬・L・慧人です」
差し出された手を軽く、本当に軽く(そうでもしなければ、握り潰してしまいそうだ。……断じて、冗談ではなく)握り返した。
「フランスからの帰国子女だったね? 親御さんは、どうしているのかな?」
「親は……どこにいるんでしょうね。名前だけは付けられましたが、一緒に過ごした記憶もほとんどありませんし。と、いうか、俺に関する書類は見なかったんですか? 親がいないことぐらい、事前に分かっているハズでしょう? 察してください」
俺、この教師キライ。
まぁ、親がいないことについては、正直どーでもいいんだけど。一人暮らしだって、悪くない。ここは、フランスよりは治安もいいし……なによりあいつがいない。
「わ、悪かったな。あー、うん、そろそろクラスに向かおうか。私についてきてくれ」
言われなくとも。つか、逃げ方がずいぶん解り易いことで。
俺は心の中でそう呟きながら、肩にかけたメッセンジャーバッグをかけなおす。さすがに、編入初日とはいえ教科書類はすでに配られているので、今日の分は入っている。重い。
再び、今度は教師によって職員室の扉が開かれ、フランスとは全く違うムワっとしてジメっとした、イヤ~な暑さが肌に纏わりつく。これだけは、どうにも気に入らない。まだ、五月だというのに。
先ほどの無神経なことを言ってしまった自分に失望しているのか、担任教師は無言で廊下を歩いていく。
職員室のある棟に俺が編入するクラスはあるらしく、階も同じなのでクラスまではすぐそこだ。実を言えば、職員室に来る前にクラスの前を通ったりした。
歩いて数秒。俺が入るクラスの前に辿り着く。……うん、近いね。いや近すぎだろう。職員室からこんな近いところに教室を作らなければならないほど、この学校は敷地面積に困っているのか? 増築しろ、と言いたい。
朝のHRが始まる前の、ざわざわとした教室の外で、俺は心の中で愚痴をこぼした。
「……それにしても、その目でよく私のあとを追えたね。見えないのでは?」
俺は常に目を閉じていたりする。……だからか、盲目だと思われたのだろう。いや、それよりも、見えないと思ってたなら、なんで後ろを振り向きもせずにずんずん進んでいくんだ。
やっぱ、この教師キライ。
「極限まで目を細めているだけです。生来の糸目なんですよ、察してください。……空気の読めない人ですね」
皮肉を混ぜてしまうのは、ご愛嬌ということで。
ちなみに、糸目ではなく本当は閉じてるんだけど……俺は見えなくても“視える”。あの日以来、世界に満ちている“力”の流れから、だいたいのことを把握できるようになった。
よって、目を開く必要なんて、ほとんどない。文字を読むときでさえ、その文字が意味を成すために力を帯び、それを読み取ることが出来るため、目を開くことはない。なんかこう、書かれている文字からオーラみたいなモノを感じるのだ。細かくは説明出来ないが、事実、解る。
……目を開かない理由? それは、まぁ、別にどーでもいいじゃないか。ただ一つ言うならば、もう人の悪意なんてものを見るのはうんざりだ。
「そ、そうだな。うん、それで、だな……あー、私は、クラスのざわめきを静めてくるよ。私が呼んだら、入ってきてくれ」
「りょーかいです」
おざなりに答えておき、窓際にもたれておく。俺の答えに一応は満足したのか、担任教師・岩崎は教室の引き戸をガラッと開いた。なんかトロそうだけど、早く静めてくれるとありがたい。トロそうだけど。
五分は待っただろうか? 中の喧騒が止み、しばらくしてまた喧騒が戻ってきたところで、中から声をかけられる。おそらく、編入生がどんなヤツか、って話題で興奮しているんだろう。一応、帰国子女なワケだし、俺。
編入早々失敗するわけにもいかない。最初の挨拶は、しっかり成功させておこう。
一つ、深呼吸して、力を込めて引き戸に手をかける。そして、満を持して、気合をいれた状態で、引いた。
ガラッ! ヒュッ! バギィ!!
……イヤな音が響いた。力加減をミスったらしい。気合入れすぎだろ、五秒前の俺。八年前に無理矢理与えられたヴァンパイアの力は、やはり抑えづらい。
中の喧騒は完全に止み、唖然とした表情でこちらを見つめてくる生徒たち。これからお仲間になるコイツらは、そのバカ面を引っさげて沈黙を貫く。
なんか、しゃべって欲しかったり。
「……あー、今日からこのクラスの一員になった、有馬・L・慧人です。真ん中のLはフランスでの俺の名前で、リオネルっていいます。気軽に、リオって呼んでくれるとありがたい。別に、慧人の方で呼んでもいいぞ。その場合の愛称は、ケイってことで」
とりあえず、自己紹介してみたものの、生徒たちの反応はゼロに近い。……なんか、しゃべって欲しかったり。
「ちなみに、俺は超糸目なだけで普通に見えてるんで。ほとんど閉じてるじゃん! みたいなツッコミはナシの方向で頼む。……えと、よろしく?」
微笑んでみても、無駄なようだ。……しゃべれよ。
……俺の日本での高校生活、一番最初からすっ飛ばして外したらしい。馬鹿力、怨むぜ…。