不義密通発覚始末覚え書き
葉隠にお城で密通した男女を死罪にしたところ、その幽霊が出たという話が乗っています。
その話を題材に不義密通発覚の瞬間を中心に小説にしてみました。
この書は、いずれ焼き捨てねばならないのです。
家中武士たちの不正、御家の恥、それをご家老が、ご自分の後学のために覚えとして控えておいでであったものを、拙者が、お聞きしたまま書きつらねたものです。
人が見たら、腹を立て、遺恨に思うに違いないのです。
それゆえ、ご家老も必ず焼き捨てよと、仰せられていたのです。
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慶長十一年(1606年)丙午、藩公が上方へおいでになり御留守中の出来事だ。
御留守中は、城下ばかりでなく、城内も侍が少なく、夜ともなればいつもよりも、ずっと宿直の士も少ない。
その日、宿直の番所に出頭した小姓の神谷直之は、いつもより遅い時間に見回りをすることとなった。
中老の中村三郎衛門が、自身の体験を交えて得意そうに話す「小姓の心得」なるものを、じっくりと拝聴しなければならなかったからだ。
中村三郎衛門は殿の近習として小姓勤めを果たし、小姓頭から二十歳過ぎで番頭に出世した「傑物」、直之の先輩格でもあり、弟のようにかわいがってもらっていた。
たまたま、直之は山木吉右衛門という同い年の同僚と一緒の組で宿直をすることとなり、若い者の世話が好きな三郎衛門の話は、いつもより力が入ったと思われる。
深夜で暗い城内である。
神谷直之は定め通り、広大な三の丸屋敷の外回り廊下を、角ごとにある燭台の蝋燭の火を頼りに、廻って行く。
人影は消え、城外の森からフクロウの鳴き声が大きく聞こえるほど静かだが、堀端から立ち込めるのであろうか、湿気が多く、夜が更けても蒸している。廊下を照らす蝋燭の火以外の光はなく、まっ暗闇の世界である。
奥向きに通じる奥廊下は、まっすぐに三の丸を突っ切っていて、茶坊主以外の男子は立ち入れない。その外廊下と奥廊下の交差する角には、茶坊主と奥向きの雑用をする下男たちの溜まり部屋が突き出して、昼間の間、外部からの侵入者を見張っている。
夜の見回り時には、奥廊下の真ん中に一か所、部屋と部屋の切れ目に燭台が設けられていて、その仄かな明かりで、奥廊下の奥の奥までを見通して異常の有無を確かめることになっている。
外廊下と奥廊下をつなぐ角にある燭台の蝋燭の火を、極力揺らめかすまいと、いつも通り、神谷直之はすり足で大きく回ろうとして、立ち止まる。
『いつもは暗い奥の女中部屋の襖と襖の間から、うっすらと灯りが・・何事であろう』
異常時と判断した直之は、大胆にも男子禁制の奥廊下に入り、当該の部屋に近づいて耳をそばだてる。
『人の呻き声か、荒い呼吸音と絞り出すような声だ』
「ふううっ、ううん、あ、あ、う、う」
「おお、おお、おおぅ、おほう、ふぁー」
『衣擦れであろうか?複数の足袋の擦れる音もする。部屋の外まで漂う白粉の匂いと濃い香の匂い。うむ。これは間違いない』
「はあ、はあ」
「みし、みし、ずっ、ずっ、ふおぉーぉ、ふううっ」
「ううん、あ、あ、う、う」
『これは、いったい何人で交わっているのだ。中村殿の言う、いつも変事に備えよ、気を張り詰めてお勤めせよとはこのような事。一大事だ。すぐにお伝えせねば』
神谷直之は音もたてず、す、す、す、と滑るようなすり足で、廊下を急ぎ戻り、宿直番所の中老中村三郎衛門に報告を入れる。
一大事を告げる声は、変事に相応しい大きな声ではなされなかった。いつもの話し言葉と変わらないほどだ。
「慮外者が、数名か、いや十名ほどの多人数で、暗中、女中部屋に入って胡乱極まりなきことを」
直之の緊張した顔と上ずった声で異常を察知した中村三郎衛門が、詳細を尋ねることなく、それだけの言葉で、胡乱な事柄の中身を察して、言う。
「細かく申し述べる必要はないぞ。委細はこの中村が承知した。よくぞ気が付いた。直之、吉右衛門をここに呼べ、三人で踏み込むぞ」
三郎衛門は、このところ、殿が不在というのに茶坊主が頻繁に出入りしている、七右衛門なる出入りの下男が、その茶坊主と頻繁に連絡を取り合っていることに不信を抱いていた。
通常時と何か異なることが城内で起きているのではないかと。
それで、いつもと異なる時間に見回りをする段取りを、神谷直之、山木吉右衛門の両人に計ることなく、つけたのである。
この若い二人の小姓は、三の丸勤務となって日が浅く、悪事に手を染めておらず、しかも「使える」と値踏みしたのだ。
身内の不行跡を押さえるには、身内すら騙して計略を進めなければならぬと図ったのである。
やがて山木吉右衛門という同い年の同僚を連れてきた直之は、吉右衛門とふたりで中老中村三郎衛門の前に畏まる。
緊張する直之と吉右衛門。三郎衛門がふたりの目を順に射る様に見て、その心に言葉を直接流し込むように言う。「小姓の心得」と同じ調子だと二人は思ったかもしれない。
「いいか、捕りものは気合いぞ。既に相手を圧倒して召し捕ったものと思って腹を据えろ。ここは戦場と思ってやれ。ただし無言ぞ」
三郎衛門は一呼吸置き、言葉が染みわたったか確かめるように付け加える。
「一気に踏み込み、その場を押さえるぞ。抜かるな」
と言って立ち上がり、二人も続いて立ち上がる。
三人は長い長い廊下を足音を消して進み、奥廊下の女中部屋の前に立つ。
襖と襖の間から、漏れ聞こえる音で、部屋の中では淫らな不忠の行いの真っ最中であると判断した三人は、直ぐに行動を開始する。無言である。
直之と吉右衛門が、お互いに目を合わせ、襖の引手に手をかける。
三郎衛門が顎を引いて合図をする。
ふたりが襖を一気に引き開け、襖が大きく一間分も開く。
部屋の行燈の光が、一瞬で廊下とその天井を照らす。
白粉と香、男女の汗と体液、それらがまじりあった匂いが風のように流れて行く。
暗闇に慣れた目には、まばゆいほど明るく見える部屋の中、二組の侍と女中が肌も露に抱き合っている、彼らを乗り越え、もう一部屋、そしてその奥にある部屋も、直之と吉右衛門が駆け込み、一気に開け放つ。
唖然と口を開いた女中衆。その乱れた衣服。
一番手前の部屋では、まだ侍と女中が抱き合ったままだ。
茶坊主は部屋と部屋の間で、あたふたと顔だけで慌てて、座ったままでいる。
下男の七右衛門は、別の二人の侍を、ずっと奥の部屋へと案内しようとしていたのだろう、その三人が奥を向いたままだ。何が起きたかわからずに、その場で、そのまま凍り付いているのだ
ようやく、その二人がこっちを向いて刀を抜こうとする、その刹那。
「抜くな!そのまま動くな!」
と、スタスタと部屋の中央に進み出て、三郎衛門が大喝する。
次いで、
「お家を失うぞ!」
この一言で、体の動きを封じられるふたりの侍。
その刀を直之と吉右衛門が素早く取り上げ、女中と抱き合っていた侍ふたりの刀と一緒にまとめる。
「殿と御家に対する忠義を失うとは重罪である。最後は御家の侍らしく神妙に振舞え」
その言葉は四人の侍にいったのであろう。静かに諭すように中村三郎衛門がそう口にした時、廊下を走ってやってくる大勢の侍たちの足音が響く。
夏の湿気のなかで、香と白粉、男女の汗と体液の匂いが立ち込め、観念した侍四人の諦観のため息、女中衆の狼狽と嗚咽、茶坊主の恐怖を払おうとする念仏、下男の呟きのような悪態が、大勢の足音と綯交ぜになって、『あとは中有に落ちるだけ、もうお仕舞だ』と暗黒の絶望が、部屋を中心に三の丸全体を覆って、渦巻いているのであった。
この事件、藩政記録には
「三の丸にて不行跡の者あり、暇を出す。何某、何某」
とだけ書いてあるだけだ。
しかしながら、ご家老の神谷直之様の覚え書には
「密通の者、女中衆、乳母おとら、お千代、お亀、松風、かるも、おふく、あい、ちやの合わせて八人。
男、士分、中林清兵衛、同勘右衛門、三浦源之丞、田崎正之助、坊主、慶加、下男、七右衛門の合わせて六人。
いずれも御家の廟の前で、藩公、ご臨検の下で成敗」
とある。
そして、ご家老、神谷直之様の書には、事件の「事後談」も書いてある。
「その後、夜ごと、その者らの幽霊が三の丸のあちこちに出るようになった。
御女中衆は恐ろしがり、夜になると部屋の外へも出ることが出来なくなった。
あまりに長く続くので、奥方役人へ申し上げ、神職や僧侶を招いて、
御祈祷、御供養などをされたが、それでも幽霊の出現は止まなかった。
よって、奥方役人は、藩公にご事情を申し上げられた。
藩公は、夜中に三の丸に出向き、青白き首が、いくつもいくつも宙に浮かぶさまをご覧になり、
幽霊の目を逸らさせず、真っ向、真っ直ぐに、覗き見るようにして仰った。
『さてもさても、気味の良いことではないか。御家の祖廟に仇を為したそちらは、藩祖とその忠臣らにとって、祖廟の前で首を斬っただけでは飽き足りぬほど、憎い奴腹ぞ。
死んでから行くところもなく、迷い出て幽霊になり、浮かばれず苦しんでいるとは、なんとも因果応報を弁えた話ではないか。
よしよし、いつまでも成仏せずに迷っておるもよし、悔いて成仏するも良し、
そちらの思うようにせよ』
と、仰せられた。するとその夜から、幽霊は出なくなった。
もちろん北の方である奥方様は、事件一切を、その最初から何も存じ上げておられない。
全ては三の丸の中だけでお収め申し上げ、藩内外には、藩政記録にある通りなのだから」
と。
(了)
2026/08/25午前 文章を修正しました。
女中部屋に踏み込む直前の状況の説明に、必要な表現を加え、 中老中村三郎衛門の「意図」が理解できるよう、それを具体的に文章化しました。
全体のストーリーに変更はありません。




