たびのはじまり
モバイルSuicaに登録したのは指定席特急券でしたが、いざ乗り込むとその車両はガラガラでした。
この分だと自由席でも余裕で座れたでしょう。勿体ないと思いつつも、ゆっくり出来ることに安堵していました。
いえ、この書き方では少し語弊を招きかねませんね。私はその時、動悸と息切れに悩まされていました。
そんな自分を見られたくなかったのです。
取り敢えず、気を紛らわせるためにヘッドホンを着け、音楽を聴くことにしました。
目的地の名古屋駅までは、東京駅からおおよそ1時間40分。Spotifyで再生時間が同じくらいのプレイリストを作り、ダウンロードしておきました。東海道新幹線のWi-Fiが強ければ、そんな手間はかからなかったはずです。JR東海の方、是非ともよろしくお願いします。
いざ出発し、新横浜駅を出てからはだいぶ気分が良くなった気がします。
茨城から東京駅までの間は雲が重たく、道中を心配していました。それでも、静岡に入りトンネルを抜けると青空をバックに富士山が見え、きっといい旅になるという予感を抱きました。
さて、三河安城駅を過ぎた、という案内が流れた辺りでよっしーからLINEが入りました。
『着いたよー
ここにおるわ』
というメッセージの下に写真がありました。左に改札、あとは柱が沢山写っていました。現在地から見える様子を撮ってくれているようです。皆さんならこの撮り方で分かるのでしょうが、方向音痴な私には正直難しいクイズです。イントロでどの”Get Wild”かを当てる並に難しいと思います。
いいですか、現在地を写真で伝える時は、相手の方向感覚を見定めてくださいね。
結局私は、名古屋駅を降りてすぐ彼に電話しました。
銀の時計を取り敢えずの目印とし、何とか合流出来ました。
よっしーはポロシャツに帽子を被っていました。このままゴルフに行けそうだな、という印象です。
私ですか?私は”Cö shu Nie”というバンドのTシャツに黒いスカンツを穿いていました。髪はハーフアップです。水仙の様に美しいです✿
「あめ、久しぶり!
ここまで何時間か?」
よっしーが電話を切り、直接話しかけてきました。
「ドアツードアで4時間だよー」
「それで1泊2日は中々け頻繁には集まれんな。
俺は大阪だしそれよりはすぐなんじゃあ」
「大阪ならどこでも行けていいなあ。まあ、私的には今の方が鹿嶋に近くていいんだけどね」
「俺なんか広島まで新幹線やけん、シーズンシート買ってるのに行く程赤字じゃ」
「その熱狂さは凄いわ」
何の話か、それはサッカーについてです。
私は鹿島アントラーズ、よっしーはサンフレッチェ広島を応援しています。私はそこまで熱狂的ではありませんが、よっしーは遠征するほどのサポーターです。
どちらも上位でプレーするチームですので、私たちの関係もそれはもうバチバチです。
冗談です。
2025年シーズン、YBCルヴァンカップで広島が優勝を収めたときにはLINEを送りました。呪術廻戦の東堂葵が”Congratulation”と言っているスタンプです。
逆に、鹿島が明治安田J1リーグの優勝を収めた時は”おめ”と送られてきました。
これは間違いなく仲が良いです。
そんな話をしながら、栄駅を目指します。
駅の中など何処に行っても同じに感じる私の代わりに、よっしーが全て案内してくれました。助かりました。劇場版名探偵コナンのメイン・テーマイントロクイズの迷路に迷い込むところでした。
そして名城線に乗り込みました。
列車の音がからだに響き、ウンザリな動悸を上書きしてくれるような思いがしました。
2人で栄駅すぐのアパホテルに荷物を預け、そのまま仁さんと合流しました。
「2人とも久しぶり!
あめは遠かったっしょ?」
仁さんは、かけていたブルーのサングラスを少し傾けて私たちを迎えました。
彼の服装は、「高そう!」という感じです。いえ、実際に高いです。夏なのに袖が長くて暑そうな上着を羽織っていたのですが、3万円だそうです。模様が独特で、よっしーは「バイオハザードのマークがあるけ、危険じゃ」となどと言っていましたが、それを着こなす仁さんは凄いです。因みに、下半身はショートパンツにニーハイソックスです。名探偵コナンの江戸川コナンを想像してもらえれば結構です。
そして今回は、その仁さんが案内をしてくれました。
おっと、私たち3人の関係性を説明していませんでしたね。
会社の同期で、最初の配置も同じ3人なのです。静岡の事業所に勤務していたのですが、今は異動で散らばっています。先に少し触れたように、私は茨城、よっしーは大阪、そして仁さんが名古屋という訳です。
私だけ都市名でなく県名なのは、実家からリモートの為です。他2人は書いておいてなんですが、身バレしたくないので許してください。はい。
このとき、大体12時半です。早速名古屋めしだー!という訳ですが、ここで仁さんは2択を迫ってきました。
「じゃあ、あめ。
味噌カツと味噌煮込みうどんのどっちがいい?」
そうでした、これは私が食べたいものとして事前に要望していたものです。しかしそのことを忘れていて、うっかりバンドT(しかも白地に金魚のプリント)で来てしまいました。後者で汚さない自信がなかったため、味噌カツをお願いしました。
仁さんは、矢場とんへ連れて行ってくれました。
勧められるがままに頼んだ定食は、とてもボリューミーでした。鉄板の上に置かれた味噌カツはジューっと音を立て食欲を唆ります。キャベツに盛られたとんかつは好きなタレを選べるので、味変の楽しみがあります。サイドメニューもまた、漬物たちは油をリセットしてくれて、次を食べさせてきます。
少食の私に食べ切れるかは心配でしたが、美味しかったので無事食べきれました。
「何か、イメージしてた味と違ったわ」
「まあ、八丁味噌だからな、関東とは違うわな」
私の言葉に、秋田出身の仁さんが返しました。あなたがいちばん遠いくせに、ちょっと名古屋にいただけで調子に乗っています。
取り敢えず、「でも美味しかったよー!」と多少文句が入った言い方で返しました。とは言え味噌カツは美味しいです!食べたことの無い方は是非食べてみてください。
ちょっと間が空いて、よっしーが「ごめん」と切り出しました。
「ご飯食べるの少し遅くなったわ。ホテル寄っとったけん」
私も手刀と表情で謝罪の意を示しました。
「いや、ウチが広ければ泊められたんだけど。
まじで廊下とバスタブしか空いてない」
仁さんも笑いつつ申し訳なさそうに言いました。この台詞はガチで言っていましたので、私が笑わせようと改ざんしている訳ではありません。
むしろこのとき、彼の瞳には真剣さを感じました。
「実はさ、結構大きめなテーブル買っちゃってさ」
「あれ?前はオシャレなガラステーブルやなかった?」
よっしーの言葉に、そういえば、と思いました。そうか。
「仁さん、もしかして同棲始めたの?」
「いや、居候。ふふふ」
私たちの会社は、独身で一人暮らしであれば社宅としてアパートを借り上げてもらえます。
当然、同棲するとなると社宅扱いではなくなります。
ですから、仁さんは居候という形で脱法的に同棲をしているのです。ああ、なんて恐ろしい。
「でも狭くないん?」というよっしーの言葉に対し仁さんは、
「狭い……
ま、狭くなかったら泊めてるから」
と再び真剣さを孕んだ笑顔で返してきました。
私はこの日まで、仁さんの彼女さんについて、存在しか知りませんでした。名前すらも。
あ、前に仁さんの家へ行った時に、彼女さんのための本があるのは見ました。
でもそのくらいです。
この旅行で、仁さんのカノジョがどんな人かを私は知っていくのです。
そして、それが私の人生を大きく変えるのです。




