第38話:優しきエルフの微笑み、心満たされる神秘の刻。
夕闇を背に、ラジアナが空を駆け巡る。
風を切る音が耳元を通り過ぎ、眼下には小さくなっていくイーストブルグの灯りが見えた。
ふと、街の入り口を通り過ぎたところで、ラジアナがすっと方向転換をする。
「ラジアナ? どこに向かってるんだ?」
響夜は不思議に思い、その背に問いかけた。
「そろそろバトンタッチ!」
軽快な声が返ってくるが、意味が分からず響夜は首を傾げるばかりだ。
イーストブルグの裏手、山肌に隠れるようにして、もうひとつ大きな穴が口を開けていた。
ラジアナは迷いなく、そこへと滑り込む。
洞窟特有のひんやりとした空気が肌を撫でるかと思いきや、次の瞬間、景色は一変した。
岩だらけだった世界が嘘のように消え去り、そこにはまばゆいばかりの緑が広がっていたのだ。
足元には柔らかい草が生い茂り、頭上からは柔らかな月光が降り注ぐ。
「なんだ? ここ……」
響夜は思わず呟いた。
この感覚は、まるで『聖なる森』に帰ってきたかのような錯覚を覚える。
視線を奥へと向ければ、更に巨大な樹がそびえ立っている。
そのあまりの既視感に、響夜は息を呑んだ。
「まさか…ここって…!」
彼の脳裏に、『大切な場所』の記憶がよぎる。
その思いを肯定するかのように、ラジアナがにこりと笑った。
「到着ぅ!」
ラジアナは竜変化を解き、ふわりと地面に着地する。
響夜を安全に下ろすと、彼女は胸を張って言った。
「綺麗だろ?」
響夜の眼前に広がるのは、『あの森』にもある、伝説に謳われる存在。
「『古代樹』?!」
そして、その巨大な樹の根元から、人影が見えた。
柔らかい光を浴びて立つその人物に、響夜は目を見張る。
「いらっしゃい、キョウヤ」
そこには優しく微笑むのは、リアーナだった。
「リアーナさん?!」
突如として展開された訳の分からない状況に、響夜は少し混乱する。
ラジアナはまた竜へと変化した。
「じゃ、僕は行くねー!」
彼女は夜空へと勢いよく飛び立ち、あっという間にその姿は闇に溶けていった。
響夜とリアーナだけが、神秘的な古代樹の前に残される。
「ここは一体……」
響夜の呟きに、リアーナはにこりと微笑む。
「びっくりしたでしょ?」
響夜は素直に頷いた。
この神秘的な空間に、まだ驚きを隠せないでいる。
「ここは別のエルフ族が守護している『古代樹』よ。今は留守みたいだけど」
響夜は、その言葉にも耳を傾けながら、目の前の景色にすっかり魅入っていた。
リアーナが管理する『古代樹』と同じように息を呑むほど美しく、神秘的な緑がどこまでも広がっている。
故郷を思わせるその風景に、響夜の心は穏やかに満たされていくようだった。
「……こんな場所があったなんて」
響夜が感嘆の声を漏らすと、リアーナが彼の名を呼んだ。
「キョウヤ」
「…!」
名を呼ばれて振り返ると、リアーナが嬉しそうに右側頭部の髪飾りをそっと指でなぞっていた。
木の葉を模したその髪飾りが、柔らかな光を放っている。
「この髪飾り……ありがとう! とっても素敵ね。気に入ったわ!」
リアーナは満面の笑みを浮かべ、響夜を見つめた。
「…不思議な魔力を感じるわね。キョウヤ……もしかして何か細工した?」
問いかけに、響夜は少し気まずそうに答える。
「……はい。まあ、リアーナさんには不要かもしれないですけど……」
「もう……なんでそんな意地悪言うのかな」
リアーナはそう言って、ずいっと一気に響夜との距離を縮めた。
彼女の柔らかな圧に、響夜は思わず一歩後ずさりする。
「す……すみません……」
リアーナはにこにことしながら、それでも響夜から視線を外さない。
響夜は観念したように、髪飾りに施した魔法について説明し始めた。
「えと……リアーナさんの髪飾りには、『自然治癒促進》』を施しています。治癒力をさらに強化する魔法で、自然の精霊力を呼び込んで、自身や周囲の生命力の回復を早めて、負傷からの回復や疲労の軽減に効果を発揮します。元々、聖魔法力が強いリアーナさんだから、こんな補助は必要ないかと思ったんですけど……」
響夜の言葉が終わるか終わらないかのうちに、リアーナがふわりと彼の傍に距離を詰めた。
そして、響夜の頬に、暖かくて柔らかい感触が触れる。
「……!」
不意を突かれた響夜は、驚きに目を見開いた。
頬に触れたのは、リアーナの唇。
響夜の顔がみるみる赤くなっていく。
彼女は微笑んだまま、響夜の反応を楽しんでいるようだ。
「リ……ッ、リアーナさ…ッ!」
声にならない響夜の呼びかけに、リアーナはそっと唇を離し、透き通るような瞳で彼を見つめた。
「ありがとう、キョウヤ。凄く…凄く嬉しいわ…!」
洞窟内の神秘的な古代樹の景色の中で、二人の間に温かい空気が流れる。
宵い口に舞い始めた蛍が、その光景をさらに美しく照らし出していた。
「それと……」
古代樹の幻想的な光の中で、リアーナが優しく響夜に問いかけた。
「?」
「もう少し……私達に付き合ってくれる?」
リアーナはそう言って、出口方向ではない場所を指差した。
その先には、光の届かない闇に包まれた、別の抜け穴がぽっかりと口を開けている。
「……『達』?」
響夜は首を傾げた。
リアーナはくすくすと笑いながら、響夜の反応を楽しんでいるようだ。
「あの方向…。真っすぐ向かえば、街に戻れるわ。『次』も付き合ってね、キョウヤ」
リアーナの言葉に、響夜は合点がいった。
(……ああ、そういう事か)
「みんな、貴方に感謝の気持ちを伝えたいの。だから…お願い」
リアーナの真剣な眼差しに、響夜は小さく笑みをこぼした。
「……判りました」
彼が微笑みながら頷くと、リアーナの表情がぱっと明るくなった。
「本当にありがとう、キョウヤ」
響夜は軽く頭を下げ、次の場所へと走り出す。
その小さな背中が見えなくなるまで、リアーナは温かい眼差しで見送っていた。




