第2話:少年の顔と男の声。そして、運命の出会い。
短く刈られた黒髪。
意志の強そうな鋭い眼差し。
華奢だが、確かに男性的な顔の輪郭。
(えっ…?!だ……ッ、誰?)
信じられない光景に目を丸くした。
何度も瞬きをするが、水面に映る顔は変わらない。
恐る恐る自分の頬に手を当ててみる。
滑らかな感触は変わらないが、輪郭が違う。
首筋に手をやると、喉仏がある。
「嘘……でしょ…?」
掠れた声が出た。
驚いて思わず手で口を覆う。
それは、聞き慣れた自分の声ではなかった。
低く、少しばかり掠れた、紛れもない男の声。
混乱が津波のように押し寄せる。
ここはどこなのか?
何故、自分の姿が変わってしまったのか……?
全く理解が追い付かない。
もう一度、水面に映る自分の顔を見つめる。
その目は、信じられないものを見たという衝撃と、これから一体どうなるのかという深い不安に揺れていた。
先ほど立ち尽くしていた場所に目をやる。
微かに残る光の痕跡。
先ほどの異様な光景が幻ではなかったことを示している。
自分が男になってしまった。
___いや
正確には、異世界で少年の姿に変わってしまったのだという、ありえない現実を、冷たい池の水面に映る自分の姿を通して、ようやく、ほんの少しだけ理解し始めた。
(しっ……信じられない。これってまるで……さっき瑞希が話してた、異世界転移……)
その時だった。
ガサリ…
……と背後の茂みが大きく揺れ、ビクリと肩を震わせた。
慌てて振り向くと、そこに立っていたのは、見慣れない格好の少女だった。
長いブロンドの髪をなびかせ、常磐色の瞳を大きく見開いている。
エルフ族特有の尖った耳が、ピンと立っていた。
弓を構え、警戒するように自分を見つめている。
自分が着ている服は、なぜか身体にぴったりと馴染んでおり、ところどころが裂けてボロボロではあったものの、異世界の服としては十分過ぎるほどに初期装備と化していた。
ただ、足元は裸足のまま。どうりで足が痛いわけだ。
「貴方は誰?ここで何をしているの?」
少女の声は、警戒心を帯びていた。
その問いにどう答えるべきか、咄嗟に言葉に詰まる。
現世から来たなどと言っても信じてもらえるはずがない。
それに、この身体の変化も、どう説明すれば良いのか……。
脳内会議を開き、意を決して口を開く。
「……す…すみません……。ここがどこなのか……俺が誰なのかも、思い出せないんです。……えと…ただ、名前だけは……」
そう言って、足元に転がっていた木の棒を拾い上げた。
湿った土の上に、覚束ない手つきで文字を書き出す。
漢字など、この世界の住人には理解できないだろう。だから、あえて。
『キョウヤ』
(……か…、漢字より…カタカナなら判るかな…?てか、この世界の文字は…あれか。ご都合的に読める的な……?)
ぐるぐる思考を巡らせ、書き終えて恐る恐る顔を上げる。
エルフの少女は、彼が書いた文字をじっと見つめ、戸惑いと、ほんの少しの安堵が入り混じった表情を浮かべた。
その視線は彼の全身を巡り、困惑と畏怖を帯びていたが、やがて少しだけ安心したように溜め息を吐くと、優しく口を開く。
「キョウヤ……さん、ですか」
(よし! 通じた! ご都合主義最高!)
心中、ガッツポーズをする『響夜』。
「……私はティアです。冒険者の依頼が終わって、街に戻る所です」
少女は自身の名を名乗った。
その声は、まだ少し警戒を解いていないようだが、どこか芯の通った響きを持っていた。
響夜は、この世界の住人との初めての会話に、安心と同時に、新たな緊張を感じていた。
ティアは響夜の足元に視線を落とし、その裸足に気づいた。
破れた衣服、記憶がないという言葉。
ティアの頭の中で、様々な情報が駆け巡る。
(この装い……そして、記憶喪失。もしかして、どこかの収容所から抜け出して、決死の思いで逃げてきたの? その途中で頭でも打って、記憶をなくしてしまったとか? ……まさか、収容所からの脱走者……?)
様々な可能性が脳裏をよぎるが、目の前の響夜からは全く悪意が感じられない。
むしろ、困惑しきった様子が、ティアの警戒心を少しずつ溶かしていく。
「足元が危ないわ。よかったら、これを使ってちょうだい」
ティアはそう言って、背負っていた袋から、予備と思われる少し大きめの靴を取り出し、響夜に差し出した。
響夜は戸惑いながらもそれを受け取る。
足を通そうとすると、ティアは静止する。
「待って」
「え?」
ティアは優しく響夜の足に手を翳す。
「【ヒール】」
優しい薄緑色の光。蛍のように光の粒が舞い、小さな傷がみるみる消えていく。
ふわりと光が消える。
「凄い……」
素直に言葉が漏れ出る響夜。
足の痛みが嘘のように消え失せた。
「これでよし」
ティアは小さくふう…と、溜め息を吐く。
改めて、靴に足を通す響夜。
「……ありがとうございます」
素直に頭を下げる響夜の姿に、ティアは少しだけ表情を和らげた。
「この森は迷いやすいし、もう夜だから……。今夜はここで野宿をして、明日、私が街まで案内するわ。ついてきて」
ティアはそう言って、慣れた足取りで近くの開けた場所へ向かう。
響夜はその小さな背中を追いかけながら、得体の知れない不安と、僅かな希望を抱いて、異世界の森を歩き出した。