第1話:日常の終わりと、突然の性転換。
放課後の図書室は、紙の匂いと鉛筆の走る音、そして時折漏れる囁き声で満ちていた。
響花は参考書とノートを広げ、数列の計算問題に集中していた。
だが、隣に座る親友の瑞希は、そんな響花の集中力など気にもせず、夢中になって熱弁を振るっている。
「でさ、その主人公、チート能力でいきなし最強になっちゃうわけ! 強敵もあっさり倒しちゃうし、めちゃくちゃカッコいいし、読んでて気持ちいいんだー! しかも、周りには可愛い女の子がいっぱいでモテモテ主人公!これぞまさにハーレム!って感じ!」
瑞希は手に持った文庫本を熱っぽく語りながら、興奮気味に身振り手振りを交える。
響花は時折「へー」「ふーん」と気の抜けた相槌を打ちながらも、耳はしっかりと瑞希の話を拾っていた。
彼女の話は、まるでラジオの様なBGM。
不快ではない。
心地良い喧騒の中、響花はまた一つ、数学の問題を解き終えた。
「金城瑞希さん!図書室は静かにしてください!」
「ひっ…」
突如、声が響き、二人の肩がびくりと跳ねた。
顔を上げると、丸眼鏡をかけた図書委員が、眉間に皺を寄せて立っている。
瑞希はバツが悪そうに口を噤みつつ、小さく「すみませーん…」と謝る。
響花はくすくすと口に手を当てて微笑した。
好きな話になると、どうしても声量が上がってしまうのは、よくあること。
二人は切り替えて勉強に集中した。
* * *
図書室を出て、校舎裏の桜並木を歩く。
下校時になっても、瑞希のラノベトークは止まらない。
夕日に染まる桜の花びらが風に舞い、二人の間をひらひらと通り過ぎていく。
「ねぇ響花も読んでみなって! マジでハマるから! 私のおすすめは、やっぱ『異世界転生したら最強の魔王になりました!』とか、『追放されたらなぜか神の力を手に入れました!』とか……」
「ラノベね…。うーん……私はあまり読まないな。小説は好きだけど、そう言う系はあまり手に取らなくて」
「響花はお硬い文豪系の古めの小説が好きだもんねー。でも、新しいジャンルにも魅力はあるよ!例えばさぁ…」
瑞希はまた、熱を込めてラノベの魅力を語り始めた。
彼女のキラキラした瞳を見ていると、響花はいつものことながら少し微笑ましくなる。
家の前まで送ってくれた瑞希と別れ、響花は一人、慣れ親しんだ自宅の玄関ドアを開けた。
鍵を回す音が、酷く大きく響く。
広く、しかしシンと静まり返った薄暗い玄関に足を踏み入れる。
「……ただいま」
小さく呟いた声は、誰に届くこともなく、虚しく空気の中に溶けて消えた。
「……ま、誰もいないんだけどね」
そう、自嘲するように、もう一度ポツリと呟く。
響花は廊下を歩き、リビングの扉の前を素通りして、自分の部屋へ向かった。
疲れた体を癒すように、上着を脱ぐ。
早く着替えたい。
暗い部屋で、壁のスイッチに手を伸ばす。
カチッ_____。
スイッチが押された音と共に、周囲の景色が唐突に一変した。
数秒前まであった見慣れた廊下も、壁も、何もない。
広がるのは、見たこともない巨大な石造りの広間。
見渡しても、人の気配はない。
巨大な石柱が並び、天井は遥か高く、昼間であるはずなのに薄暗い。
まるで、長い年月を経て忘れ去られた古代遺跡の中に迷い込んだようだ。
足元はひんやりとした石畳で、時折、どこからか水の滴る音が聞こえてくる。
「なに…?これ?…ここ……どこ?」
暫く固まっていた。
全身が緊張感に包まれる。
(と…とにかく……ここにいても仕方ないよね…?で……出口に…)
警戒しながらゆっくりと歩き出した。
広間は広すぎて、どこに扉があるのかさえ見当がつかない。
不安が胸に押し寄せる中、ふと、微かな水音が聞こえた。
(あ…水の音が聞こえる!出口かな?)
音のする方へ進むと、やがて、月の光が差し込む場所に出た。
そこには、静かに水面を揺らす小さな池があった。
周囲は崩れかけた石垣で囲まれ、苔むしている。
疲労と不安で喉が渇いていたので、思わずその水面に顔を近づけた。
水面に映ったのは___
見慣れない、少年の顔だった。