第16話:怒りの顕現、深淵の瞳に宿る力。
目の前で、自分を助けようとしてくれたリゼッタが、何の躊躇もなく唐突に貫かれ、壁に叩きつけられた。
その光景が、響夜の穏やかだった表情を、一瞬にして凍てつかせた。
普段は滅多に怒ることのない響夜が、自らの『仲間』を傷つけられたことへの激しい怒りに、我を忘れる。
その瞳には、まるで深淵を覗き込むかのような、尋常ではない光が宿っていた。
響夜から放たれる圧倒的な殺気と、大地を揺るがすほどの魔力の奔流。
周囲にいる魔族がざわつく。
「ガーネス様」
「魔力。闇の力」
「ガーネス様、危険」
低級魔族の戯言が響く中、ガーネスは、その不穏な気迫に眉を顰めた。
その場にいた他の魔族たちは、恐怖に身を竦ませ、一歩も動けない。
「生意気な…。生贄の分際で私に敵意を向けるとはな……」
ガーネスの嘲るような声が響くが、響夜の耳には届いていない。
その視線の先には、血を流し、ぐったりと倒れるリゼッタの姿だけがある。
響夜は無言のまま、一歩、また一歩とガーネスに歩み寄る。
その足音が、薄暗い洞窟に重く響き渡った。
戦闘が始まる。
響夜は、片手をぶん…!と振り、衝撃波と共に黒刃の『魔法剣』を顕現させる。
周囲にいた魔族は一瞬で、その魔力の衝撃波で消滅する。
「!」
ガーネスは、予想外の事態に一瞬怯むが、自らの立場に恥じぬ『力』を見せつけた。
「小賢しい…!人間風情が!」
闇の刃を幾重にも放ち、空間をねじ曲げるような攻撃で響夜を牽制する。
響夜は、その全てを避け、いなし、時に漆黒の刀身で弾き飛ばす。
だが、ガーネスの魔力が凝縮された一撃が、響夜の肩や脇腹を深く抉る。
血が滲み、流れ出る。
しかし、響夜の表情は全く微動だにしない。
その瞳に宿る憎悪は、痛みが増す毎にますます鋭く、更なる狂気を帯びていく。
まるで、その傷さえもが、彼の怒りを燃え上がらせる薪であるかのように。
「……ッ、なんだ?! コイツ…!!」
焦燥の色が浮かぶガーネスに対し、響夜は全く感情のない瞳で、ただ一直線に突き進む。
その足取りには一切の迷いがなく、多少の傷などまるで気にしていない。
全身から溢れ出す黒刃の魔力が、周囲の空気を震わせ、洞窟全体を軋ませる。
その連撃が、ガーネスの防御をまるで紙切れのように打ち破っていく。
一太刀、また一太刀と。
その剣閃は、更なる闇を斬り裂き、一切の容赦無く、ガーネスの体に深く喰らい尽くしていく。
(ば…っ、馬鹿な?!)
「お前は…!!……一体…?!!」
予想外の圧倒的な力によって、ガーネスはなす術もなく打ちのめされ、ついにその身体が地面に強く叩きつけられた。
響夜の猛攻は止まることを知らず、最後のとどめとばかりに、全身の魔力を込めた一撃を振り下ろす。
洞窟全体が轟音と共に揺れ動き、赤黒い閃光が迸った。
塵と化すガーネス。
響夜はその様子に全く目もくれず、踵を返し、満身創痍の体で瀕死のリゼッタの元へと駆け寄ろうとした。
「ッ…?!」
だが、体が鉛のように重く、言うことをきかない。
脳裏を、以前リアーナが語っていた『精神力』を使いすぎることへの警告が過る。
そして、今まで怒りにまかせて無視していた体中のあらゆる激痛が、津波のように一気に押し寄せた。
「ッ…がはっ!」
体内のダメージも相まって、血を吐き、膝を付いてしまう響夜。
それでも、彼はリゼッタのもとへ息を切らしながら必死に、這うように向かった。
彼女の命が今にも尽きようとしているのを見た響夜は、迷うことなく自身の腕を傷付け、そこから流れ出る血を、リゼッタの口元へと運ぶ。
(吸血鬼なら…これで……!)
これは賭けだった。
注がれる大量の血液。
それを無意識ながら、ゆっくり吸い出すリゼッタ。
そして、傷口は、みるみるうちに塞がり、その顔色も急速に回復していく。
「…は…ッ…はぁ……よかっ…」
その様子を確認した響夜は、安堵と共に、プツンと糸が切れたように意識を失い、その場に倒れ込んだ。
* * *
そのすぐ後、リゼッタはゆっくりと目を開けた。
自身の状況を確認しようとするが、体内に渦巻く、力強く暖かい感覚に驚く。
明らかに今までとは違う、熱い力の息吹を感じた。
そして、ふ…と目をやると、すぐ隣で響夜が倒れていた。
リゼッタは思わず「ちょっと!…ッ、しっかりして!」と、必死に呼びかけ、その体を揺らした。
「う……揺らさないで。……気持ち悪…ッ…」
響夜の弱々しいその言葉に、リゼッタは心底安堵の溜め息を吐いた。
そして、自分の状態と、響夜が倒れている状況を見て、すぐに察する。
己の命を投げ出し、自分を助けてくれたのだと。
リゼッタは深く頭を下げ、響夜の前で跪いた。
そして、畏まった口調で、震える声でこう告げた。
「私の総ては貴方のもの。貴方に変わらぬ忠誠を誓いましょう。マイマスター」
「え…?」
響夜は、状況が飲み込めず混乱する。
「ちょ…、なに言って…」
響夜が口を開いたちょうどその時、彼を探していたティアとリアーナが、洞窟の奥から駆けつけてきた。
「キョウヤ!!」
叫ぶティア。
しかし、安堵と同時に、険しい表情に変わる。
血塗れで横たわっている響夜。
そして、その傍らに立つ魔族。
それを見て、警戒の色を顕わにする。
ティアは咄嗟に弓を構え、リゼッタに攻撃しようとするが、響夜は無理に体を起こしてリゼッタの前に立ち、掠れた声でそれを制止した。
「まっ…待て…!…ティア……ッ…」
「な…ッ?!」
明らかに疲弊しきっている響夜を見て、リゼッタが彼に危害を加えたと、勘違いしているティアには、響夜が制止する意図が判らない。
しかしリアーナは、先ほどまで感じていたガーネスの気配と、リゼッタの体の変化を瞬時に察し、冷静にその場を仕切った。
「ティア、弓を納めて。先にキョウヤを安全な場所へ。話はそれからよ」
ふらりと、また気を失う響夜。
リアーナは風魔法で補助し、即座に響夜を受け止める。
そして、警戒しながらもリゼッタに視線を向けた。
「あなたも来なさい」
唯一現場を知る者として、状況を説明させるため、リゼッタも連行する。




