第13話:穏やかな森の暮らし、束の間の平穏。
馬車は広大な『聖なる森』へと足を踏み入れた。
木々が織りなす緑のトンネルを抜け、さらに奥へと進むと、ひときわ大きく聳え立つ『古代樹』が見えてきた。
「あそこが、『古代樹』の根元よ。リアーナは普段、あそこで森の様子を見守っていることが多いわ」
ティアが指差す先、木漏れ日が降り注ぐ『古代樹』の根本に、確かに人影があった。
馬車を降り、響夜とコハクは期待と緊張の入り混じった面持ちで、その人物へと歩み寄った。
「リアーナ、今帰ったわ!」
ティアが名を告げると、『森の守護者』リアーナは、くるりとこちらを向いた。
そして、ティアの声を聞くや否や、ぱっと顔を輝かせ、まるで風のように駆け寄ってきた。
「ああ!ティア!久しぶりね! 冒険者の仕事ばっかりで、ちっとも帰らないから心配してたのよ!」
リアーナはティアをふわりと抱きしめ、頬を擦り寄せた。
その様子は、まるで長らく会えなかった娘を慈しむ母親のようでもあり、年の離れた姉が妹を溺愛しているようでもあった。
思っていた『森の守護者』の厳かなイメージとはかけ離れた、その親愛に満ちたリアーナの姿に、響夜とコハクは目を丸くした。
「す……すごく綺麗な方ですぅ…!」
コハクが目を輝かせながら、見惚れた様子で呟く。
「コハクも会うのは初めて?」
響夜が問いかけると、コハクは慌てて頷いた。
「はい! 文献とか……あと、お話には聞いたことはありました。でも、どういった方なのかは存じてませんでしたが……まさか、こんなに……」
コハクは言葉に詰まり、リアーナを見つめる。
その視線は、畏敬と驚きが入り混じっていた。
(そう言えば……瑞希が話してたな…。確か…妖精王『オベイロン』とその妻『ティターニア』の話があったっけ?なんか…立ち位置的に、そんな感じの人なのかな? リアーナさんって……)
響夜の脳裏には、またも現世の情報が過ぎった。
目の前の光景と、どこか重なるような、懐かしい響きを持つ言葉たち。
ティアとリアーナの再会を温かく見守る響夜とコハク。
リアーナはティアとの抱擁を解くと、にこやかに響夜とコハクの方へ向き直った。
「あなたが、噂のキョウヤ…ね。カインズから話は聞いているわ。会えてとても嬉しい!」
リアーナは響夜に優しい眼差しを向けた。
「それと……この森を守ってくれてありがとう。本当に助かったわ」
「いえ!そんな…。俺だけの力じゃないですから…!」
リアーナは、とても嬉しそうに微笑む。
その神々しさに、少し緊張気味の響夜。
そして、森に新たな住人が出来たことに加え、響夜の優しさと、森への配慮を感じ取り、彼の事をすぐに気に入った。
彼女はまるで響夜を歓迎するように、森の花々で出来た美しい冠を差し出した。
「そして、コハクちゃんも、遠路遥々ご苦労様。あなたも、森の友として歓迎するわ」
コハクは、顔を赤らめ恐縮しながらも、差し出された花冠を受け取った。
「さあ、みんな。疲れてるでしょう?よかったら、私の住処に寄って行って…!」
リアーナは響夜に声をかけ、優しく手を引く。
リアーナが居住している部屋は、すべて森の資材で出来ていた。
それらの光景は、響夜の想像を遥かに超えるものだった。
太い木の根がそのまま壁となり、年輪の模様が温かみを感じさせる。
所々に見える樹洞からは、色とりどりの小鳥が顔を出し、まるで客人を歓迎してくれるように、楽しげなさえずりが聞こえてくる。
切り株を囲んで腰を下ろし、響夜、ティア、コハク、そしてリアーナは、温かいハーブティーを飲みながら談笑した。
話題は自然と響夜の住居について。
予め話を聞いていたリアーナは、森の中で最も眺めの良い、日当たりの良い場所をいくつか提案してくれた。
「本当にここ、素敵な場所ですぅ。ずっとここにいたいよぉ」
コハクが、そう漏らすとリアーナは優しく微笑んだ。
「コハクちゃんも勿論、ここの住人として歓迎するわ。森の仲間たちは、新しい友達が増えて喜んでいるもの」
リアーナの優しい言葉にコハクは感激し、嬉しそうに体を弾ませた。
それを、少し離れた場所から見ていた響夜とティア。
二人は顔を見合わせ、微笑み合う。
「そう言えば、ティアも一緒にここに住んでるの?」
「そうよ。留守勝ちだから、特定の部屋は無いけどね」
「少し不便じゃない?」
「うーん……不便に感じたことはないけど…」
「じゃあ、みんなでここに住めばいいわ!そうしましょう!」
いきなり、リアーナが割って入る。
リアーナは、まるで子供のように目を輝かせる。
「ねっ!キョウヤも」
「家族が増えて嬉しいわ!」と、言わんばかりに、周りにいる小鳥たちも、楽しそうに囀り、肩に止まる。
この光景に、響夜の心はじんわりと温かくなった。
* * *
夜になり、ティアとコハクが眠りについた頃、響夜は独り、高い木の先端に設けられた小さな桟橋に腰掛け、夜風に当たっていた。
ルアールの街の喧騒とは全く違う、静かで穏やかな森の夜。
木々のざわめき、虫の声、遠くで聞こえるフクロウの鳴き声が、心地よい子守唄のように響く。
「眠れないの?」
優しく背後から声をかけられ、響夜は振り返えると、リアーナがゆっくり歩み寄ってきた。
「うん。……ちょっと」
響夜が簡潔に答えると、リアーナは隣に腰を下ろした。
二人の間に、しばしの沈黙が流れる。
「ふふ…。キョウヤ。少し暗い顔してる」
リアーナは静かにそう言った。
その瞳は、まるで森の奥深くを見つめているかのように、優しく、そして全てを見透かしているようだった。
思わず目を逸らす響夜。
リアーナは少し微笑む。
「ねえ…。よかったら少し歩かない?私のとっておきの場所に案内するわ」
リアーナは人差し指を口に当て、微笑みながら誘う。
響夜はそのままリアーナに導かれ、森の奥深くへと足を踏み入れた。
月明かりだけが頼りの暗い森の中、リアーナはまるで精霊のように、軽やかに歩いていく。
やがて、二人は開けた場所に辿り着いた。
そこは、まさに生命のエネルギーに満ち溢れた、神秘的な癒しのスポットだった。
月明かりが微かに漏れ、優しく差し込む美しい泉、色とりどりの花々が星のように咲き乱れ、小鳥たちが楽しげにさえずっている。
昼間とはまた違う、幻想的な雰囲気が広がっていた。
響夜はそのあまりの美しさに息を呑み、心身がゆっくりと癒されていくのを感じた。
リアーナは、響夜が心から安らいでいる様子を見て、嬉しそうに微笑んだ。
そして、近くの樹をそっと撫でた。
「ここはね、『マザー』の鼓動が、一番近くに感じられる場所なの」
リアーナはそう言って、木々たちの立つ場所から、まるで地面から直接生えているかのように太く、鼓動を伝える動脈のように脈打つ『マザー』の幹の一部をそっと撫でた。
「最初にあなたが訪れた大きな樹、あるでしょ?あの『古代樹』は『マザー』とも呼ばれているわ。謂わば、私の核でもあるの。この『マザー』を通して、森全体に守護の力をもたらしているわ。私の守護の力の源は、ここに住む生命達の『幸福心』で補われている」
リアーナは、穏やかな声で語り始めた。
「先の『ベイリー・スノー』討伐の話は、カインズから聞いたわ。そして、『視て』いたわ。あなたのその力……『聖魔法剣』」
その言葉に、響夜は少し驚いた表情を見せた。
「私も初めて見るけど、決して混ざり合うことがない『光』と『闇』の属性が融合している。今はまだどういった原理で働いてる力かは、私には判らないけど、私が思うに…キョウヤの『意思』や『想い』が強く反映されていると思うの」
リアーナは、響夜の目をじっと見つめながら、そう言った。
その言葉は、響夜の心の奥底に、深く響いた。
「多かれ少なかれ、魔法は使う者の『意思』や『想い』が反映されるわ。けど、あなたの場合、他の人と比べたら、それが顕著に出てると言うか……けど…」
言葉に詰まるリアーナだが、響夜は真剣な眼差して聞いている。
「極端な話、他とは使用される『精神力』の量が違う。だから、それに見合った魔力量も保持しているんだと思うわ」
無限ではないが、無限にある。
なんとも矛盾な話ではあるが、まだ魔力に関しての疲労は、全く感じたことが無い響夜には、有用な情報だった。
その上、魔法のエキスパートであるエルフ族の助言なので、より信憑性のある話だ。
「要するに……自分のMPの上限値を知る必要があるのか…」
響夜は独り言のつもりでぽつりと呟いたが、リアーナにも聞こえた。
「?…なぁに?それ?」
「はっ…!」
(ヤバい…!つい口に……。瑞希がやってたRPGゲームを思い出して…!)
「いえ…こっちの話です…。忘れて下さい……」
響夜の少し焦った顔を見て、リアーナはくすくすと笑う。
「良かった」
「え?」
「これで眠れそう?」
「あ…」
先ほど抱えていた憂いが消えていたのを感じる響夜。
「ふふふ…」
凛とした小さな笑い声が、優しくその場に溶け響いた。
新たに、響夜とコハクが加わり、『聖なる森』の住居はこれまで以上に賑やかになった。
リアーナの明るい笑顔と、森が織り成す優しい歌声は、そこにいるだけで周囲を温かく包み込むようだった。
響夜は、リアーナから森の知識や、そこに息づく動植物との触れ合い方を教わった。
木々の名前、花々の香り、そして鳥たちの心地よい会話。
リアーナが語る森の物語は、響夜にとって新鮮で、心惹かれるものばかりだった。
色鮮やかな羽根を持つ小鳥、美しい声で鳴く鳥、どこか珍しい渡り鳥まで、その種類は日に日に増えていった。
響夜は、そんな鳥たちを眺めながら、自分自身の密かな理想だった動物との共生を、この森の中でゆっくりと実現しているのを感じていた。
朝は鳥のさえずりで目覚め、昼は木漏れ日の下で読書をし、夜は皆で食卓を囲む。
そんな穏やかな日々は、かつて独りで過ごすことが多かった響夜にとって、何よりも大切で、かけがえのない時間となっていた。
しかし、この平和な日常の裏側で、まだ山脈の最下層に隠された魔族の『脅威』は、完全に取り除かれたわけではなかった。
氷雪の獣王『ベイリー・スノー』の討伐によって、一時的に静寂が訪れたに過ぎない。
彼等は、この表面的な平穏に安堵し、その奥に潜む危険には、まだ気付いていない。
この束の間の穏やかな日々が、やがて来るであろう大きな嵐の前の静けさであることを、響夜はまだ知る由もなかった。




