6.スキップ
その日、俺は授業をサボって河原で寝ころんでいた。春の暖かな陽気に誘われて、うとうととまどろむ。
「おい小僧、良いものをやろう」
突然声をかけてきたのは、時代劇で見る「ご隠居」のような姿をした爺さんだ。そして懐から何か小さなものを取り出し、目の前にかざす。それはプラスチックでできた白いスティック状の物体で、赤いボタンがひとつついている。
「これはな、人生の面倒ごとを全部スキップできるスイッチだ」
ああ、俺はいま夢を見ているんだな。そう思った俺は適当に返事をする。
「へぇー、すごいな。俺にくれよ」
「よかろう!」
爺さんは俺の上着のポケットにそれを入れた。
「くれぐれも使いすぎんようにな」
ニヤリと笑うと、爺さんの姿はスーッと消えていった。
そして、目覚めて家に帰った俺は、ポケットにあのスイッチを発見する。あれは夢じゃなかったのかと驚くと同時に、知らない爺さんに変なものを押しつけられたと気づき、嫌な気分になる。
気持ちわりーな!
さっさと捨てようと思ったそのとき、母ちゃんがいきなり部屋のドアを開けた。
「ノックしろっていつも言ってるだろ!」
俺は抗議する。何度言っても勝手に入ってくるのだ。
「親に向かってその口の利き方は何なの!?」
母ちゃんは怒った。
「それにアンタ、また授業をサボったんだって?」
どうやら学校から連絡が来たらしい。これから長い説教が始まるのかと思って、俺は小さく舌打ちした。
「来年は高校受験でしょう!?いったいどーする・・・」
はあ〜、めんどくせーな!
母ちゃんの説教は延々と続いている。そのとき俺は、あのスイッチをまだ持っていることに気づいた。爺さんの言ったことなんてもちろん信じてないが、気を紛らわせるために俺は赤いボタンを押してみる。
ピッ!
頭のなかに電子音が響いた。
「分かったわね!」
突然、母ちゃんが説教を終了して部屋を出て行った。いつもはこんな短時間で終わらないのに。俺はバカみたいに口を開けて、手元のスイッチを見た。
「おい、また学校をさぼったのか!」
夜遅く、冷たい飲み物を取りに台所に行ったら、今度は帰ってきた父ちゃんに怒られる。母ちゃんが言いつけたんだろう。
まあ分かってたけどね。
おれは部屋着のポケットを探り、手探りでボタンを押した。
ピッ!
「・・・よく考えるんだぞ!」
「分かったよ」
父ちゃんの説教が一瞬で終わったので、俺は素直にうなずいた。
なにこれ、サイコーじゃん!!
それから俺は、ことあるごとにボタンを押して面倒ごとをスキップした。
両親の説教、学校の授業、教師の叱責。学校の成績はガタ落ちだったけど、誰に怒られてもスキップできるから問題ない。その後、なんとか入れた高校を落第ギリギリで卒業し、親のコネで就職してからもスキップ生活は続く。
「おい、この書類間違いだらけだぞ!」
ピッ!
「オマエ、その態度は何だ!?」
ピッ!
「貸した金返せよ!」
ピッ!
「また浮気したのね」
ピッ!ピッ!ピッ!
俺の人生には楽しいことだけあればいいんだ。
そんなことを繰り返して数年が過ぎ、俺はまたあの河原にいる。昼寝に来たんじゃない、ここで生活しているのだ。面倒ごとをスキップし続けた俺は、会社をクビになり、友達や恋人は去り、家族にも絶縁されて、ここしか居場所がなくなってしまった。
「もう生きるのさえ面倒だな」
路上生活に疲れた俺は手元のスイッチを見た。
「そうか、もう全部スキップしちゃえばいいんだ」
俺は人生最後のボタンを押した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。