第46話 『俺の好きなモノは…』
ある日の放課後。
いつも通り部活へと向かう人達のザワザワと共に、周りでは進路の話がちらほら聞こえ始めている。
「どこに行こうかなー?」
「俺はやっぱり近くの進学校かな」
クラスメートの何気ない会話が、耳に入ってくるたびに心がざわつく。
放課後、いつものように紗良と一緒に帰っていると、ふと紗良が話し出した。
「そういえば柊斗、進路とかどうするか決めた?」
「進路なぁ……」
突然の質問に少し戸惑う。紗良の横顔を見ると、真剣な表情でこちらを見ていた。
「まだなんとなくだけど……やっぱりとりあえず近くのそれなりにいい大学に行こうかなって思ってる」
「へえ、そうなんだ。でも柊斗、何かやりたいこととかある?」
その言葉に、一瞬答えが詰まる。
「やりたいことか……正直、まだよく分かんないだよな……。ただ、いい大学に行けば選択肢が広がるっていうし、今はとりあえずそれでいいかなって」
自分の中で考えた末に出した答えなのに自分でも、なんとなく納得しきれない答えだなと思う。
紗良は少し考えるように黙った後、笑顔を見せた。
「でもさ、いい大学に行くって決めてるのもすごいと思うよ。やっぱり勉強頑張らなきゃいけないし」
「そうかな……紗良は美容の専門学校に行くんだっけ?」
「うん!そう!頑張って説得したらお父さんとお母さんも応援してくれるって!これも話を聞いてくれた柊斗のおかげだよ、ありがとう」
「はは、いいよ」
……とは言ったものの、俺はなんとも言えない気持ちになる。
「羨ましいなぁ……」
俺は思わずつぶやく。
そう、俺の心に浮かんできたのは胸張ってやりたいことを見つけてそれを貫き通すことが出来た紗良に対しての少しだけの嫉妬だ。
「そうだよ。俺にはそんな風に自分のやりたいことが見つかってないから、なんか羨ましいなって思う」
******
家に帰り、机に向かいながら考え込んでしまった。
──俺の好きなことって、何だろう……。それを仕事にするのか……?
目の前に広げたノートには、何も書き込まれていない。
紗良の言葉が頭の中をぐるぐると巡る。
美容の専門学校か……。紗良はちゃんと自分の「好き」を見つけて、それを目指してるんだよな。
一方で。
自分はどうだろうか。
いい大学に行こうというのは、親が期待しているからという理由が大きい。
でも、それは自分が本当にやりたいことではない気がする。
いい大学に入ることによって夢に近づくなら話は別だが、とりあえず自分の人生の選択を先延ばしにしているだけ。そう言い替えることも出来なくはない。
ベッドに寝転びながら、俺は天井を見上げた。
──俺が本当に好きなもの……それはやっぱりアニメだ。
胸の中にずっとあった気持ち。
やはりそうだった。俺はアニメが好きなんだ。
そう気づくと、胸の中が少しだけ軽くなった。
中学時代、周りに馴染めなくて浮いていた俺を救ってくれたのはアニメだった。
好きなキャラクターに励まされ、オタク趣味を隠すことなく堂々と楽しむことで、自分を肯定できるようになった。
「俺も誰かを救えるような、そんなアニメを作るのに関わる仕事がしたい」
ぽつりと呟いたその言葉が、自分の胸に深く響いた。
──そうだ、俺にはアニメがある。
アニメがあるから、今の俺がいる。そうは言っても過言ではないくらいに俺はアニメが好きだ。
紗良と出会えたのも、オタク趣味を大事にしたからだ。
心の中で膨らんでいく思いに、自然と笑みが浮かぶ。
******
次の日の学校では、三者面談が始まった。
先日配って各々が記入した第1志望から第3志望までが書かれた紙を元に、自分、親、先生の三人で面談を行う形式だ。
そして、その紙のないように沿った進路相談の話題が教室では飛び交っていた。
「いい大学に行けば、将来安泰だよな」
「そうそう、結局偏差値が高いところに行ったほうが安心だよ」
クラスメートの声に耳を傾けながら、自分の選択に疑問が浮かぶ。
……本当にこれでいいのか?
その瞬間、紗良のキラキラした目が脳裏に浮かんだ。
紗良なら、自分の「好き」を貫くだろうな。
そして、俺も決意した。彼女のことを思い浮かべたら俺は覚悟を決めざるを得なかった。
******
面談の順番が来た。
俺は緊張しながら母と共に先生の前に座った。
「柊斗くん、希望大学の紙、出してるけど、これでいいか?」
先生は机の上の大学の名前を指し、隣にいる母も同じように確認してくる。
何事もなく進むかのように思われた三者面談。
しかし次の瞬間、俺は自分の気持ちをはっきりと口にした。
「いや、違います。変わりました」
「「え……?」」
先生も母も、同時に「え?」と声を上げた。
驚きのシンクロ率である。
先生と母の驚いた声が教室に響いた瞬間、俺は心臓が跳ねるような感覚を覚えた。
「え? 柊斗、それってどういうこと?」
母が戸惑いながら問いかけてくる。
そりゃ当たり前だ。今までそんなこと言ったのは初めてだからだ。
いつもそれなりの偏差値の大学に行く、という希望しか出してこなかったのにいきなりアニメに関する仕事に着くための専門の学校に行く、と言い出したらそりゃびっくりする。
対する先生もペンを持ったまま止まり、目を細めてこちらを見ている。
「……俺、アニメに関わる仕事がしたいんだ」
その一言を絞り出すように言った後、胸の中が少し軽くなった気がした。
母はしばらく黙っていたが、やがてため息をつきながら椅子に深く座り直した。
「アニメって……それ、本気で言ってるの?」
「うん。本気だよ」
母の顔には、困惑と驚きが入り混じったような表情が浮かんでいた。
「だってさ、アニメなんて簡単に仕事にできるもんじゃないでしょ? それに、そもそもどうして急にそんなことを言い出すの?」
その質問に、俺は一瞬だけ言葉に詰まる。
けれど、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
俺は決めたんだ、紗良も自分の夢を貫くと決めたのであれば、俺も貫かなければ、と。
「急にじゃないよ。前からずっと好きだったんだ。中学の頃、俺はアニメに救われたんだよ」
そう言いながら、中学時代のことを思い出す。
周りから浮いて、そのときはどこにも居場所がないように感じていた俺が、アニメのキャラクターたちに励まされ、自分を肯定できるようになったあの頃のこと。
「アニメがあったから、今の俺がいる。だから、俺も誰かを救えるようなアニメを作りたいんだ」
その言葉に、母は少し目を伏せた。
「……でもね、柊斗。アニメ業界って大変だって聞くよ? ちゃんと生きていけるのか、親としては心配になるのよ」
「それは分かってる。でも、俺は本気でやりたいんだ。アニメを作る仕事が俺の夢なんだ」
自分の言葉に、自然と力が込められていくのを感じた。
母は少し黙っていたが、その時、先生が穏やかな声で口を開いた。
「柊斗くんの言いたいこと、私は分かるよ。確かにアニメ業界は簡単な世界じゃない。でも、自分の夢に向かって真っ直ぐになれる子って、なかなかいないんだ」
「先生……」
その言葉に、母が少し驚いたように顔を上げた。
母に向かって先生はこう告げる。
「お母さん、ほとんどの生徒は、『とりあえず勉強を頑張って進学校に行こう』って考えるんです。もちろん、それは悪いことじゃない。でも、柊斗くんみたいに自分の好きなことを見つけて、それに向かって努力しようとする姿勢は素晴らしいと思いますよ」
その言葉を受けて母が少し考え込むように視線を落とす。
そして、ゆっくりと彼女は顔を上げた。
「柊斗が本当にやりたいって思うなら……お母さんは応援するよ。でも、条件がある」
「条件?」
「中途半端な気持ちでやるなら、お母さんは応援できない。覚悟を持って、本気で頑張れる?」
その言葉に、俺は即座に頷いた。
「うん! 絶対に頑張る!」
母はその言葉を聞き、少し微笑んだ。
「わかった!じゃあお母さんも仕事頑張らなくっちゃ」
そういうプラスな返事を聞けたからなのか先生も続ける。
「じゃあ、具体的にどういう学校に進むか、これからしっかり考えようか。アニメ業界に進むなら、美術系や映像系の専門学校や大学もあるし、どんな道があるか一緒に探そう」
「はい! よろしくお願いします!」
面談が終わり、廊下を歩きながら母がふと口を開いた。
「まさか、柊斗がそんなにアニメの仕事をやりたいなんて思わなかったわ。驚いたけど……本当にそう思ってるなら、頑張りなさいね」
「ありがとう、お母さん。絶対に後悔させないから」
その言葉にしっかり聞いたからね?と言いながら母は微笑んだ。
母のその笑顔に、俺は心の中で決意を新たにした。
その夜、紗良にメッセージを送った。
「俺、アニメ制作に関係する仕事を目指すことにしたよ」
送信ボタンを押してしばらくすると、すぐに既読がついた。
「本当に? 柊斗すごい! 絶対応援するからね!」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。
紗良の応援がある限り、俺はどんなことでも乗り越えられる気がする。
──絶対に頑張ろう。
そう心に誓いながら、俺は新しい未来に向けての第一歩を踏み出した。




