第32話 『どっちの私がいいの』
鏡に映る自分の顔を見ながら、私はため息をついた。
いつもならバッチリ決めるギャルメイク。
でも今日はその手がどうしても動かない。アイシャドウのパレットを手に取ったけれど、蓋を開けることすら億劫だった。
「……もう、いいかな」
そのまま化粧水をつけただけのすっぴんに近い肌に、軽くリップクリームを塗るだけで済ませた。
クローゼットの中からも、いつも選ぶ派手な服には目を向けず、目に留まったのは落ち着いた色合いのスカートと白いブラウスだった。
ギャルじゃない私って、どんな感じなんだろう。
そう思いながら、制服のリボンも整え、髪もストレートに軽く整えるだけにした。
学校に向かう道中、少しずつ周囲の視線が気になり始めた。
──みんな、変に思うかな……。
でも、もうギャルでいる自分に疲れてしまった。
周りの目を気にするのはしんどい。今日はただ、このままの自分でいたかった。
教室に入ると、友達たちがすぐに気づいて駆け寄ってきた。
「──紗良!? どうしたの、いきなり!」
「え、めっちゃ清楚じゃん! どういう風の吹き回し?」
驚きと興奮が混ざった声に、私は少し居心地の悪さを感じながらも、軽く肩をすくめた。
「うーん、なんか今日はこういう気分だったんだよね」
適当に笑顔を作ってそう答えると、友達たちは意外にも好意的な反応を返してきた。
「でも、こういう紗良もめっちゃ可愛いじゃん!」
「清楚系でも全然イケるよ!」
「ずるいなぁ、紗良はなんでも似合っちゃうんだぁ……」
褒められて悪い気はしないはずなのに、どこかモヤモヤした気持ちが拭えなかった。
──みんなが褒めてくれるのは嬉しいけど……。
それ以上に気になるのは、隣の席の柊斗の反応だった。
******
「……柊斗おはよう」
意を決して声をかけると、彼はいつものように穏やかに「おはよう」と返してくれた。
だけど、私の姿を見て明らかに目を丸くしている。
「……え、紗良、どうしたんだ? なんかいつもと違うけど……」
「うーん、ちょっと今日はこういう気分ってだけ」
軽いノリで返すつもりだったけど、どこかぎこちない笑顔になってしまうのを自分でも感じた。
柊斗はしばらく私をじっと見ていたけど、すぐにいつもの柔らかい表情に戻る。
「……そっか。でもさ……なんか無理してない?」
その言葉に、胸がズキッと痛んだ。
無理……?
どうだろう。自分でも分からなくなってしまっている。
ギャルでいることに無理しているのか。本当はギャルでいたいけど無理して今清楚な自分でいるのか。
「無理なんてしてないよ。たまにはこういうのもアリかなって思っただけ」
「うん、そうならいいけど……」
彼の疑問混じりの声が、私の中の不安をさらに刺激する。
学校にいる間、周りの友達たちからは相変わらず「今日の紗良、なんか新鮮でいいね!」とか「めっちゃ可愛いじゃん!」と褒められ続けた。
でも、柊斗の「どうしたんだ?」という言葉が頭から離れなかった。
彼は、いつも私を受け入れてくれるはずなのに、今日は少し違う気がした。
まるで、この姿の私を心配しているみたいだった。
どうしてだろう……。
ギャルでいる自分に疲れて、こうして清楚な装いを選んだはずなのに、柊斗の反応に私は不安を感じてしまう。
******
放課後、教室を出ようとしたとき、柊斗がそっと声をかけてきた。
「紗良、今日ちょっと話せる?」
「え?」
驚いて振り向くと、彼は少し困ったような表情をしていた。
「なんか、今日の紗良……ちょっといつもと違う感じがしてさ。気になってたんだ」
彼の真剣な声に、私は何も言えなくなってしまった。
「本当に何もないなら、それでいいんだけど……」
彼は続けようとしたけど、私は慌てて笑顔を作った。
「大丈夫だって! 今日はほんとに気分転換みたいなものだから!」
「……そっか」
「柊斗をびっくりさせてあげよっかなぁ!って思って。明日からはいつも通りのウチで行くからねぇ〜」
彼の返事はどこか腑に落ちない感じだった。
それでも、これ以上深く突っ込まれるのが怖くて、私はその場を笑って誤魔化すしかなかった。
そして私のそれはどこからどう見ても空元気だった。
帰り道、ひとりになった私は胸の中に重くのしかかる感情を抱えたまま、歩き続けていた。
──結局、私はどうすればいいんだろう。
ギャルでいる自分にも、清楚系になった自分にも、どちらにも自信が持てない。
そしてなによりも、柊斗が本当はどんな私を、どのようにして見てくれているのか、それを知るのが怖かった。




