指先から伝わる熱。
外回り中に雪が降ってきて、たまたま入った純喫茶。
ギャルソンエプロンをした黒縁メガネの店長さん。とても寡黙な人で、なんなら会計の時まで存在を認識していなかったくらいだった。
────少し歳上かな?
「三百円のお返しです。ありがとうございました」
スラリと伸びた指。
ちょっと太めの関節。
爪がしっかりと手入れされていた。
美しいと思った。
その指先が手のひらに触れ、小銭をそっと乗せてくれた。
────あ。
一瞬の出来事で、永遠のときめき。
私は、恋をした。
求人広告の会社に入って五年も経つと、部下を引き連れて外回りの挨拶や営業もするようになる。
でも、ここには必ず一人で来ると決めている。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
会話は挨拶だけ。
コーヒーとランチを注文して、少しだけ仕事の纏めをして、窓の外に舞う桜を眺める。
一目惚れをしたあの日から、いつの間にか四季を巡り、更に冬を過ぎて春になった。
この店に来るのは月に数回くらいだから、認識されていないんだと思う。でも、それくらいでいい。
「百五十円のお返しです。ありがとうございました」
「ありがとうございます」
そっと触れる指先を感じて、微笑む。
わずかな触れ合いだけで、充分に幸せを得られるから。
春の終わりの嵐のような雨の日。
パタパタと店内に駆け込む。
予報では雨なんて言ってなかったから、傘を持ってなかった。
カバンの中からハンカチを取り出そうとしていたら、店長さんがタオルを差し出してきた。
「……どうぞ」
「え、あ。ありがとうございます」
「いえ」
お礼を言った瞬間、バチリと目が合った。
黒縁メガネの奥にある薄茶色の瞳。
少しだけ長めの前髪で見えにくいけれど、睫毛がとっても長かった。
ふわりと触れる指先。
タオルの温かさなのか、彼の指の温かさなのか。分からないけれど、心臓が破裂しそうなほどに鼓動を早めた。
七月半ばの燦々とした陽射しの中を歩き、いつもの目的地へ。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
「どうぞ」
いつもの席に座ると、アイスコーヒーを出された。
「え?」
頼んでないのに出されたアイスコーヒーをじっと見詰めていると、「サービス……今日は暑いから。これも」と言って、スッと手を差し出された。
その下に手のひらを開いた。
スラリとした指が柔らかく触れ、乗せられたのは、塩飴。
「塩、飴?」
「っ! 熱中症対策に……祖母がくれたんで」
サッと立ち去ってしまった店長さんの背中にありがとうと声をかけた。
彼の耳が、少しだけ赤いような気がした。
会計の際に、もう一度ありがとうと伝えると、ふわりと微笑まれた。
お釣りの度に一瞬だけ触れる指先。
今日は少しだけ長く触れていたような気がした。
そんな素敵なことがあった翌日、あまりの暑さに会社が外回りをせず電話で済ませていいと言い出した。
八月に入り、久しぶりに外回りした。
日差しは殺人的だけれど、私の足取りは軽い。だって、半月以上も喫茶店に行けていなかったから。
ドアを開けて店内に入ると彼と視線が合った。
黒縁メガネの奥で、目が大きく見開かれているような気がした。
「いらっしゃい……ませ」
「こんにちは」
「お久しぶりです」
外回りがなく、来るのが久しぶりになったと説明すると、店長さんが少しだけホッとしたような表情になった気がした。
気のせいかもしれない。でも、そう思いたかった。
私が来ないことを寂しいと思ってくれていたら、嬉しいから。私はずっと寂しかったから。店長さんに逢いたいと思っていたから。
「そうだったんだ…………あ、どうぞ」
「ありがとうございます!」
店長さんがまた塩飴をくれた。
手のひらに触れる指先。
いますぐこの手をキュッと閉じて彼の手を握れたら。そう思うけれど、出来なかった。
私は彼のことをほとんど知らない。
左手にも右手にも指輪がないのは、ずっと前に確認していた。だけど、飲食店だから付けていないだけなのかもしれない。
もっと近づきたい。
もっと知りたい。
「あのっ────」
指先から伝わる熱に浮かされて、なにを口走ったのか。ほとんど覚えていないけれど、彼の顔は真っ赤だった。
彼の指先を握ってしまっている私の顔も、きっと真っ赤だろう。
── fin ──
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