第13話 それは天敵のアイドル 1
「へーい、音響30秒後いくよー!」
「スタンバイOKです!」
「リフト合図あったら行くぞ! そこちょろちょろすんな!」
「すんません!!!」
目の前で、様々な人たちが右往左往。モニターに向かう人、リフトの前で昇降する合図を待つ者、大きな荷物を運んでいく者。それぞれの役割を任された人たちが、ある種の怒号を口から響かせながら、一つのことを成功させようとしていた。
「う~、緊張するぅ! それじゃ、行ってくるから☆」
「お、おう。楽しんでこいよ」
「ええ!」
「本番3秒前! 3、2、1――」
『さあみんな、最高にアガッてるかい!?』
『ドォォォォォォっ』
『最初はこの曲でテンション上げてくよーっ! ”スマイル”ーっ!』
『ウォォォォォォ!!!!』
「リフトあげろーっ!」
「音響、照明会わせろよー!」
「よし、GOGOGOGO!!!」
きっかり30秒後、俺がさっきまで話していた華やかな衣装を身にまとった少女がリフトで上にあるステージへと上がっていった。その瞬間、さっきまでのよりもひときわ大きい歓声がドッと沸き起こる。まるで地響きのような、爆発のような声。それが彼女の人気の高さをよく表している。
「では、舞台袖にどうぞ」
「私もみたいですし、行きましょ、おにい」
「えぇ……」
曲が始まって盛り上がる会場、ミスがないようにと冷え切る現場。こっちに来る職員、ノリノリでヤバいことを言う妹。困惑する俺。どんどんと飛躍していく話を頭で処理なくなった俺の脳は、最終的にこうつぶやいた。
「どうしてこうなった」
と。
〇 〇 〇
6月、梅雨。朝から降り続いてる飴を吐き出している暗くて分厚い雲のおかげで教室の外は暗かった。いつもなら差し込んでくる太陽の光がない分、教室の天井から降り注ぐLEDの光がやけに眩しかった。
そんな、どこか憂鬱な空気の仲、俺の席の目の前には、LEDよりも眩しい少女が一人。
「頼むよ、現代文の教科書と辞書貸してっ!」
「近い」
「ああ、ごめんごめん」
演出で出るキラキラって感じの成分をナチュラルに出す少女、名は星ひかり。高校生でありながら、本業は売れっ子のアイドルである。発声がいいから歌が上手く、たまに朝のニュースを見るとオリコンで名を見るレベル。それでいて地頭もいいもんだから、日曜日のニュース番組でコメンテーターだったり、ロケに行ったり。クイズ番組にも出ている。
ただ、私生活はというと……一言で表すなら、ポンコツ。今日も授業で使う教科書を忘れてきたようだ。
「ってか、最初から持ってくる気あんのか……? 今月始まったばかりなのに2回目だぞ」
「いや~、ハハハ。ほら、福岡のライブの荷物に教科書かさばるじゃん。だから嫌だった☆」
「堂々と大声で嫌って言っていいのかそれ」
「いいの。だってそれが星ひかりっていう人物だもの」
うーん、この。こういうところは神経が図太いんだから。カメラがある前だとキリっとしてて可愛いながらもしっかりしているって感じのイメージをしているのに。ここに隠しカメラがあったら、それをテレビ局に匿名で送ってやりたい。やんないけど。あと本当に顔が近い。なんか周囲の女子から変な目で見られているし、周囲の男子からは羨望と嫉妬のまなざしを向けられているし。本当に勘弁願いたい。話してて楽しいから話すのはいいが。
「あー、もう、わかった。貸すから。次の時間こっちが授業だから返しにこいよ」
「オッケー。あとジャージも貸してくんない? 次の次の時間で使うんだ」
「それは女子に借りろ!」
「え~。じゃあ生徒会長に借りよっと」
油断も隙もあったもんじゃない。核爆弾レベルの爆撃投下をしてきた彼女に慌てて教科書を与えて追い出してひと段落取ろうとする……が。
彼女に代わり、俺の席にクラスメイトの男衆が襲撃してきた。
「おい太田! なんですぐ帰しちまったんだよ!」
「お前のところになんか借りに来るときしか生で星ひかりを拝めないんだから、俺たちのことを考えてもっと引き留めろよ!」
「つーかお前だけ羨ましいぞ! なんでそんな星ひかりと話せるんだよ! 一回でいいからくたばれ! んでその立場変われ!」
「「「そーだそーだ!!!」」」
これを見ればわかるだろうが、星ひかりは生徒たちからも大人気。スタイルはいいし、可愛いし、話しやすいし、明るい。誰もに好かれるまさにアイドルの鏡。
しかし、それと同時に人気すぎて自分から話しかけ辛い。下手に話しかけてはいけない、話しかけてきたときはどう答えたらいいかわからない。芸能人だから下手に身体に触れない。そんな高嶺の花のような存在。
なぜか俺は好かれているのかどうかはわからないが、よく話しかけられるし真っ先に借りものをしに来る。そして、毎度毎度こういうことになる。
……あいつ、もしかしたら俺の天敵かもしれん。
〇 〇 〇
その日の夕方、俺は氷雨と共に下校をしていた。いつもは別々で帰っているのだが、今日に限って氷雨は傘を忘れてきたようで、昼頃に生徒会室に現れて「貸して」と泣きついてきた。貸したら俺がずぶ濡れになるため、生徒会の仕事を終わらすまで待たせて合流したというわけだ。
「さーて、今日の夜飯はどうすっかなー」
「冷蔵庫になんかあったかなぁ」
「んじゃ駅前スーパーでなんか買うか。あったらあったで明日作ればいいだろ」
学校前の長くて少し急な坂を降りて、駅の改札に続く大通りを歩いていく。朝から降り注いだ雨のせいで、道路は若干だが冠水してしまっている。マンホールはすごい音立ててるし、地面の水たまりも大きい。昼頃がピークだった雨もまだまだ降っているから、傘をささなかったらひどいことになっていただろう。
道路側を俺が歩き、氷雨が歩道側を歩く。俺よりも少し歩幅の小さい氷雨に合わせてゆっくり歩いていると、後ろから白い光が。そして、次の瞬間……
バッシャアアアア!!!
「つめたっ!?」
「おっと」
なんと、すぐ横の車線を白い車が通過。その車が冠水しかけている道路を通ってまき散らした水が俺の右半身をクリーンヒット。それに対して、道路側を歩いていた氷雨は俺を堤防代わりにして、流れ込んできた水流をジャンプして躱し無傷だった。
これだから運動能力がいい奴はっ!
「マジで今日厄日かもしれんわ……」
「おにい大丈夫?」
「妹よ……兄ちゃんメンタルがぽっきり折れたわ」
「これだけで!?」
冗談のようで割とマジなことをつぶやくと、俺に水を浴びせやがった車が少し行ったところで急停止。別に信号とかでもあるわけでもないし、どうかしたんだろうか。
「お~い、太田ーっ!」
「ゲッ」
「ごめーん、大丈夫そうー!」
「あれは……確か星ひかりさん? おにい知り合いなの?」
車のドアがばたんと開いて出てきたのは、うちの学校の制服を身にまとった星ひかり。雨の中でも変わらずキラキラ成分配合の彼女は、傘をさしてこっちに向かってくる。つまり、こいつが乗って
いる車にやられたのか。
マジでこいつ、俺の天敵なんじゃなかろうか。
「ごめんねー、マネが運転してたんだけど、横見たら巻き上げられた水が太田たちにぶしゃーってなってるの見て」
「気を付けてくれよ……俺だからよかったが、一般人だと致命傷だぞ」
「ええ、言っておくわ……っていうかほんとにびしょ濡れじゃない! ちょっと待ってて」
マンガのように腰までびしょ濡れになった俺の姿を見た星ひかりが慌てて車に帰っていく。タオルでも貸してくれるんだろうか。そう思って待っていると……彼女が帰っていった車がバックして、俺たちの横にぴったりと止まった。そして、もう一度水が少しこっちに来てさらにローファーが逝った。気を付けろって行ってから30秒しか経ってないんですけど。
「どうしたのかな?」
「わからん」
やっぱタオルを貸してくれるためにバックしてきたのかと思った刹那、歩道側のドアがバカっと開き、助手席からは星ひかりが姿を現した。
「さ、乗って!」
「はぁ!?」
「さすがにそのままびしょ濡れで帰すわけにもいかないし、そのままだと風邪ひくっしょ? だからうちのところの事務所でシャワー浴びてって! その間に服とかも乾かすから」
「何いってんの!?」
なんと、彼女は俺に事務所でシャワーを浴びていけという。流石にそこまでしてもらうわけにもいかないし、そんなところに一般人が入り込んでいいわけもないし。全力で「いやいやいや」とやると、あっちも「いやいやいや」といった反応を見せる。ただでさえここまでの天敵っぷりなのに、ついていったら何があるかわかったもんじゃないし。そんなある種の牽制を数分していると、後ろから急にドンと誰かに押された。
「ちょ、氷雨!?」
「えーい鬱陶しい! せっかくですから借りていきましょうって。ほら乗った乗った」
「ちょっ、おい!」
「はーやーく! 私もめちゃくちゃ待たされて身体冷えてきたからお借りしたいし!」
いや、お前は直撃避けてるんだから別にいいだろ。
「そちらの方もいいわよ。ほら、太田早く、こんなに長く路肩駐車してると警察に目を付けられるから!」
「あーもう、しゃあないなぁ!」
確かにそろそろ警察に目を付けられてもおかしくない。ただでさえ学校近くだから巡回の頻度も多いだろうし。そう考えた俺は、二人からの猛烈な早くしろの圧に屈して車に乗り込むのだった。