人ではない
「なあ、知ってるか? 女っていうのがいるらしいぞ」
マックスはそういって汗をぬぐう
「女? なんだよそれ」
とりあえず聞き返してみる。
あたりにはつるはしが岩を叩く音が響き渡っている。なかなか心地のいい音だ。今いる坑道の奥では、太陽がやっとこさ届き、少しだけ中を照らしてくれる。
「知らねえのかよ、おっくれてんなあ、昨日ゼラさんが話してたの聞いてないのかよ」
マックスの言い方があまりにも俺を馬鹿にしたものだったので腹が立ち、マックスの水を勝手にとって飲んでやった。
「あ、飲みやがった」
そういったマックスが俺の水を取ろうとしてきたので、素早く水を手に持ち「この前飲ましてやった分だ」といってやったら黙った。どうやらマックスの方は忘れていたらしい。
「お、ミルも女を知る歳かあ」
カワ爺がそう言って笑いかけてきた。そういいながら手は止めていない。掘るといっても、ある程度技術が必要なのだ。別の事をしながら掘るのは意外と難しい。
「カワ爺は知ってんのか、女」俺が聞くと「もちろん」と答えた。
カワ爺はもともと鉱山の外の住人であり、そのため一番ものを知っている。俺もマックスもカワ爺がいなければもっとバカだったに違いない。
マックスがキラキラした目でカワ爺を見つめている。つるはしを操りながら起用な奴だ。自分はまだどちらか片方しかできない。マックスよりも力は強いが、どうも要領を得なかった。
カワ爺はマックスの目線に気づいたらしい。今日の仕事が終われば女について教えてもらうことになった。
仕事が終わった。使ったつるはしやヘルメットを直し、今日の収穫を鉱山の麓に運ぶ。そこに鉱石を置くための小屋があった。
降りるときは気分がいい。当たり前だが閉じ切った坑道の中よりも明るいし、草の匂いがどことなく気分を高揚させる。ずっと石やら砂を相手にしていると、それらに生えている植物がどうも神々しく見える。
小石が鉱山から転がってきた、ここ一年くらいずっとだ。カワ爺もさすがに外で鉱山の知識は学ばなかったらしい、聞いても首を横に振るだけだった。そんなこと思い出しながら、小屋に入る。
かなりボロい。木でできた小屋で、釘とかで適当に留めた程度の出来なのに結構持っている。そろそろ建て替えてもらってもいいんじゃないだろうか。確か俺がここに来た時くらいに建て替えたんだから、えっと...10年くらいか?
今日はダガ鉱石が多く取れた。カワ爺によるとダガ鉱石はマナを吸収する性質を持ち、吸収するたびに少しずつ青色から赤色に変わるらしい。まあマナを持たない俺やマックスには関係ないので、ずっと赤い。
俺が帰ってくるなり、「で、女って何なんだよ」とマックスが訊いた。
その顔を見ながら、坑道の中の土の匂いに顔をしかめる。ノイローゼとか言う奴だろうか。しかしつるはしの音は好きなのだから、単純に生理学的に無理なのかも知れない。
カワ爺は異常なほど蓄えた真っ白なひげを撫で、話し始めた。
「お前たちの周りには男しかいないから女を知らないのは無理もない。でもそもそも人間という種族は男と女の二種類がいるんだ、ただ男性の方が力が強い場合が多いから、鉱石を掘るといったような重労働には我々男がするんだ」
「でもこの前魔法が使えるから外じゃあ力はあんま関係ないって言ってたよ」
俺の言葉を聞いたカワ爺はニッコリと笑って答えた。
「よく気づいたね。でも魔法の使えない女もいるわけだよ、そういう人は細かいことをするんだ。例えば俺たちの服、三日に一回洗われるだろ、あれは女の人がしてるんだよ。他にも飯を作ってくれているのも女の人だし、僕たちがとった鉱石を加工もしているんだよ。僕たちは仕事が忙しくて、すぐ寝るから会ったことないんだけどね」
「ほへー」我ながらよくわからない言葉がでた。このガルジアン鉱山で大体十五年過ごしているのに、自分と同じ種族でありながら見たことのないものがあるということか、世界は広い。
そういえば、小屋に鉱物を送るために山を下るが、緑が広がっていた。もしかすると、ただここに縛られているだけで、世界はもっと広いのかもしれない。
いつもの鐘の音で目が覚める。今日の朝食当番はレイさんだ。でもまあ、朝早く起きて飯を並べるだけなのだが。とはいえ四十人分の飯を並べるのは結構面倒だ。人数にしては小さな机を見ながら、そんなことを思った。今日は質素に、パン一枚だ。まあ毎日質素だが。
レイさんはカワ爺よりも歳は下だが、働いている年数だけでいえばレイさんのほうが長い。尊敬の念を込めて、仕事仲間からはリーダーと呼ばれている。
つるはしを手に取ったところで、マックスが話しかけてきた。移動しながら話すことにする。
「おい、俺昨日カワ爺から話聞いて女ってやつ見るためにずっと起きてたんだよ」
そういって得意そうにつるはしを振り回す。危うくつるはしにぶつかりそうになり、のけぞって躱した。その後思いっきりチョップをお見舞いしてやる。マックスは頭を優しくなでる。
「で、女ってのはどんなんだったんだ?」
「なんだよ、結局ミルも気になってんじゃねえかよ」
マックスはニヤニヤしている。またつるはしを振り回し始めそうだ。つるはしを持っていない左手をくるくると回している。硬い皮膚がちぎれて豆が出来ていた。
「いいから話せよ」
図星をつかれてしまったことを悟られたくなかったため、食い気味に返事してしまった。マックスはニヤニヤとしている。
「しょうがないなあ、特別だぜ? 女ってのはなあ、球体が胸のとこにくっついてんだよ」
「球体がねえ」
話している間に今日の持ち場についた。一旦話を中断し、今日の仕事の準備をする。
そしてノルマを確認し、どの程度の力で働くのかを決めた。手を抜くのは大切だ。毎日つるはしをブンブン振り回していれば、いつか関節に無理が来る。リーダーの教えだ。
「で、他には」
「なんかやわらけぇ感じがする」
「ふーん。で?」
「そんだけだよ、まず同じ種族なんだから差があんまねぇのは当たり前だろが」
マックスは少しイラついた様子だ。
「まあそれもそうか」
その後、しばらくもくもくとつるはしを振るっていた。カーン、カーンという甲高い音に癒される。あとはこの土の匂いさえなければ素晴らしい職場だと思うのだが。カワ爺いわく、結構優遇されている職場だそうなので文句は言わないが、人間とは上を見続けるものである。
一旦手を止め、掘ったダガ鉱石を台車に乗せる。
台車には今にもこぼれおちそうなくらいの鉱石が乗っていた。少しバランスを崩したせいでいくつかのダガ鉱石が落ちる。かがんで拾い上げた。腰が痛い。腰に手をあてて伸びをする。
「マックス、鉱石運ぶからお前の勝手に乗せるぞ」
「ん」
しっかりと入るように向きを調節した後、マックスの分も入れた。
「じゃあ俺鉱石運んできますね」
ミルが言った。
「はーいお願い」
リーダーが答える。野太い声だ、まさしくリーダー。
ガルジアン鉱山は鉱石を掘るために木はすべて伐採されたので、結構下りやすい。とはいえ雑草が生い茂っていて緑にあふれており、背の高い草を急斜面を台車を持ちながら下るのはかなり骨が折れた。そろそろ雑草の伐採の日がくる。一年に一度来るボーナスデーだ。全員この日を楽しみにしている。あと5日だったか? 早くこないだろうか。
小屋についた。いつのまにか蔦がまとわりついている。気にせずに扉を開けた。まあ伐採の日でとるんだからいいだろう。
突然耳をつんざくような轟音があたりに響いた。なにがおきたのかは分からなかったが、直感でみんなが危ないと思った。
すぐに小屋を出て鉱山の方を見る。山は雑草が生い茂り、緑に染まっていたはずが、茶色の地面がむき出しになっている。何が起きたのかは一瞬で理解できた。
「崩れた」
すぐに山を登ろうとしたが、上から大量の岩石が雨のように降り注いできた。今上るのは自殺に等しい。頭が真っ白になった。数秒の逡巡のあと、近くの村に助けを求めることにした。
今までいったことはないのだが、人間にそこまで悪い奴はいない。少なくとも鉱山のみんなはいい奴だった。
カワ爺によると川に沿っていけば村があるらしい。ジャタ村というそうだ。
早朝のため、まだ日があまりででいなかった。森の中が薄暗い。獣の声があたりに響いていたが、そこまで気にしているわけにはいかなかった。
さっさと抜けたかったが木の根に足をとられ、転んだ。立ち上がろうと手をついたが、はずみで虫をつぶしてしまった。体液のねっとりとした、生命そのものの気持ち悪さを感じ、少し動きを止めた。しかしすぐに動き出す。
森の奥に光が見えた。文字通り希望の光だ。足があちらこちら切れていて痛かったが、なんとか森を抜けた。そこには川が流れていた。日の光が反射し、まぶしい。川の底まで見通せ、小さな魚と、うねうねとした、長細い虫が目に映った。
「やった!」思わす声が出てしまった。あたりを見回す。ジャタ村の姿は見えなかった。
カワ爺との会話を思い出す。確か川と同じ方向に進めば村にぶち当たったはずだ。川の流れを確認し、体を左に向け、下流の方へ走り出す。
どのくらい走っただろうか、もう日がかなり上っている。途中何度引き返そうと思ったかわからない。だがここまで来たのに戻っては時間の無駄遣いではないかと思い、ここまで来た。
話し声が聞こえる。どうやらジャタ村はもうそこのようだ。鉱山で鍛えたおかげか、まったく息が上がらなかった。
木でできた柵をむりやりよじ登り、中に入る。村には人がいなかった。木でできた小さな小屋が並んでいる。カワ爺の言っていた家とかいうやつか?
「おーい、誰かいないんですかー」村の中心と思われる場所に移動し、叫んだ。大きな鐘が備え付けられていたので、勝手にならす。
少しすると、やっと男が出てきた。
「おいおい、なんだよこんな朝っぱらから。っておい! お前その額のバツ印、非人だな。ガルジアン鉱山から来たんだろうがいいか、そこ動くんじゃないぞ」
非人? 初めて聞いた言葉だ。それに俺の額にバツ印なんてない。前に一度光を反射する鉱石が出た時にみんなで自分の顔を見たのだ。自分でいうのもなんだが、みんなの中では平均以上の顔だった。
「そんな話してる場合じゃねえ、ガルジアン鉱山が崩れて岩とかが降ってきて大変なんだよ。誰か助けに来てくれ」
「そんなこといって、嘘かもしんねぇだだろ。お前が奴隷から解放されたくて逃げてきたんじゃねえのか」
「奴隷? 何の話をしている。俺たちの仕事は比較的楽な方だ。ってそんな話をしてる場合じゃねえんだよ」
そうこうしているうちに周りに人が集まってきた。たしかに胸のあたりに球体をつけたやつがいる。おそらく女だろう。ミルの頭の中にマックスが楽しそうに話している様子が浮かんだ。あいつはまだいきているんだろうか。いや、生きている。生きていてほしい。
「こんなところで手間取ってる場合じゃないんです! 今すぐみんなが無事かどうか助けたいんですよ!」
必死の訴えもむなしく、周りからの反応はなかった。それどころかこんなやつら死んだほうが世の中のためになるとか、バカみたいなことを抜かす奴もいた。
このままじゃ埒が明かない。そう考えてガルジアン鉱山に引き返すことにした。人が輪になって囲んでいたが、近づくと全員離れていった。まるで悪い菌を保有しているかのように扱われた。心が痛めたが好都合と考え、外に出ようとした時に声をかけられた。
「おい! お前どこ行くんだ」
声のした方を見る。金属でできた服を着た男だった。これは鎧ってやつか?
「なんだ、手伝ってくれんのか?」
「いいや違う。俺には防衛騎士として不全者を見張る役目があるんだ、お前はここから動くな」
「ンなこと言ってる場合じゃねえんだよ、俺は今すぐみんなのことを確認しにいかねえと」
ミルはそういって村の出口にむかって走ろうとした。
が、鎧の男が俺の服を掴んだため、もんどり打って倒れてしまった。
「はなせよ、俺はみんなのとこに行かなきゃなんねえんだよ」そういってもがくが、鎧の男は俺の上に乗ってきた。
なんとか抜け出そうと体をばたつかせたが、鎧の男は全く動じず、それどころか俺の体の拘束を一層強めた。背中に乗られたせいで体が圧迫され、息ができない。
「おい、はなせ! はなせよ!」
芋虫のように体をもぞもぞするが、やはり意味がなかった。息が荒くなり、口の中に入った砂の食感が気持ち悪かった。
首をねじり、背中に乗った男の方を見る。男は太い棒を構えていた。こん棒というのだろうか? とにかく太い棒を振り下ろす態勢になっていた。
「ちょっ、ちょっとま」
男が俺の後頭部を例の棒で殴った。鈍い痛みが広がり、どんどん意識が薄れていく。
マックスの顔がなぜか思い浮かんだ。調子が良くて流されやすいけど、基本的にはいいやつだった。そしていつも優しくて何でも知っていたカワ爺.
あれ? カワ爺の言ってたことっておかしくないか? 俺たちは非人って呼ばれてることをなんで外の世界にいたカワ爺は教えてくれなかったんだ?
しかし、それについて考える前にミルは気を失った。
ダンバスタ・エランガリはある一枚の書面を前に、途方に暮れていた。
その書面の内容を簡単に要約すると、最近話題のマナ・ボマーと呼ばれる防衛騎士団員連続殺人犯をどんな手を使ってでも捕まえろ! とのことだ。
マナ・ボマーというのはマナを爆破する魔法を使えるらしい。そもそもマナとは森羅万象すべてに宿るものである。そのマナを爆破できるのだ、無敵と言っていいだろう。まあなにか条件があるのだろうが。例えばクールタイムだとか、使用の際になにか消費するとか。
ダンバスタは正義感の強い男だった。男に生まれたなら必ず防衛騎士になるエランガリ家においても、その正義感は異彩を放っていた。
「そろそろ寝たらどうだ」
父親であり、防衛騎士団団長であるカンベラ・エランガリが話しかけてきた。もうそろそろ還暦だと言われているのに、若々しく、よくとおる声を持っていた。しかし最近はベッドで寝込んでばかりだ。母が献身的に支えているが、よくなっては悪くなるを繰り返している。
「いえ、まだマナ・ボマーの対処方法が思いついていませんので」
「そんな寝不足で考えてもいい案はうかばない。思いっきり寝て力を蓄えることも社会を守ることにつながるのだよ」
カンベラのアドバイスに納得したダンバスタは、寝ることにした。自分の部屋に戻る。基本的には必要のないものはおかない主義なので、服だとか本だとかしかない。
ベッドに横になりながら、マナ・ボマーの対処方法を考えていた。カンベラのアドバイスは頭に入っていたが、これは習性のようなものだった。ベッドにうつ伏せになり、白い壁を見つめながら考える。すこし染みがあった。
しかしどう考えても対処方法が見つからない。万物にマナが宿るかぎり、奴に正面から戦って勝つことはできない。認識阻害系統の魔法でで意表をついて一発でしとめるというのが最善だろう。
だが事はそう単純ではない。これがマナ・ボマーが捕まらない最大の理由なのだが、上からは生きたまま捕まえろとのことだ。最近噂の革命軍の一員らしい。
今のところ殺されているのは防衛騎士団員のみとのことなので、そう考えるのは自然なことだろう。だからといって生かしたまま、というのも無理な話だ。いくら情報が集まらないからと言って、ここまでする必要はないと思うが。防衛騎士を無駄に死なせているだけじゃないのか?
だがこんなことはおくびにも出すことはできない。
そんなことを考えているうちに、気がつけば眠っていた。
目が覚めた。
今日は非番なのだが、マナ・ボマーのせいでひどい状況だ。町では防衛騎士の能力に対して懐疑的な見方が広まっている。勝手に自警団を作って勝手に犯罪者に挑み、勝手に死んで国に対して防衛騎士が無能だから死んだとか言い出すバカもいた。とにかく一刻も早く捕まえなければ。
何か手伝うことがないか同僚に聞こうと考え、団員服に着替えた時に、父の部屋に来るよう、召使から言われた。言われた通りに父の部屋に入る。年代物の酒が大量に置かれていた。小さなころは父も若く、よく酒を飲みながら遊んでくれた。酒がなければ無口で、なにを考えているのかわかりづらいところがあったので、酒を飲むところを見るのが毎日楽しみだった。
カンベラは酒をもうしばらく飲んでいない。最近体調を崩しがちとは言え、酒を残念そうに眺めるカンベラの姿は、彼に失望に似たなにかを与えた。
「すまないダンバスタ、少し体調を崩したようだ。今日のアタラル監獄の視察、エランガリ家の代表として代わりに行ってくれないか? その旨を綴った書面を用意しておいたから、それも持って行ってくれ」
「私などでよければ、行きましょう」ダンバスタはそういって、書面を受け取った。
「よお新入り、アタラル監獄へようこそ。ってお前非人か? 俺初めてみたよ」
連れていかれた牢屋に待っていたのは、ひげをはやした不衛生な男だった。体中傷だらけで、生傷が驚くほどあった。あまりに見るに堪えなかったので、すぐに目をそらした。
それにしても...
ミルは周辺を見渡す。石に囲まれた牢屋だ。格子は鉄でできている。窓は小さく、片手でふさげそうなほどだ。どことなく湿気を感じる。坑道でも石には囲まれていたのだが、あちらはからっとしているのに対し、じめじめとした陰鬱さを感じさせる。
隅にはカビが生え、キノコが生えているところもあった。触ろうとすると不衛生な男が、「触るなよ。俺育ててんだから」といった。触らないでほっておく。
「俺はマナコチ・ランドラっていうもんだ。こうみえて革命軍の幹部だったんだぜ」
男が話しかけてきた。はっきりいって話すような気分ではなかったので、黙っていることにした。小さな虫がうじゃうじゃいたのも原因だろう。
それにしてもこのマナコチという男はしゃべらないと死ぬのだろうか。俺が反応しないのはわかっているはずなのに、ずっと話をしてくる。しかも話の題が全部面白くなさそうだ。
「おい、マナコチお待ちかねの時間だ」
気づけば目の前に全身を武器で覆いつくした男がいた。あまりの多さに、服すら見えない。武器人間と呼ぶことにした。
「わりぃな、俺ちょっと行くわ」
そういってマナコチは笑った。牢屋の鍵が開けられた。もう一人、同じように武器に囲まれた人間がミルを見張っていた。逃げるってのは不可能だろう。
ミルはため息をついた。
次にマナコチを見た時、彼は右腕を失っていた。肩の少し下のあたりで切られている。切られた所で焼かれており血は止まっていたが、やはり痛々しかった。
「いやー今日は一段と激しかったね、あいつらもたまってんのかな」
そういってマナコチは笑う。くちゃっとした笑顔は、愛嬌を感じさせた。
ここまでされて、顔色一つ変えないマナコチという男に興味がわいた。もしかしたらコイツならみんなを助ける方法を知っているかもしれない。なぜかそんな気持ちになった。
「なあ、マナコチさん。アラズビト? ってなにかわかるか?」
とりあえずずっと気になっていたことを訊いた。
「ああお前知らねえのか、非人っちゅうのはマナを持たない人間のことだ。マナってのは神様からの頂きもん、森羅万象に宿るもの、そんな大切なものを持っていないのは人じゃねぇ! そういう考えから名づけられたんだ。てかお前、非人だろ」
マナコチに今まであったことをすべて話した。なぜかこの男は信用できる気がした。
そして、マナコチから様々なことを聞いた。鉱山での労働環境はものすごく悪いこと、俺たちはずっと普通より圧倒的に安い賃金で働いており、奴隷と変わらない事をしった。
全てを知ったとき、ミルにはずっと間違ったことを教え続けたカワ爺への怒りがあった。
「そういやなんで俺の額にバツ印があるはずなのに、鉱山にいたときには見えなかったんだ?」
「それはバツ印に仕掛けがあるんだよ。おおかた所定の場所から出た場合、印がうかびあがるってとこだな」
「なるほどね。ようやくわかった。でももう一つわからないことがある、なんでカワ爺は嘘をついたんだ?」
ミルはカワ爺のことが許せなかった。ずっと信じていたのに、噓をつかれていたことが悲しくてたまらなかった。
しかし、マナコチは予想外のことをいった。
「それはお前、優しさだろ」
「優しさ? どこがだ。本当の事を言わないのが優しさというのが、その革命軍とやらの信念なのか?」
「ならお前はその鉱山で本当のことを知って幸せだったのか? 俺はそうは思わない。例えばそうだな、バカ舌と神舌ってのがある。バカ舌は味がわからねぇから、どんなまじぃ物でもうめぇって食っちまう。神舌は味のわかる奴だ。食った料理に何が入ってるのか、どんな調理法か一発で分かる。お前、どっちが幸せだと思う?」
「そんなの神舌に決まってるだろ」
マナコチは手でバツを作った。右手はないので正確には手と腕だ。
「そうじゃねえ、バカ舌に決まってんだよ」
あまりに馬鹿にした言い方だったので、少し腹が立った。
「じゃあなんでだよ」
そう訊くとマナコチは嬉しそうな顔をした。それを言いたかったらしい。
「神舌ってのはなぁ、わかってるだけなんだよ。何が使われてるかわかる、なんで美味しいかわかる、それだけだ。マズイもんはマズイ。だがバカ舌はバカだ。マズイもんもうめぇって思っちまう。それを見た奴は普通笑う、コイツ味わかってねぇってな。だがよ、マズイもんをうめぇって感じてる奴の方が人生楽しいはずなんだよ。お前の件も同じだ、全て知って働くより、自分は恵まれた環境にいるって考えた方が幸福だろ? 社会の歯車がなんだってんだ、結構なことしゃねえか。幸せなんだからよ」
マナコチの意見を聞いて、ミルは感動した。筋が通っているし、一種の思想の到達点だと感じた。
「だとすれば、なんでマナコチさんはここにいるんだ? 社会の歯車でいいなら革命なんて起こさないでいいじゃないか」
そう訊くとマナコチは笑った。ミルの少ない人生経験の中で、もっともカッコいい笑顔だった。
「俺は知っちまった。神舌だったんだ。知っちまったら、やらなきゃなんねぇ」そういってミルを見つめた。先程のカッコいい笑顔は消え、本気の目をしている。
「神舌がバカ舌でいられる世界を作るんだよ」
その時、アタラル監獄が揺れた。
地響きの音、人の悲鳴、破裂音などがごっちゃになったものがミルの耳を貫いた。思わずうずくまる。
マナコチの方を見る。マナコチはこんなことには慣れっこなのだろう。冷静に檻から周りを見渡している。
「どうやら仲間が助けに来たらしい」マナコチがいった。
「革命軍か」ミルの言葉にマナコチが頷く。
しばらくすると音がなくなり、辺りは先程までが冗談だったかのように静寂に包まれた。
「どうやら失敗したらしい」マナコチがいった。
しかし全く動じていなかった。失敗すると最初から思っていたのだろう。
しばらくすると大男がこちらに来た。今まで見たことのない顔だった。新入りだろうか。
「マナコチだな、先程お前の仲間達がやられたぞ」大男が話しかけてきた。
「最近の奴は人と話す時の礼儀を知らねえのか? 普通自分が何者かってとこからだろが」
「ダンバスタ・エランガリだ。父の代役で視察に来て、最後にお前の牢を見て帰る予定だったが、襲撃のせいで遅れてしまった」
「へえそうかい」
「無駄話は置いといて、本題に入らせてもらう。先程捕まえたお前の仲間だが、まだ生かしてある。マナ・ボマーの情報を吐くならばこのまま逃そう」
「お断りだ」
「お前は仲間が死ぬことが悲しくないのか」
「悲しいさ、だがここに来たってことは死ぬ覚悟で来てるんだ。捕まった時点で死ぬことは覚悟してるだろうさ」
しかしそういったマナコチの目は怒りに燃えていた。
大男は諦めたらしい。マナコチから目を逸らしたところで、ミルと目があった。
「非人か…神に叛くゴミが」
ダンバスタがそう言ったところで、何かに気づいたようだ。大声で看守を呼び、ミルを牢屋の外に出した。
「お前、革命軍か?」
ダンバスタが訊いてきた。
「さあどうだろうね」
「よし、いいだろう」
ダンバスタはそういって、看守にミルを外に出す許可をもらった。
何が何だかわからず、ミルはダンバスタについていく。マナコチの仲間の仇についていく状況を恥じたが、それしかできなかった。結局、俺には度胸がないのだ。
監獄の外は昼だった。久々の日光である。あまりの眩しさにミルは目を細める。見たこともない大きな建物が立ち並んでいる。赤色やベージュなど、明るい色のレンガでできていて、道は大きな石を削り、はめ込むようにしてできていた。
「で、俺はなんで出されたんだ」
ミルが訊いた。
「黙ってついて来い」
「ほぼ初対面の人に対してその言い方はないんじゃないか」
「残念ながらお前は人じゃない」
納得出来なかったが、反論する余地のない回答だった。まあいい。コイツよりはマナコチの方が俺は好きだ。どこかで裏切っちまえばいい。んでもって、マナコチを助ける。我ながら完璧だ。
黙ってついて行った先は、大きな城だった。今までの建物は赤系統の色のレンガで出来ていたが、純白一色の城は幻想的で、どこかの別世界から来ているかのようだった。
「ダンバスタさん、おかえりなさい」
見れば女が門のところにいた。特徴はなんといってもその身長だろう。ダンバスタでさえ俺よりデカいのに、そのダンバスタを少し超えている。
「ヂャブヂャ、マナ・ボマーの対策を持ってきた」
ヂャブヂャと呼ばれた女は、ミルの方を見て、驚いた。
「確かに非人なら相性抜群ですが、防衛騎士団の基地に非人を入れるというのは…」
「それもそうだな」
ダンバスタはそう言って、ミルに近づいてきた。
「格納魔法」ダンバスタがそういうと、空間に穴があいた。
ダンバスタはそこに手を突っ込み、釘を取り出したかと思うと、いきなりミルの左手に刺した。
「いてええええええ」ミルは叫んだ。
血が滴り、足元の道路が赤く染まる。
「それは抜けない。魔法の力で釘を強化しているから、トンカチに頼らなくても打てるし、どうやっても曲がらない」
ダンバスタはそういうと、また穴に手を突っ込んだ。
ミルは身構えた。が、次は危害を加えられなかった。
紙と時計と呼ばれる物を渡してきた。時計の存在は知っていたが、初めてみた。鉱山では日の光で判断していたからだ。
「6時までにここに来い、それまでは自由だ。釘には探知魔法をかけてあるから、逃げようとしても無駄だ」
そう言ってダンバスタはミルに背を向けた。
ミルはその辺をぶらついていたが、非人というのはよほど階級が下らしい。売られている奴隷ですら暴言を吐いてきた。それよりも自分のことを考えろよ。
その辺を見ているだけでも嫌がられるので、街の外に出ることにした。よほど遠くまで行かなければ帰れるだろう。
「非人だ〜やっつけろ〜」
そう言って子供達が飛び蹴りをお見舞いしてきた。反撃してもいいが、ダンバスタが怖いので何もせずにいると、全く知らない女が近寄ってきた。
「わあマズイ! 魔女だ! 魔女がくるぞ!」
リーダー格のずんぐりとした奴がそういうと、まるでそうしなければ死ぬかのように走り去って行った。この時、道がいつの間にか舗装されていない事に気づいた。
「あの、大丈夫ですか」
女が話しかけてきた。大きく、赤い丸メガネがくりくりとした大きな目に似合っている。柔らかい雰囲気と、落ち着いたベージュ色のワンピースが優しそうな雰囲気を醸し出していた。
「まあ大丈夫だ。基本的に体は丈夫だし」
そう答えたところで、女の右肩の辺りの服が不自然に膨らんでいることに気づいた。
どうやらミルが見つめたことに気づいたらしい。少し女が恥ずかしそうにした後、服を肩までまくった。
そこにあったのはなんらかの虫の蛹だった。
「は?」
思わず口に出ていた。女は耳まで真っ赤にして恥ずかしがり、俯いている。
「あの、多分ですけど虫に興味ありますよね? せっかくですし私の研究室に来ませんか、お茶でも出しますよ」
少し興味が湧いた。虫というよりはこの女にだが。まだ6時まで時間はあるし、お邪魔させてもらうことにした。
「名前は?」
「セクト・ランデヴーです。セクトって呼んでください。あなたは?」
そういえばマナコチには言いそびれたし、ダンバスタは名前すら聞いてこなかったな。
「ミル・ドネストレインだ」
セクトの家に着いた。もともと町の離れにいたのが、さらに遠くなった。時計で時間を確認する。
ここに着くまでに、ミルは今の状況を話していた。セクトはまるで自分のことかのように受け止めてくれ、ミルに優しい言葉をかけてくれた。
セクトの部屋は案の定虫でいっぱいだった。正直メチャクチャ気持ち悪いが、お邪魔させてもらっているのだ、文句は言えない。
「そういえばセクトは俺を差別しないんだな」
「差別? なんで私がミルさんを差別しないといけないんですか?」
そういって首をかしげる。本気でそう思っている顔だった。
「いやだってほら、俺非人だし…」
そういうとセクトは一つの虫籠を持ってきた。中にはお世辞にも肯定的な意見を持てない外見の虫がいた。
「この虫は調理虫っていいます」
「はあ」
何故差別の話から、虫の話になるのかわからないが、最後まで聞くことにする。
「何故調理虫と呼ばれるかというと、マナを使って他の虫を焼いて食べるんです。焼くだけなのですが、調理虫なんていう大げさな名前をつけられています。そしてこの虫、飛ぶ速さだとか、狩りの仕方に特徴があるわけではありません。ただマナの保有量が他の種に比べて、圧倒的に多いのです」
「なるほど」
「ミルさんは魔法やマナについて、全く知らないとのことなので、ザックリですが説明します。よく魔法というのは崖に橋を作るような物と言われます。その理由は相手がマナを多く持てば持つほど、魔法をかける難易度が跳ね上がるわけです。そこに橋を作るには自分も同じ高さから作るしかない。つまり自分よりもマナの保有量が多い者には、基本的には魔法は効かないんです。調理虫はマナの保有量が他の虫より圧倒的に多いので、簡単に橋をかけられる。つまり食べたい虫を中から発火させるわけです」
「わかりやすい説明ですね」ミルがそういうと、「そ、そうですかね」と分かりやすく照れた。かわいい。
「話を戻します。そんな調理虫ですが、ごく稀にマナを持たない個体が存在します。仮に生虫と呼びましょうか。マナに依存した調理虫の生態では、生きていくことは不可能でしょう。それに調理虫は研究で焼かれた虫しか食べられないことが分かっています。ですが生虫は他の調理虫と同じように生きていけます。何故だと思いますか」
「他の調理虫のとったものを横取りするとか?」ミルが答えるとセクトは首を横に振った。
「違います。正解は他の調理虫が食料を分けてくれるんですよ。これは私の持論なんですが、虫って人より馬鹿じゃないですか。でもその分賢いのかなって、人はいろんなことを考えます。仕事がどうとか、家族がどうとか。でもそれって生きることには関係していません、快適に暮らすためだけのもの。虫は全部の行動が生きることに直結しています、だからこの調理虫の行動から学ぶべきは」
ここで切り、セクトはミルをみた。
「マナがないからって差別するのは違うということです」
セクトの話を聞き終わり、質問がないか聞かれたので、考えた。
「そういえばマナの橋の例え、分かりやすかったけど橋である意味あるの?」
「ありますよ」
「どんな」
「マナは崖、魔法は橋、もし崖がなかったら橋をかけられると思いますか?」
加筆修正しました。