表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/45

9.悪魔のささやきに負けました

 神官様に通されたのは、神殿らしい優美な一室だった。磨かれた床、真っ白な壁紙。高い天井には美しい女神と天使の絵画が描かれている。並べられた調度類は華美ではない上品なデザインで統一されていて、落ち着いた大人の空間っていう印象。



「こちらがジャンヌ殿のお部屋です。如何です? 中々に良い部屋でしょう?」



 神官様はそう言ってどや顔を浮かべる。



(腹立つわぁ)



 そう思うものの、彼の後ろにはこの部屋を準備したであろう侍女達が並んでいる。彼女達は期待と不安の入り混じった眼差しでわたしを見つめていて。残念ながら、そんな状態で「否!」と言うだけの胆力はわたしにはない。



「はい。とても良い部屋だと思います」



 答えれば、侍女達がぱっと瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑み合う。次いで神官様が満足気に笑った。



「あのね、この部屋、あたしの部屋の隣なんだよ!」



 そう口にしたのはマリアだった。繋いだ手に力を込め、彼女はニコニコと笑う。



「良かったですね、マリア様。これでいつでもジャンヌ殿のところに行けますね」


「うん!」



 神官様とマリアが顔を見合わせる。わたしは思わず「ちょっと待って」と口を挟んだ。



「どうされました?」


「なんだか長く滞在するのが前提のような口ぶりですけど、わたし、遅くとも夜には家に帰りますからね?」


「ええ!?」



 叫んだのはマリアだった。悲し気に眉を寄せ、わたしのことを見上げている。



「そんなぁ……セドリックが『ジャンヌさんはあたしと一緒に神殿に住んでくれる』って約束してくれたのに」


「はぁ!?」



 この男、勝手になんてことを約束しているんだ! 相手は子どもだぞ。約束は『約束』で、無慈悲に破られることなんてなくて。裏切られるなんて想像もしない生き物だというのに。



「ジャンヌ殿……」



 泣き出してしまったマリアを前に、神官様が何とも言えない表情でわたしを見遣る。いやいや、悪いのはわたしじゃないし。そんなこちらの良心に訴えかけるような表情をする前に、言うことがあるでしょう?



「ジャンヌさんがここに居てくれないなら、あたしも帰る。ジャンヌさんと一緒にお家に帰る」


「マリア様! それは……!」



 神官様が悲痛な声を上げる。侍女達も困惑を隠せていない。わたしは小さくため息を吐いた。



「勝手に事を進めるから、こういうことになるんですよ」



 言いながら『いい気味だ』と思うあたり、わたしも大分性格が歪んでいる。とはいえ、あれだけ迷惑を掛けられてきたんだもの。少しぐらい――――いや、うんと困れば良いと思う。



「そんなこと言って! 正直に言ってもジャンヌ殿は付いてきてくださらないでしょう?」


「そりゃあそうですよ。だけど、そうと分かっていてマリアに出来ない約束をしたのは貴方でしょう?」



 さすがの神官様も返す言葉が見つからないのだろう。悔し気な表情でぐっと口を噤んだ。



「マリア様、どうか泣かないでください」



 ふと見れば、わたしの隣で泣きじゃくるマリアを、侍女達が必死に慰めていた。彼女達はマリアの背中や頭を撫で、抱き締め、優しく慈悲深い表情を浮かべている。


 マリアもマリアだ。


 わたしなんか居なくても、こうして皆に可愛がってもらえているんじゃない。

 わたしはあの子が泣いたって、慰めてやらないし抱き締めてもやらない。『さっさと泣き止め!』って怒るし、ため息だって漏らす。


 こんな女のことなんて、さっさと忘れてしまえば良いのに――――そう思っている筈なのに、何故だか無性に目頭が熱い。


 面倒だって。良い迷惑だって思っているのに。



「三食昼寝付き、専用の侍女が付きます」



 背後から神官様がボソリと呟く。



「掃除や洗濯、面倒な家事は一切しないで良くなります。お召し物も、今より良いものをご準備します。他にも、ジャンヌ殿のご要望に出来る限りお応えしますよ」



 神に仕えるものが発しているとは思えない悪魔のささやき。『それなら』と言いたくなるような理由を並べ立てられ、心が大きく揺れ動く。



「せめてマリア様が正式に聖女に就任するまでの二か月間、ここで過ごしていただけませんか? どうしてもと仰るなら、マリア様にバレないよう、時々こっそりと家に帰っても良いです。私も最大限にサポートさせていただきますから」


「――――二か月間だけですからね」



 ここまで言われちゃ、さすがのわたしも折れざるを得ない。至れり尽くせりだし、断る理由が無いから受け入れたってだけで、別にマリアのために滞在を決めたわけじゃない。

 わたしは神官様と取引をしただけ。それ以上でも以下でもないんだから。



「良いの?」



 泣きながらも、マリアはわたし達の会話を聞いていたらしい。ゆっくりとこちらを見上げながら、不安そうに首を傾げる。



「良い訳じゃない。けど、楽させてくれるっていうし、仕方ないもん」



 何故だか顔を見られたくなくて、ふいとそっぽを向けば、マリアはわたしにギュッと抱き付く。スカートに涙がじわっと染み込んで、くしゃくしゃって強く握られて。染みになるし皺になるなぁなんて思いながらため息を漏らせば、神官様がニコリと笑う。



「だから、その顔止めてよ」



 この男、何度同じことを言わせる気なんだろう? そんなことを思いつつ、わたしは唇を尖らせる。


 こういう時、手のやり場に困ってしまう。気を付けをしようにも、腰にはマリアの手が回っているから、どうやったって干渉してしまうし。

 仕方なく――――仕方なく頭を撫でてやる。ぶっきら棒で、全然優しくない手付き。さっきの侍女達とは全然違う。

 それでもマリアは、とても嬉しそうに微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ