【番外編②】セドリックの話をします(後編)〜Side サイリック〜
「今から十二年前、現在の王太子殿下がお生まれになりました。それまで王城で何不自由なく暮らしていたセドリックは、政争を避けるために神殿につれてこられたんです」
侍女たちに用意してもらったお茶を飲みながら、ボクはジャンヌ殿に語りかける。彼女は真剣な表情で話に聞き入っていた。
「なにせアイツは顔がとんでもなくいいし、とても優秀でしたからね。国民からの人気を集めるにはウッテツケの人材です。あのまま城で暮らし続けていたら『セドリックを王太子に』なんてことを言い出す貴族が間違いなくいたでしょう。後見人として名乗り出て、政治を裏から操りたい――そういう野心を抱いた人間は多いですから」
「ああ……なるほど。やっぱりどこの世界も似たようなことが起こるんですね」
ジャンヌ殿はそう言って深々とため息をつく。
「というと、前世でもそういうことがあったんですか?」
「え? まあ、わたしが生まれるずっと前の話ですけどね……」
気まずそうに視線をそらしつつ、ジャンヌ殿は「続けてください」と口にした。
「当時のセドリックは、それはそれは美しい少年でした。この世のものとは思えないほど整った顔立ちに神秘的な雰囲気――今とは違って無口でしたからね――神殿に天使が舞い降りたと、それはそれは評判になって。彼が参拝者たちの前に立つようになったときは、長蛇の列がたえなかったものです」
「あぁ……まあ、そうでしょうね」
「いやいや、本当にすごかったんですよ。当時はまだまだ神官の数が少なくて――というか、今みたいに美形で揃えていませんでしたからね。王都に激震が走ったものです」
あのときはひと目セドリックを拝もうと、国中から人々が押し寄せていた。神殿には夜中のうちからセドリック待ちの列ができていたし、出待ちをする人間も多い。過激な崇拝者なんかもいて、結構危ない状況だった。
「そんなわけで、護衛騎士だけでは心もとないという話になり、魔術師として働いていた父に警備要員として声がかかりましてね。ボクもよく父にくっついて神殿に行っていたんです」
「なるほど……そうだったんですね」
ジャンヌ殿は感心した様子で瞳を輝かせる。ボクはふふっと口元を和らげた。
「同い年ですからね。せっかくだし仲良くしたい……そう思って、ボクはガツガツとセドリックに絡みにいったんです。だけど、なにを話しかけてもセドリックはいつもつまらなそうにしていて。相槌すらうってくれないから、ボクの話を聞いているのかすらわからない状態だったんです。そうすると余計に構いたくなって、ウザがられて……最初の頃はその繰り返しでした。まあそれは、ボクに対してだけじゃなく、他の神官や父に対しても同じだったんですが」
「そんな……お客さんに対してそういう態度だったってのは聞いてましたけど、他の人――ましてやサイリック様に対してもそんな感じだったとは……」
「信じられないでしょう? だけど、本当にそうだったんですよ。当時のあいつはこの世のすべてを恨んでいるというか、どうでもいいと思っていたみたいです。だから、ボクのことは鬱陶しかったでしょうし、面倒くさいと思っていたんでしょうね。まあ、くだらない馬鹿話しかしてませんでしたし。……けれど、何年かそうしているうちに、少しずつ返事をしてくれるようになったんです。段々と笑顔も見せてくれるようになりましたし。最近ではむしろ、ニコニコした顔しか見なくなりましたけど」
仏頂面をしたセドリックなんてここ数年拝んでいない。参拝者たちの前では相変わらず塩対応をしているようだけど、子供の頃の数百倍はマシになった。別人じゃないかと訝しむ人間もかなりいたほどだし。
「それは……なにかキッカケがあったんですか?」
ボクは目を細めつつ、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、なにも。おそらくセドリックは――諦めることを覚えたんだと思います」
「諦める?」
ジャンヌ殿が息を呑む。うなずきつつ、ボクはそっと窓のほうを向いた。
「ええ。嘆いていても自分の置かれている状況は変わらない。周りの人間も助けてくれるわけではないのだから、自分自身が変わったほうが――己を偽ったほうが楽だ――そういうことだったんだと思います」
ニコニコと笑っていれば余計なことは詮索されない。相手との会話が面倒ならば、必要なことだけを自分から先に伝えてしまえばいい。なんなら不必要な情報を積極的に開示すれば、相手はスッと引いていく。
今のセドリックは人当たりがいいようにみえて、必要以上に他人を寄せ付けない。軽薄かつ飄々としているように見えて、心の奥底でいろんなことを考えている。底抜けな明るさは、あいつが抱えている心の闇の裏返しだとボクは思っていた。
「なんというか……サイリック様の言いたいこと、わかります」
「でしょうね。ジャンヌ殿はあいつによく似ていると思います。だからこそ、セドリックはあなたを放っておけなかったのでしょう」
不器用で強がりな、弱い人。本当は傷ついて苦しんでいるのに、誰かに縋ることも、上手に泣くこともできずにいる。
セドリックはジャンヌ殿の本心を引き出すことで、自分自身と――悲しくて寂しかった自分と向き合っていたのだと思う。
「ジャンヌ殿、ボクはね、セドリックの笑顔を見るたびになんともいえない複雑な気持ちになっていたんです。本当は笑いたくないのに、あいつが無理をして笑っているのを知っていましたからね。だけど、ジャンヌ殿に出会ってからのセドリックは本当に楽しそうで……よかったなぁと思います。残念ながら、ボクはセドリックになにもしてやれませんでしたから」
言いながら、柄にもなく目頭が熱くなってくる。
ボクにはセドリックの心を解放してやることができなかった。彼が苦しんでいると知っていたのに、助けてやることができなかった。
「違いますよ」
「え?」
ジャンヌ殿は力強く微笑みながら、こちらをじっと見つめている。ボクは思わず目を丸くした。
「セドリックはサイリック様によく似てますもの。きっとセドリックは……サイリック様がいたから自分の心を守る方法を見つけられたんだと思います」
思わぬことに息をのめば、ジャンヌ殿はそっと目を細めた。
「だって、サイリック様はいつも笑っていらっしゃるでしょう? わたしね、以前セドリックに言われたんです。『笑っていたら、大抵のことは解決できる。怒りにまみれた時、逃げたくなってしまった時にこそ、表向きは笑顔で、裏で歯を食いしばって踏ん張るんだ』って。それはきっと、サイリック様から学んだことだと思うんです」
「セドリックがそんなことを……」
「誰にも気にかけてもらえず、本心を誤魔化す術すら覚えていなかったら、彼は今頃壊れていたかもしれません。サイリック様がセドリックに声をかけ続けたから……笑ってくださったから、セドリックは救われたんです。ですから、なにもしてやれなかっただなんて思わないで。セドリックもわたしと同じ気持ちだと思います。……まあ、セドリックはそんなことは言わないでしょうけど。あの人は言わないで良いことばかり口にして、大切なことは隠しているタイプですから」
「アハハッ……そうですね。ジャンヌ殿が言うと、なんだか説得力があります」
あいつは本当にそういう人間だ。いつもいつも本心を隠してばかり。きっとこちらが指摘をしたら、おどけた顔をして話を逸らしてしまうだろう。
だけど、それでいい。それがあいつの心を守っているのだろうから。
「一体何の話をしているんですか?」
と、セドリックが戻って来る。ジャンヌ殿は一瞬だけ慌てつつ「内緒です!」と言って満面の笑みを浮かべた。
「え〜〜? 内緒にされると気になります。一体私のどんな悪口を言っていたんですか?」
「悪口を言われていたってわかっているなら、詳細までは聞かなくていいんじゃありませんか? というか、心当たりはいろいろとあるでしょう?」
「そんなことありませんよ。こんなに素晴らしい人間をつかまえといて――」
(……うん、いい笑顔だ)
セドリックはきっと、もう大丈夫。ずっとずっと求めていたあいつの笑顔が――本心がこうしてちゃんと見えるから。
「幸せになれよ、セドリック」
こっそりそうつぶやきながら、ボクはそっと目を細めた。