40.それから聖女
セドリックの懇願。
わたしとマリアと家族になりたい――――それはセドリックの心からの願いだろう。
城を追われ、家族からも見放されたように感じていた彼が『家族がほしい』と思えるようになった――――わたしはそのことがとても嬉しい。
(だけど、本当にわたしで良いんだろうか?)
正直自信があるわけではない。
けれど、セドリックは頑なだったわたしの心を変えてくれた。心が変われば運命が変わるなんて格言があるぐらいだもの。これからわたしは、きっともっと変わっていける。セドリックと一緒に現在を積み重ねていけば、今よりもっと幸せになれるに違いない。
しばらく逡巡してから、わたしはとても小さく頷いた。
けれど、それだけでセドリックには十分伝わったらしい。彼はわたしのことを抱き上げ、それから嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「ちょっ! こんなところで何してるんですか⁉」
「スミマセン……嬉しすぎて、自分を抑えられないんです」
「いやいや、抑えてよ! わたしのことを思うなら、ちゃんと抑えましょうよ!」
幸い、集まった人々からわたしたちの姿は見えないけれど、他の神官たちがこっちを見ている。その上『またあの二人か』的な視線を送られると、なんともいえない気持ちになるから止めてほしい。
「お母さん! セドリック!」
その時、マリアがこっちに駆け寄ってきた。
桜みたいなピンクの花を集めた小さなブーケを手に持ち、ニコニコととても嬉しそうに。
セドリックはわたしを地面に降ろして、マリアの方に向き直る。
「セドリック! お母さんへのプロポーズ、ちゃんと成功したの? あたしたち、家族になれるの?」
「……えっ?」
もしかしてマリアは、セドリックがプロポーズをすることを知っていたの?
知っていてわたしには黙っていたの?
呆然とするわたしを尻目に、セドリックは大きく頷いた。
「ええ、マリア様! 今しがたジャンヌにオーケーをいただいたところです。
ですから私とマリア様は、これから家族になれるのですよ!」
「本当⁉ やったーーーー! セドリックがお父さん! マリアのお父さん! 嬉しい! すっごく嬉しい!」
狂喜乱舞するマリアを、セドリックがふわりと上に抱き上げた。
周囲の人々が困ったように――――けれど、とても嬉しそうに微笑む。
さっきまで完璧な――――清らかな聖女の顔をしていたはずのマリアが、今ではすっかり普通の六歳の女の子の顔をしているからだ。
(うん――――悪くない)
わたしたちが家族になることで、ほんの少しの間でも、マリアが聖女ではなく普通の女の子で居られる時間を作れるなら心から嬉しい。あの子が甘えられる人は一人でも多いほうが良いし。なによりわたし自身、マリアとセドリックと三人で一緒にいるのが好きだもん。
「あっ、そうだ! あのね、この間話していたダンスを頑張ったご褒美なんだけどね、就任式の後におねだりしようって決めてたんだ!」
「ああ……」
そういえば、わたしの父が神殿に来たときに、勿体つけてそんなことを言っていたっけ。
「そうでしたか! どうぞ、なんなりとお申し付けください」
セドリックがマリアをそっと床に下ろす。
マリアはセドリックとわたしを交互に見ながら、はにかむように笑った。
「あたしね、弟か妹がほしいの!」
「「――――え?」」
驚きに目を見開いて、わたしたちは思わず顔を見合わせる。
子供というのは本当に恐ろしい生き物だ。なんの躊躇いもなく、そんな恥ずかしいことを言ってのけるんだもの。
わたしもセドリックも赤面し、互いにチラチラと視線を交わし――――それから、こらえきれずに吹き出した。
「そうですか。マリア様は弟か妹がほしいのですか」
そう口にしたセドリックは、なんだかとても嬉しそうだ。普段の澄ました表情でも、意地悪いときの笑みでもない。目の端に涙を浮かべて、彼はマリアを優しく撫でる。
「うん、ほしい! すっごくほしい!
あたしね、セドリックが就任式の後でお母さんにプロポーズするって聞いたから、絶対にその後でお願いしようって決めてたの! だって、お母さんはすごい意地っ張りでしょう? プロポーズよりも先にお願いしちゃったら『セドリックが結婚を決めたのはマリアのためだ』って思っちゃうもん」
「マリア……⁉ いや、そうかもしれないけど……!」
我が娘ながら、母親の性格をよく理解していらっしゃる。恥ずかしさのあまり、わたしは顔が真っ赤になった。
「セドリックはお母さんのことが大好きだもんね!」
「はい! 心から愛しています! だからこそ結婚をしたいと思ったのです」
「も、もう良いから! 二人共、その辺にして!」
なんという羞恥プレイ。娘にまでイジられてるし。穴があったら入りたい気分だ。それなのに、セドリックは容赦なかった。
「マリア様たってのお願いですから――――叶えて差し上げなければなりませんね」
思わせぶりなセリフに身体がほんのりと熱くなる。どこか楽しげなセドリックの笑みに腹が立った。
「悪いけど、わたしは頷かないわよ。だってそういう性格だもん」
「――――ジャンヌ?」
そんなふうに首を傾げて見られても絶対に頷かないから。
お願いだから察してほしい――――っていうか、分かるでしょ⁉
「楽しみだなぁ〜〜! 早く抱っこしたいなぁ! 撫で撫でしてあげたいなぁ! お母さんがあたしにしてくれたみたいに、いっぱいいっぱい可愛がるんだ」
マリアは満面の笑みを浮かべつつ、未来への期待に胸を膨らませている。
(あーーあ。ホント、この先どんなふうに成長するか、楽しみでたまらないなぁ)
わたしには分かる。
もしも弟か妹ができたら、マリアは今以上に素敵な女の子になるだろう。
お姉ちゃんになったマリアを見てみたい――――捻くれ者のわたしがそんなことを思えるようになったのだから、セドリックには本当に感謝しなければならない。
「絶対、幸せにします」
セドリックはそう言って、わたしの額に口づけた。
マリアを間に挟んで、わたし達は互いを抱きしめ合う。
「――――もう、十分幸せだよ」
それは、散々こじらせまくったわたしの、とても素直な気持ち。
マリアが居るから。
セドリックが居るから。
三人で居るから。
わたしは今、とても幸せだ。
だけど、言葉にするのはやっぱり恥ずかしくて――――呟くようにそう口にしたら、二人はとても嬉しそうに笑ったのだった。