4.胸焼けがします。ご飯を抜こうと思います。
神官は興奮した面持ちで、我が家をうろうろと物色し始めた。
「早く神殿に帰ってください。マリアがお腹を空かせて待ってるんでしょう?」
「……分かっております。分かっておりますが、知的好奇心には抗い難い」
瞳を輝かせるその様は、幼いマリアよりも余程子どものようだ。真面目なようで不真面目な男。非情なわたしでも、マリアが可哀そうになって来た。ため息を吐きつつ、家の中を物色する男を睨みつける。
「神官様――――」
「セドリックです」
ニコリと、男は爽やかな笑みを浮かべる。爽やか――――いや、よく見たら太陽みたいに暑苦しい笑みだ。顔が良いから分かりづらいけど、案外ねちっこい印象を受ける。例えるならば、某熱血テニスプレーヤーみたいな。陰キャでやる気のないわたしとは相容れないタイプだ。
(ホント面倒だな。どうせ今日限りのお付き合いなのに)
名前を覚えたところで意味がない。聞かなかったことにして、わたしはふいと顔を背けた。
「女性の家を物色するのは、褒められた趣味ではありませんね」
っていうか、本当は今すぐ止めろと言いたい。イケメンだから許されてるだけだぞ? 下手すりゃ通報案件だからね。一応、目の保養になってるからギブアンドテイク的な心で受け入れているだけで。
「自覚はあります。だけど、この家には見たことがないものが沢山ありますから。この顔に免じて許してください」
「……自覚があるなら今すぐ止めてください」
この野郎、確信犯かい! つくづく腹の立つ男だ。
(神官って俗世から離れた人間の集まりじゃないの?)
前世でいう江戸時代位までのお坊さん――――所謂世捨て人みたいに思っていたけど、この神官は如何にも俗物的というか。わたしの思う神官像の真逆を行ってる。だってこの人、神様とか信じて無さそうだもん。物欲半端ないし。
「まあまあジャンヌ殿。これはマリア様のためでもあるのです」
「は? マリアの?」
んなわきゃあるかい!
ツッコミを入れようとしたわたしを、神官がそっと遮った。
「ええ。昨晩、神殿に到着したマリア様は、カルチャーショックというか……色んなことに驚いていらっしゃいました。『お風呂にシャワーがない』と仰ったり、『飲み物が冷たくない』と仰ったり、我々の常識とは少々違う所で生きていらっしゃったご様子。ですから、私はマリア様を理解するために、この家のことを知るべきだと思ったのです」
「…………それ、今思いついた言い訳でしょう?」
ペラペラと淀みなく口が動いているけれど、どことなく胡散臭い。っていうか、私利私欲に塗れているように思えてならない。
「まあまあ。それで、シャワーとは一体どのようなものなのです?」
神官はそう言って、瞳をキラキラと輝かせる。この男……これまできっと、顔だけで色んなことを乗り越えてきたに違いない。
顔面国宝級――――前世に居たら、間違いなく芸能界へのスカウトがわんさか来ていただろう。こっそり写真を撮られて、SNSで拡散されまくって、生きてるだけで尊いとか、笑うと凶器とか称されて。勝手に貢がれ、何不自由ない裕福な生活を送っているのが目に浮かぶ。
胡散臭いことこの上ない。わたしは好きになれないけど。
「別に、ジョウロと同じですよ。ただ、コンスタントにお湯が出せるっていうだけで」
どのようなもの? って尋ねられたところで、そもそもわたしが考えたものじゃないし。仕組みや構造もよく分かってないし。
ラッキーで魔力を授かったから、よく分からない部分を魔法で無理やり何とかしているだけだもん。聞かれたって答えられる筈がない。
「よくそんな物を思いつきますね? なるほど……どれもすごく便利そうです。是非とも使ってみたいですねぇ」
「便利なのは間違いありませんが、考えたのはわたしじゃありません。名前も知らない何処かの誰かです」
この世界に生まれてから、わたしは前世が如何に文明の利器で溢れていたのか思い知った。
スマホやパソコン、テレビは元より、電気も無ければガスも無い。水道だって通っていないから、雨水を溜めなきゃならないし、消毒や殺菌も満足にできない。車や電車だって存在しないし、アスファルトじゃないから歩きづらい。
無いない尽くし。だけど、魔法があったら大抵のことは何とかできちゃう。本当に魔女に生まれて良かったと思う。
「そこの――――冷蔵庫? やシャワー、他の人にも教えても良いでしょうか? 知り合いに魔法使いが居るんです」
「お好きにどうぞ~~。どうせわたしが考えたものじゃありませんし」
この男、商売でも始めるつもりだろうか? 上手く作ったら儲かるかもね。わたしからしたらどうでも良いけど。
そんなこんなで、もう日が暮れるっていう時間になって、神官はようやく帰っていった。
王都までは片道二時間。神官の癖に馬車じゃなくて馬に直接跨るらしい。
(本当に変な奴)
後姿を見送りながら、二度と来るなと念を送る。
だけど次の瞬間、彼はこちらを振り返り、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべた。思わずウェッと胸焼けが襲う。
(今日はもうご飯は良いや)
胃の中は空っぽだというのに、ちっとも食事をする気が起きなかった。