38.あなたはわたしの――――
マリアの母親は呆然と立ち尽くしていた。
わたしはマリアのことを見つめつつ、大きく息を呑む。
「あたしのお母さんはジャンヌさんだもん! ジャンヌさんだけだもん!」
その瞬間、目頭がぐっと熱くなった。マリアのことを抱き返しつつ、涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「そんな……だけど…………」
ゴニョゴニョと口ごもりながら、マリアの母親はぐいっと身を乗り出す。
「だけど! あなたを産んだのは間違いなく私なのよ! 今ここには居ないけれど、あなたにそっくりの姉だって居るわ。その子を見れば、あなたが私の子供だって誰の目にもハッキリするはずよ。私たちには切っても切れない、親子の縁があって――――」
「違うよ。マリアは森で生まれたんだもん」
マリアはまるで諭すような声音で、そう口にする。
「桃から生まれた桃太郎とか、竹から生まれたかぐや姫みたいに、マリアは木の中で生まれて、それをジャンヌさんが見つけてくれたの。……ううん、ジャンヌさんに出会えるように、神様があたしをあの森に置いてくれたんだよ。
だから、マリアのお母さんはジャンヌさんだけ。
どれだけ顔が似ていても、あなたのことなんて知らないよ。誰がなんて言っても、絶対、ジャンヌさんがマリアのお母さんだもん! そう思って生きてきたんだもん!」
「マリア……」
『ねえ、もしも……もしもよ? 本当のお母さんができたら、マリアはどうする?』
『そうだねぇ、嬉しくて泣いちゃうかもしれない』
あれは――――あの時マリアが話していた本当のお母さんは、わたしのことだったんだ。
人はいつ、親になるのだろう。
妊娠をしたら?
出産をしたら?
授乳をしたら?
もしかしたら、どれも違っているのかもしれない。妊娠とか出産方法とか、血の繋がりが云々とか、そういうことじゃないのかもしれない。
「こんな――――こんなズボラで、ダメな母親でいいの? ご飯もちゃんと作ってあげられなくて、掃除もまともにできなくて、教育熱心でも世話焼きでもない――――ダメなところしかない母親だけど、それでも良いの?」
人はいつ親になるのか――――明確な答えはわたしには分からない。
けれど、もしもマリアがわたしを母親として認めてくれるというのなら――――その想いに応えたいと思った。
「言ったでしょ? マリアはジャンヌさんが良いの! ジャンヌさんじゃなきゃダメなの! ジャンヌさんと、ずっと一緒に居たいの!」
マリアが顔を埋めたところが、じわじわと温かく濡れていく。
わたしはその場にしゃがみ込み、マリアを強く抱きしめながら、声を上げて泣き叫んだ。
「お母さん」
マリアの言葉が、声が、耳元でとても優しく響く。嗚咽混じりだったけど間違いない。マリアはわたしのことを『お母さん』と呼んでくれた。
『お母さん』
――――ああ、そうか。
わたしが気づかないようにしていただけで、マリアはもうずっと、わたしのことをそう呼んでくれていたのかもしれない。
赤ちゃんだったときも、言葉を喋れるようになって以降も。
捻くれ者のわたしが怒りださないよう、眠っているときや意識が薄れているときにこっそりと。何度も何度も、そう呼んでくれていたのかもしれない。
「マリア――――あなたはわたしの、大事な娘だよ」
誰がなんて言おうと、わたしはマリアの母親で、マリアはわたしの娘だ。
もう絶対、二度と迷いはしない。
いつか離れる日のことなんて考えないし、マリアのことは、絶対にわたしが幸せにする。
決意を新たに抱きしめれば、マリアはとても嬉しそうに笑った。
「待ってよ……そんな! そんなことってないわ! 私が本当の母親なのに。お腹を痛めてあなたのことを産んだのは私なのに! それなのに、その人を選ぶだなんて……」
「あのぅ……間違っていたらスミマセン。貴女が今更、母親として名乗り出たのは、聖女様とそのご家族には多額の金銭的援助がある上、社会的な地位を約束されるから――――ですよね?」
その時、泣きわめく女性の前にセドリックが静かに立ちはだかる。女性は見るからに狼狽えた様子で、ブンブンと首を横に振った。
「え? いえ、そんな。私は……別に、そんなつもりじゃ…………」
「なるほど、そうでしたか!
それでは貴女は、六年前に、生まれたばかりの小さな赤ん坊を遺棄したという己の罪を我々神官に対して告白し、懺悔をしたかった――――ということなのですね?」
「え? あっ……!」
セドリックの瞳が冷たく光る。女性はハッと息を呑み、一気に顔が青褪めていった。
赤ん坊の遺棄は、当然ながら立派な犯罪行為だ。わたしは殺人をしたのと同じだと思ってる。だって、もしもわたしが見つけていなかったら、マリアは今、生きてこの場所には居ないんだもの。
この女性は、助けを求めることも、自力で移動する術すらない幼いマリアを放置した。神殿や親戚等を頼ることすらせず、見殺しにすることを選んだ。
そして今、その罪を自らの口でハッキリと告白したのだ。
マリアが再会を喜べば、彼女の罪は有耶無耶になり、美談に収まったかもしれない。
けれど、マリアはこの人を母親だと認めていない。寧ろ、ハッキリと拒絶をしている。
つまり、この人は愚かにも、自らの罪をここで露呈しただけなのだ。
「それでは、中でゆっくりと、詳細を聞かせていただきましょうか」
騎士たちがそう言って、女性のことを取り囲む。
「や……待って! 私、そんなつもりじゃ」
わたしは現世の司法制度に詳しくないし、時効の兼ね合いや、量刑の程度、罪人がどうなるかなんて全然わからない。けれど、全くお咎めなしというわけにはいかないだろう。なんといってもマリアはこの国の聖女。とても重要な存在なのだから。
とはいえ、神殿は裁判所ではない。ここではひとまず話を聞くだけになるのだろう。
だけど、それでも今、この人は己の境遇に恐れ慄いている。
(マリアの絶望を、悲しみを思い知れば良いんだわ)
ふん、と鼻を鳴らし踵を返す。
「お母さん」
だけど、そんなわたしの元に、マリアが勢いよく飛び付いてきた。
悲しみも絶望も微塵も感じさせない、幸せそうな笑顔。
(ああ、この子にとっての母親は、本当にわたしだったんだなぁ……)
わたしは六年分の愛情を込めてマリアを抱き返す。
それから二人で涙を流しながら笑い合うのだった。




