37.桃太郎とおばあさんと、それからお母さん
その日の夜、わたしのベッドにマリアが潜り込んできた。
「どうしたの? 眠れない?」
マリアは空気が読める子だ。あのあとも、わたしたち大人の会話に無闇に首を突っ込んできたりはしなかった。
だから、事情を知って傷ついたわけじゃない――――そう思いたいのだけど。
「ううん、ジャンヌさんに甘えん坊したくなっただけ!」
ギュッとわたしの身体に抱きついて、マリアはエヘヘと笑い声を上げた。
「全く……もう六歳なのに」
なんて、そんなの嘘。
まだまだ六歳。甘えたいさかりだって、ちゃんと分かってる。
しかもわたしは、これまでマリアを甘やかしてこなかった。
抱っこも、おんぶも、撫でることも、抱擁も、この子が望むままに与えはしなかった。
それでもマリアが懐いてくれたのは、わたし以外に頼れる大人が居なかったからだ。
子供であるマリアは、わたしが居なくなったら生きていけない――――大人になれない。だからこそ、わたしに捨てられないよう、健気に尽くしてくれたんだろう。
「ねえ、もしも……もしもよ? 本当のお母さんができたら、マリアはどうする?」
こんなこと、本当は聞くべきじゃないのかもしれない。
だけどわたしは、尋ねずにはいられなかった。
「本当のお母さん?」
マリアはキョトンと目を丸くし、それから小さく笑みを浮かべる。
「……そうだねぇ、嬉しくて泣いちゃうかもしれない」
「え? 嬉しいの?」
あまりにも思いがけない返答に、わたしは思わず言葉を失ってしまう。
「うん! だって、ずっとずっと、そうだったら良いなぁって思ってたんだもん」
わたしにギュッと抱きつきながら、マリアは静かに目を瞑った。
「……そっか」
そうか。
……そうだよね。
どれだけ非道なことをされても、マリアにとってはたった一人の母親なんだ。
会いたいんだ。
会って、抱きしめてほしいんだ。
そう思うと、なぜだか胸が苦しくなった。
「――――ねえ、久しぶりに桃太郎の話をしようか?」
「うん! マリア、桃太郎大好き! ――――昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」
「って、え? わたしじゃなくて、マリアが話すの?」
「うん! たまには良いでしょう?」
マリアはクスクス笑いながら、ゆっくりと目を瞑った。
「おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に出かけました。おばあさんが洗濯をしていると、川の向こうから大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。おばあさんはその桃を、家に持ち帰って、おじいさんと一緒に食べることにしました」
スラスラと、まるでその場に居合わせたかのように、マリアは物語を暗唱する。
「ところが、桃を割ってみると、中から元気な男の子の赤ちゃんが出てきました。
おじいさんとおばあさんは驚きましたが、その男の子を育てることにしました――――あたしね、このお話のおじいさんとおばあさんが大好きなの!」
「そうなの?」
「うん! だって、いきなり現れた赤ん坊の桃太郎を引き取って、大人になるまで育ててくれたんだもん!」
楽しげなマリアの笑い声を聞きつつ、わたしは彼女の頭を撫でる。
「ねえねえ、ジャンヌさん。桃太郎はおばあさんのことを『お母さん』って呼んでいたのかな?」
「『お母さん』? さあ、どうだろうね?
おばあさんは年を取っていたから『おばあさん』なんだろうし。それでも、桃太郎にとっては育ての親だから、お母さんって呼んでいたのかもしれないねぇ……」
子供ってのは時々よく分からないツッコミをするものだ。このお話のツッコミどころはもっと他に存在するし、そもそもこれは童話で、本当にあったお話ではないのだし。
(ダメだ。色々あって疲れたせいか、ものすごく眠い)
段々自分がなにを言っているのか、考えているのか分からなくなってきた。
「おやすみなさい――――さん」
「うん。おやすみ、マリア」
腕にマリアを抱きしめながら、わたしはゆっくりと意識を手放した。
***
翌朝、わたしたちはいつものように、参拝客を受け入れていた。
マリアは神官の中で一番の人気者なので、二日連続で不参加というわけにはいかない。本人は何が起こったか知らないこともあって、とても朗らかにお勤めを果たしていた。
(ホント、マリアはすごくいい子だよねぇ……)
とてもわたしに育てられたとは思えない。
今日もマリアは一人ひとりの参拝客の話を聞いて、その悩みに寄り添い、できる限りのことをしてあげていた。
病に苦しむ人には、痛みを緩和してあげたり、午後に神殿の中に呼んで治療を施してあげている。
飢えに苦しむ人には、小さなパンを与えてから、満腹感が得られるように祈りを捧げている。
だけど、人々に力を分け与えることは、かなり気力や体力を奪われるらしく、マリアはいつもグッタリと疲れている。
自分以外の誰かのために、そんなふうに自分を犠牲にするだなんて、わたしにはとても考えられない話だ。本当にマリアはすごい。偉いと心から思う。
なんでそんなふうに育ったんだろう? 生みの親のDNAが良かったのかな? だけど、赤ん坊を森に捨てるような人だし、とてもそんなふうには思えないけど。
「マリア!」
と、その時、若い女性の甲高い声が、わたしの隣から聞こえてきた。
聖女であるマリアを呼び捨てにする人間はわたしぐらいのもの。驚きに目を見開いていたら、女性は頭をすっぽりと覆っていたスカーフを取り去り、桃色の髪をあらわにした。
「あっ!」
あれは――――マリアの本当の母親だ。髪を隠していたから、騎士たちも存在に気づかなかったのだろう。
どんなに警戒していても、気づかなかったのなら仕方がない。分かっている。だけど、わたしは困惑せずにはいられなかった。
「どなたですか?」
マリアが尋ねる。キョトンと瞳を丸くして。
マリアの母親は涙を流しながら、ひしっとマリアに抱きついた。
「お母さんよ! 私があなたの、本当のお母さんなの」
マリアの母親が言う。
今日は傍らにマリアの双子の姉は居ないけれど、二人がそっくりなことは誰が見ても分かる。おそらく、マリア自身も気づいただろう。
わたしは女性を止めようと走って――――だけど、すんでのところで止めた。
『ねえ、もしも……もしもよ? 本当のお母さんができたら、マリアはどうする?』
『そうだねぇ、嬉しくて泣いちゃうかもしれない』
昨夜のマリアとのやり取りが脳裏に浮かんで、わたしの胸を締め付ける。
だって、経緯はどうあれ、マリアは本当のお母さんに会うことを望んでいるんだもの。わたしが止めるわけにはいかない。
わたしと同様、マリアのもとに駆け寄ってきたセドリックを制止して、わたしたちは傍らで二人のことを見守った。
「……お母さん?」
「そうよ! 今までごめんね、マリア。だけど、これから先はずっと一緒よ。絶対に離れたりしないわ! 私があなたと――――」
「違うよ」
「…………え?」
マリアが母親を押し返し、怪訝な表情で首を傾げる。
固唾をのんで見守っていた人々が一斉に息を呑む。
それからマリアは、くるりと踵を返すと、わたしに向かってギュッと抱きついてきた。
「だって、あたしのお母さんはジャンヌさんだもん!」




