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36.血の繋がりと母と、娘

「あんにゃ!」



 ペチペチと頬を叩くひんやりと冷たくて小さい手のひらの感触に、わたしはゆっくりと目を開けた。


 ふっくらと丸い頬、愛らしい大きな瞳。未だ生え揃っていない短い髪は、桜みたいに綺麗なピンク色をしている。



「マリア」



 小さなマリアはベッドにつかまり立ちをして、プルプルとおしりを震わせて、やがてぺたんと床に座り込んだ。チャレンジ精神旺盛で、同じことを何度も繰り返す愛らしいマリアの姿に、わたしはついつい苦笑を漏らす。



「ほら、こっちにおいで? 一緒にねんねしようか」



 わたしはそう言って、マリアのことを抱き上げた。

 体の上に乗っけても全然重くない――――っていうか、寧ろなんだか心地良い。ミルクの香りがする柔らかな頬に頬ずりをしながら、ポンポンと頭を撫でてやる。



「あぅんにゃ!」


「ん? ジャンヌさん、って言ってるの? 上手上手」



 ハッキリと発音はできていないけど、わたしを呼んでるんだってことはなんとなく伝わってくる。マリアは両手をバタつかせながら、何度も何度も「あんにゃ!」ってわたしのことを呼んだ。



「ホント、あんたのお母さんはバカだねぇ。こんなに可愛い子を手放すなんて」



 可愛くて、柔らかくて、温かくて、いい香りがして、一緒にいると癒やされる天使みたいな子供。よしよし、って背中をポンポンしてやったら、マリアはまた「あんにゃ!」って言った。

 穏やかで暖かい幸せな気持ち。瞼がだんだん重くなっていく。



「――――さん!」



 遠ざかる意識の中、誰かの声が聞こえてきた。

 わたしを呼んでいるのかな? 眠くて、瞼が重くてたまらないのに、意識が寧ろ引き上げられていく。



「――――――さん!」



 さっきよりもハッキリと声が聞こえてきて、意識が唐突に覚醒した。



「ジャンヌさん!」



 心配そうなマリアの顔が飛び込んでくる。隣にはセドリックが居て、わたしの顔を覗き込んでいた。



「マリア……」


「良かった! あたし、心配で心配で……」



 瞳にたっぷりと涙を浮かべ、マリアがわたしに抱きついてくる。



「心配? 一体何が……」


「先ほど、ジャンヌは参拝客の対応中に倒れてしまったのですよ。覚えていませんか?」


「あ……!」



 思い出した。

 そういえばわたし、マリアの本当の母親と話していて、いきなり息が苦しくなって、その場で倒れてしまったんだった。



「マリア様が聖女の力を使って助けてくださったのですよ? けれど、症状が治ってからも、ジャンヌは中々目を覚まさなくて」


「ああ……それで」



 こんなに心配しているのか。

 マリアの頭を撫でながら、わたしは小さく苦笑を漏らした。



「ジャンヌさん、大丈夫? 痛いところとか、苦しいところとかない?」


「ないよ、平気。めちゃくちゃピンピンしてる」



 聖女の力っていうのはすごい。倒れたことを忘れてしまうほどに、身体はバッチリ健康だ。

 だけど――――



「安心してください。マリア様はあの女と顔を合わせていません」



 セドリックが小声で耳打ちをする。わたしはほっと胸を撫で下ろした。



「あっ、そうだ! 喉乾いたでしょ? あたし、お水をもらってくるね! 待ってて!」



 一体何を思ったのか、マリアがパタパタと部屋を後にする。

 残ったのはわたしとセドリックのふたりきり。周りに人の気配がないか確認しつつ、わたしはセドリックに向き直った。



「あの女性は? もう帰ったの?」


「ええ。丁重にお引取り願いました。騎士たちにも、決して神殿内に入れないよう、きつく申し伝えています」


「そう……良かった」



 もしも神殿内に忍び込まれてしまったら、わたしたちの知らないところで、マリアと遭遇してしまうかもしれない。わたしはセドリックにお礼を言った。



「明日以降も参拝客として紛れ込まないよう、目を光らせてもらいましょう。ピンク色の髪をした子連れの女性――――マリア様とそっくりの女の子は通さぬように、と」


「……そうですね」



 それが良い――――そう思っているのだけど、ほんの少しだけ心が揺れる。



「どうかしましたか?」



 セドリックは目敏かった。わたしが迷っているのを感じ取り、すぐに疑問を呈してくる。



「――――本当に、これで良いのでしょうか?」


「これで良い、とは?」


「実はさっき、あの人に言われたんです。『あの子だってきっと、血の繋がった本当の母親と一緒に居たいと思う筈です!』って」



 それはわたし自身、マリアを拾って以来ずっと、密かに思い悩んできたことだった。


 どんなに頑張ったところで、わたしはあの子の本当の母親にはなれない。あの子を妊娠したのも、出産したのも、わたしじゃない。腹を痛めたわけでもなければ、血の繋がりだって存在しないんだもの。



「もしかしたら……もしかしたら、マリアは本当の母親に会えて、傷つかないかもしれない。喜ぶかもしれない。あの人が言うように、一緒に暮らすことを望むかもしれないんです。

それなのに、わたし達が勝手にその道を奪って、本当に良いのかな? って」



 わたしがマリアにあげられる愛情は、母親のそれとは違っている。


 わたしはあの子のために、毎朝早起きして、ご飯を作ってあげることも、甲斐甲斐しく世話を焼くこともできなかった。

 大したものを買ってあげられなかったし、勉強を教えることもしなかった。


 最初はあの子を見殺しにしようとしたし、聖女に選ばれたときだってそう。寂しがってるあの子の手を、いとも簡単に放してしまった。


 そんなわたしより、マリアだって本当は、実の母親と一緒に居たいんじゃないかなって――――。



「ジャンヌ。

私は貴女とマリア様を、本当の母娘だと思っています」



 セドリックが言う。その途端、目頭がぐっと熱くなった。



「貴女がマリア様と一線を引いて接していたのは知っています。けれどそれは、貴女自身が――――何よりマリア様が、不要に傷つかないようにという想いからでしょう?」


「……うん」



 いつかわたしは、マリアを手放す日が来るって――――手放したほうが良いって思っていた。ずぼらなわたしじゃなく、生活面も収入面でもきちんとしている人が現れて、マリアをしっかりと育ててもらったほうが良いだろうって。


 だって、マリアはわたしとは違う。特別な子供だから。素直で可愛い、心優しい子だから。

 だからきっと、神様がマリアのために素敵な人を――――未来を用意してくれるだろう――――そんな確信があった。


 だからこそ、絶対に深入りしちゃいけないって思っていた。


 マリアにとってわたしは同居人以外のなにものでもない。笑顔でさよならができる存在でなければいけないって。



 だけどわたしはあの子のことを――――マリアのことをずっと、自分の娘だと思っていた。


 大切で、可愛くて、誰よりも幸せになってほしいって思っていた。



「大丈夫ですよ。今回のことは、私達大人だけの胸にとどめておきましょう。それが一番、幸せだと思います」


「……うん。そうだね」



 浮かない顔をしたわたしを、セドリックがギュッと抱き締める。

 不安を胸に抱きつつ、わたしはなんとか自分を納得させたのだった。 


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