35.母娘の話を聞きました。目の前が真っ暗になりました。
広場は一時騒然としたものの、すぐに平穏を取り戻した。わたしとセドリックが、普段の数倍笑顔を振りまく等のサービスをしたからだ。
事情を知らない他の神官たちも気を使って、普段よりも熱心に参拝客たちの話を聞いてくれている。おかげで、大きな混乱は避けられた。
(ホント、マリアの母親を見たときは焦ったけど)
すぐに状況を察して動いてくれたセドリックに感謝しなきゃならない。だって、わたし一人じゃどうしたら良いか分からなかったもの。
ものすごくテンパっていたし。マリアを神殿に帰して、参拝客たちを他の列に並ばせるなんて、絶対に思いつけなかった。
だけどその時、わたしの列の最後尾にマリアそっくりの母娘を見つけて、わたしは密かに息を呑んだ。
(落ち着いて)
あの人の顔なんて見たくない。話なんて聞きたくない。そんな想いから、心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。
だけど、動揺したらダメだ。目の前の参拝客に対して失礼だし、怒りのあまり怒鳴ってしまうかもしれないもの。
一人、また一人と参拝客を見送って、残すところあと二人――――マリアの母親とその娘が、わたしの目の前にやってきた。
「よろしくお願いいたします、神官様」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
笑顔を貼り付けながら、わたしは母娘を観察する。
マリアの母親は、とても貧しそうな身なりをしていた。洗い古された枯れ草色の洋服に、あまり手入れのされていない髪や服。
けれど、目鼻立ちだけはとても整っていて、輝かんばかりの美しさを誇っている。マリアがそのまま大人になった、という感じだ。
(だけど、この女はマリアを捨てた……)
たとえどんな事情があったにせよ、その事実は変わらない。
しかも、マリアとそっくりの双子の片割れは、しっかりと自分の手元に残しているんだもの。わたしからしたら心象最悪。本当にクソみたいな話だと思う。
「それで、本日はどのような願い事を?」
「それは――――この子がこの先も健やかに、幸せに成長してくれますように、と」
その瞬間、鋭利な刃物で心臓を切り裂かれたかのような激痛が走り、わたしは思わず顔を歪めた。
(どの口がそんなことを!)
この女のせいで、マリアは死んでいたかもしれないのに! 健やかどころか、幸せどころか、母親の顔も、愛情も、何一つ知らないまま、死んでいたかもしれないのに。
誰かをこんなにも憎いと思うのは、生まれてはじめてだった。
この女の横っ面を思い切りぶん殴ってやりたい。マリアの痛みを思い知らせてやりたい。
悔しくて悲しくて、涙が勝手に湧き上がってくる。
前世で婚約を破棄されたときでさえ、ここまでの激情は抱かなかった。腸が煮えくり返って、本当におかしくなりそうなほどに苦しい。
「だけど、気が変わりました。
神官様――――実はこの子には、妹が居たのです。赤ちゃんのときの顔しか知りませんが、とても良く似た双子でした」
女が言う。
きっと、はじめて聞いた話なのだろう――――マリアと同じ顔をした女の子が目を丸くした。
わたしは苦々しい思いで「そうですか」と相槌を打つ。
「止むに止まれぬ理由で、生まれてすぐに、とある森に置き去りにしました。とても申し訳なかった……。本当に、あの日のことを後悔しなかった日は、一日だってございません。
ですから、この子には妹の分まで、元気に大きく育ってほしいと思っていたのです。けれど――――」
女はわたしの手を握り、下から顔を覗き込んできた。
「貴女が神殿に連れて行った聖女様! あの女の子は、この子と全く同じ顔をしていました」
「――――それが何か? 他人の空似など、よくあることでしょう?」
この女性はさっきから、一体、何を被害者ぶっているのだろう?
止むに止まれぬ理由? そんなの、孤児院や神殿を頼ろうともせず、無慈悲に子供を捨てた人間が口にして良い言葉じゃない。
わたしはこの人がマリアの母親だなんて認めない。
認めたくない。
マリアはお伽噺の桃太郎みたいに、あの森で一人で生まれて、わたしに拾われて、それから育てられた――――それで良いじゃない。あの子を捨てた人間が目の前にいるだなんて、信じたくないんだもの。
「貴女ももう、気づいているのでしょう? 聖女様はきっと、私の娘です! 私がお腹を痛めて産んだ、私の子供です! どうか、あの子に会わせてくれませんか?」
「お断りします!」
わたしはもう、我慢ができなかった。
とめどなく流れる涙をそのままに、わたしは目の前の女性を睨みつけた。
「どの面下げてそんなことを! マリアの気持ちを考えてみてください! 自分を捨てた女が、自分とそっくりの女の子を連れて会いに来て、喜べると思いますか? 嬉しいと思いますか? わたしには無理です! 絶対、そんなふうには思えません!
ふざけるなって……今まで一体、どこで何してたんだって! 消え失せろって思います!
ですから、貴女と話すことなんて、なにもありません!」
他の神官に話を聞いてもらっていた参拝客たちが一斉に、驚いた様子でわたしの方を向く。お祈りの邪魔をして申し訳ないって思うし、冷静にならなきゃって分かっているけど、ごめん。そんなの無理だ。
「待ってください! 私だって辛かったんです! あの頃は――――どうしても二人育てるだけの余裕がなかったんです! 私も、夫も、この子も、家族全員が死んでしまうぐらいならって……そう思いました。
けれど、今なら私は、聖女様を育てることができます!
あの子だってきっと、血の繋がった本当の母親と一緒に居たいと思う筈です!」
「けれど――――」
言い返そうとしたその瞬間、ヒュッと喉が強く締まり、わたしはその場にうずくまった。
「ジャンヌ!?」
苦しい。息が全然できない。
異変を察知したセドリックが、わたしのもとに駆け寄ってきた。
目の前が靄がかかったみたいに真っ暗になっていく。本当に何も見えない。
「マ、リア――――」
薄れゆく意識の中、わたしは静かにマリアの名前を呼んだ。